桐崎浪漫

1 及川 浬


半端に開いたカーテンの間。窓の外は明るい。


充電コードを挿していたスマホを掴み、ホーム画面を開くと、時刻は 13時28分だった。


仕事まで かなり時間あるな...

今日は何で こんなに早起きしたんだろう。

起きるのは いつも大体 17時頃だ。


頭の方は起ききれていないのか、まだ ぼんやりしていたが、メッセージアプリのアイコンの右上に付いている通知には気付いた。


普段、誰かと連絡を取り合うことは あまりない。

社会に出ると学生の時とは違い、まず意味のない無駄な長話はしなくなる。

もう家庭を持っている奴もいるしな。

親や仲の良かった奴と近況報告をし合うにしても、年に数えるくらいか?

2〜3年 音沙汰なしの奴もいる。

でも、皆 多分そんなものだろう。


スマホって、人と連絡を取るためのツール というより、一人で使う方が多いんだよな。

SNSやゲーム、動画視聴がほとんどだ。

彼女も居なけりゃ尚更。俺のように。


気まぐれに誰かが連絡してきたんだろうけど、時々そういうことがあるとしても、大体は 仕事中に入っていることが多い。

連絡を取るような間柄の連中の中で、夜勤なのは俺くらいだからだ。

返事を返すのは翌朝、仕事が終わってからになる。


仕事は 倉庫内でのピッキング作業で、会社から、“まだ家庭もないし、深夜手当がつくから” と言われて 夜勤に回された。

夜勤になってから余計に、誰とも疎遠になった気もするが、まぁ仕方ない。

仲が良かった奴の中には、大企業に就職した奴や 独立して成功している奴もいて、そういうことも疎遠になっていった原因のひとつだろう。

相手の態度や接し方に変化はなくても、勝手な引け目を感じる。

特に、直接 会って飲んだりすると、入れない話になることも多い。


メッセージアプリを開くと、縦に並んでいる友達 一覧の中、未読として上部に上がっていたのは 意外な奴だった。

奴、といったが、女の子だ。高校の同級生。

普段、連絡を取ることもなく 友達 一覧に名前が残っているのは、高校の時から使っているアカウントだから というだけの理由だ。

それでも 一覧に残っている女子の名前は 三人くらいだったと思う。

メッセージ通知のマークが付いているのは、その中の 一人からだった。


今田 麻衣花まいか


明るくて目立っていて、男女問わず 同じクラスのほとんどの奴とIDを交換していた。

俺が実際に こいつとやり取りしたのは、二、三度だったんじゃないか?


同窓会とか そういう知らせか? と考えながら トーク画面を開くと、“久しぶり、元気?” とだけ入っていた。

送信された時間は 二時間ほど前。

既読にしてしまったので、“元気だよ” とだけ返しておいて、ベッドにスマホを置き、水を飲もうと冷蔵庫に向かう。

ついでにトイレも済ませてベッドヘ戻ると、メッセージ受信の通知音が鳴った。


今、返事を返した 今田からだ。

新しいメッセージは

“ちょっと困ってて、お願いがあるんだけど” というものだった。


今田とは、何年も連絡を取っていない。

高校の時のやり取りも 大して意味のないものだったのか、何を話したのかも忘れている。

機種変更した時に、メッセージの履歴は引継ぎしなかったしな。

それで、いきなりこういうメッセージが入るとしたら、“困っている” という内容は、多分 金だろう。


一応、“何?” と返信をする。

そう仲も良くなかった俺に こういうメッセージを入れてきた理由は、他の奴には断られたのか、仲の良い奴には敢えて頼まなかったのか、本当に よっぽど困っているか... の どれかだろう。

“何?” とは返したが、助けるつもりはなかった。

酒を飲む習慣はなく ギャンブルもほとんどしないので、多少の貯蓄はあるが、“何で俺が今田に?” という気持ちが強い。

本当に仲が良かった奴なら まだしも。それでも理由による。


だが、返ってきたメッセージは意外なものだった。


“廃墟探索してたら、出られなくなっちゃって”


廃墟探索? 今田が?

高校の時に持っていたイメージと遠い。

いつだったか、怪談話で盛り上がった時期があって、皆、知っている話や又聞きした話を披露していたが、今田は、“怖いのムリ。ホラー映画も観たことない” とも言って、教室から出ていた。

そういえば、二年の夏休みだったか、“心霊スポットへ行こう” ということになった時も、今田は来なかった。

“出られない” ってことは、入った部屋のドアに何かトラブルでもあったんだろうか?


“そういうの、苦手なんじゃなかったっけ?”


そう返すと、少し時間を置き

“昼間なら明るいから” と 返信が入った。


怖がりの奴が、昼間でも廃墟なんか行くか?

何か引っ掛かる。

“廃墟って、どこの?” と 聞くと、地図が送られてきた。

道路は通っているが、山の中だ。

こんなところに廃墟なんかあるのか?

俺が 知らないだけか?


“廃病院なんだよね。

もう、十何年か前?だったかな?

とにかく、ずいぶん前に閉まったみたいだけど”


ますますおかしい。

俺の個人的なイメージかもしれないが、廃病院 と聞くと、廃工場や空き家より怖い というイメージが強いからだ。

亡くなるまでの最期の時間を 病院で過ごす人も少なくないからだろう。


今田は、一人で居るんじゃないんだろうか?

何人かで 一緒に探索していて、俺だけじゃなく、何人もに助けを求めるメッセージを送っているのかもしれない。


“他に誰か 一緒?” と聞くと

“ううん、一人だよ” と返ってきたことで、また何かが引っ掛かったが、続けて送られてきたメッセージには

“私、あるサイトで動画を載せたりしてるんだけど、再生数が落ちてきたから。

廃墟探索系って、結構 観られるみたいだし” とあって、あぁ と納得なようなものと呆れが入り混じったような気分になった。


“警察 呼べば? 言いづらいんなら俺から警察に相談しようか?”


そう返すと、また少し時間を置いて

“不法侵入にならないかな?” と返信が入る。

なるだろうな。廃病院の管理者に許可も取ってなさそうだ。


さっき送られてきた地図を見直す。そんなに遠くないな...  仕方ない。


“そっちまで行くけど、俺ひとりで どうにかなることじゃなかったら困るから、他の奴にも連絡しておいて” と返すと、着替えて部屋を出た。




********




車で 地図にある印の場所を目指し、脇道へ入ると、倒木に阻まれた。

ここからは降りて歩くしかなさそうだ。


廃病院までの道は 白いコンクリートで固めてあり、両脇は木々と雑草に囲まれているが、今のように明るい時間なら 森の散歩道といった雰囲気で、怖さは微塵もない。


5分ほど歩くと、それらしい建物が見えてきた。

建物は白っぽいグレーで四階建て。

L字型になっている。

建物の前は広く空いているが、白いコンクリートの地面以外に何もない。

あちらこちらから雑草が顔を出してはいるが。

たぶん、駐車場だったのだろう。

廃病院の左右に 一定の間隔で、車止めの縁石が見える。

地図の場所は ここだ。


今田に “着いたけど” とメッセージ送信すると

“地下に居るんだけど、ドアが開かなくて” と返ってきた。

駐輪場の真ん中を通り、右側の硝子が破壊されたドアから中へ入った。

正面には、受付のような横に長いカウンターがあり、一階は ほぼ全体が待合室となっていたようで、左右が広く空いていて、緑色のビニール製のカバーが破れたソファーが 幾つか残っている。

赤いスプレーで壁に書かれた下手な字の落書きが目に入ると、妙に白けた気分になった。


受付の長いカウンターの隣、待合室の真ん中には、二つ並んだエレベーターがある。

当然、作動していないが、B1という地下を示すボタンもない。


地下に続く通路や階段なんか どこにあるんだ?

待合室の右側は L字型になっている建物のコーナーになっていて、更にその少し右側には 割られた窓越しに上へ登る階段が見える。


階段へ向かってみると、地下へ下る階段もあることに気づいた。

ただし、両開きで大きく開く 二枚の鉄のドアが閉じている。

このドアの向こうに 今田が居るのか? と、ノックをしながら声を掛けてみたが、返事は返ってこない。


鉄のドアは重かったが、意外と簡単に引いて開けることが出来た。

昼間でも、さすがに地下は暗い。

両方のドアを開け放って、割れた窓からの日差しに頼りながら 階段を降りてみる。


地下は、L字型の建物の右側部分だけで、待合室の下にはないようだ。

左側は壁になっている。

エレベーターに地下のボタンがない理由が分かった。

スマホのライトを点けて奥に進む。

地下通路を照らすには頼りない灯りだ。


そして、思った通り。

ドアはなく、棚が並ぶ空っぽの備品室の隣には、霊安室の札が貼ってある。

その奥にも部屋があるが、何の部屋かは分からない。

霊安室と奥の部屋にはドアがあった。


「今田」


呼び掛けてみると、スマホの通知音がなった。

メッセージには、“奥の部屋だよ” とある。


何で声で返事をしないんだ?

今、俺が呼んだ声が聞こえたから、メッセージを入れてきたんだろう?


おかしいとは思ったが、気味の悪さが先に立つ。

早く奥のドアを開けて、用を済ませて 外へ出たかった。

倒木の前に停めた車へ戻りたい。


そういえば、今田の車は... ?


後で聞いてみるか... と、何の部屋だか分からない奥の部屋のドアノブに手を賭けた。

鍵も掛からなそうだ。

それなら、建付けが悪くなって開かないのかもしれない。

だがドアは、簡単に開いた。


暗い部屋の中には、女が立っていた。


「今田?」


返事はない。

ゆっくりと、一歩、二歩、前へ進む。


「ドアは簡単に開いたけど... ?」


スマホのライトで顔を照らす前に、女が 持っていた懐中電灯を点け、明かりを俺に向けた。眩しさに眼がくらむ。

長い髪を上部でまとめ、パンツを履いている すらりとしたシルエットを見て、今田は小柄だったことを思い出した。

じゃあ、この女は誰なんだ?


「こんにちは、オイカワくん」


今 俺が開いたドアの向こう側から、くぐもった男の声がした。同時にドアが閉まる音。

何だ... ? ヤバい と血の気が引いていく。


「簡単に引っ掛かったねー」


女が、懐中電灯の明かりで俺の顔を照らしながら近付いてきた。

やめろ という声が出ない。

円形の強烈な明かりから眼を逸らすと、男が背後から俺の両手首を取り「バンド」と女に言っている。

手首を取っているのは、ナイロンの手袋を付けているような質感の手で、その匂いもする。いや、ゴムの匂いか... ? 手からスマホが落ちた。


後ろ手にクロスさせられた手首が、何本かの硬い紐状のもので拘束された。結束バンドだ...


お前たちは何なんだ? 何をする気だ?

声は出ない。膝が震える。


「脱がしてやるよ」


くぐもった声で男が言い、背後から俺の身体に両腕を回してきて固定された。

女がベルトとジーパンのボタンを外していく。

女もナイロン製の手袋を付けていた。


「... めろ」


掠れて震えた声は、口の中から外へ出たのかも分からないほど微かなものだった。

下着と 一緒に膝の下までジーパンを下ろされると、女が男に

「シャツは どうするの?」と聞いている。


「適当に切って開けば いいだろ?」


男に「うん」と答えた女は「ハサミもあったよね?」と 俺の背後、初めに男が立っていた場所へ行き、明るい声で「あった」と言って戻ってきた。


顎の下、シャツの襟口からハサミが入れられ、ハサミが動かされる度に 刃の背が胸の中心に当たる。

下まで切り開いたシャツを 両側に開かれ、肩までが出された。


「座れ」


男に言われたが、嫌だ と身体をよじって抵抗するが、膝はガタガタと震えたままで、抵抗 出来ていたのかどうかも分からない。

何をする気なんだ? 怖い、頼む やめてくれ...


「座れ」


懐中電灯の明かりが何かに反射した。何か鋭利なものに。俺の眼の すぐ横で。


ガタガタ震えながら しゃがもうとすると、膝下に溜まったジーパンや下着で体勢を崩し、横に倒れそうになって、男に頭頂の髪を掴まれた。

引き起こされ、両膝を床に着くと、ごわごわとしたジーパンや下着を挟んだまま正座をさせられた。


「じゃあ最初は、彼 一人を撮るね。

これ、前のやつより 高く売れるかな?」


女が「出来次第だろ」と返した男に 懐中電灯を渡している。

はぁ、はぁ、という 自分の荒い息と、あばらを内側から叩く鼓動の音に目眩を感じ、気が遠のきそうになる。


男は 俺の前へ回ってくると、少し離れた場所に立って、懐中電灯の明かりを俺に向けている。

全身 黒ずくめ。ナイロン製の手袋の手だけは白い。

頭から すっぽりと被るマスクを付けていて、それは 笑った子供の人形の顔を模してあった。


俺の隣に立った女が、ビデオカメラのレンズを俺に向けている。

見下ろしながら撮っていた女がしゃがみ、俺の横顔を撮り始めた。

顔を逸らすと 女は立ち上がり、ゆっくりと前に回って 上から下へと全身を撮り出した。

拘束された両手の感覚がなくなったことに気づく。

やめてくれ 頼む 怖い 怖い...


女が後ろ向きのまま下がって行く。

荒い息をしながら見上げると、男から懐中電灯を受け取っていた。

男が俺に向かって歩いてきた。白く光る鋭利な物を持って。


「や... て... 」


口中も喉も乾き切っている。声は出ない。


男が俺の前にしゃがむと、女が男の真後ろに立ち、懐中電灯の明かりとビデオカメラを向けている。

男の手にある白く鋭利な物... 医療用メスに光が反射した。


突然、頭の中がクリアになった。

逃げなくては... と膝を立てた時に、メスが鳩尾みぞおちに差し込まれた。


不格好な人形マスクの中の男の眼を見る。

影になっていて見えるはずのない男の眼は、それでも満足そうに思えた。


痛いのか熱いのか、冷たいのかも分からない。

大人しくなっていた鼓動が騒ぎ出す。

男は、メスを握る白いナイロンの片手の上に、もう片方の手を乗せて、ぐうっと下に下ろした。


嘘だ 嘘だ こんなの...


「は...  はは はは... 」


血が出るほど乾いた喉から笑いが洩れる。

頭の中にはとろけるような 何か温かいものが充満した。


下腹から引き出された物は、もう白くなかった。

懐中電灯の明かりは 赤く艶めくものを照らしている。

喉の奥に血の味がする。嘘だ、こんなの。


男は 赤く艶めくそれを、俺の右の脇腹に挿し込むと、両手で、ぐ、ぐ... と 真横に引いている。


温かい濡れたものが膝にこぼれてきた。

うごめきをやめた芋虫のようなものが 膝から床にも落ちる。

あぁ、集めなくては。集めて元に戻さなくては。

だって、これは 俺の...


血と酷い臭いが鼻を掠めた時、乾いた喉で 音のない絶叫を上げた。

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