第28話 僕はどこかから妹を見守っている。

「おまえの結婚相手はもう決まっているんだ」


 などと俺は親父に言われて、都内の料亭に来ていた。

 テーブルを挟んで、おめかしした和服の女の子がちょこんと座っている。

 その隣は彼女の母親だろう、同じく和服の女性。

 こちらの隣にはスーツ姿の男性がおり、緊張した様子で茶を含んだ。まあ、うちの親父なんですけどね。俺よりも緊張してるってどうなんだ?


 テーブルにはうまそうな料理が並んでいるが、目の前の女の子の美貌に当てられて食欲が湧いてこない。ちらっちらっと視線を女の子と料理のあいだを行ったり来たりさせて誤魔化す。こんなにあっさり一目惚れしちまうんだから、俺もちょろい男なのかもしれない。


「利発そうなお子さんですね」


 女の子の母親から言われた。


「いえいえ! 頭取の娘さんと比べたらただの馬鹿ですよ!」


 頭取って確か会社のえらい人だよな?

 俺は、持ち合わせていない知識からひねり出して、考えた。

 うちの親父ってそんなにえらかったのか?

 てっきり冴えない営業マンとばかり思っていたんだが。


「今日は夫に代わって私ですみません。どうしてもこの子が息子さんに挨拶をしたいといって利かないもので」

「いいんですよ奥さま! 頭取には普段からとてもお世話になっておりますので!」

「今日もお仕事の日だったのでしょう?」

「有休を使わせてもらったので平気ですよ、はっはっは!」


 ……これはいったいなんだ?

 俺と彼女のお見合いというやつではないのか?

 なのに、会話を楽しんでいるのは、親父と彼女の母親だ。

 俺はなんのためにいるんだ?

 そんなことを考え始めていた時。


「あ、あの……」


 消え入りそうな声が耳に届いた。

 俺はあわてて目の前に視線を戻す。


「今日はお会いになってくれてありがとうございます」

「いや、それはべつにいいんだけど、俺たち初対面だよね?」


 おいこらっ、頭取のお嬢さまに馴れ馴れしい口を利くんじゃない!

 とか親父が小突きながら言ってきたが、スルー。親父は彼女の母親へのご機嫌うかがいに戻っていった。ようやくこちらの会話に集中できる……。


「覚えていませんか?」

「なにを?」

「先日、車にひかれそうになったうちの家族を救ってくれたこと、です」

「……人助けをした覚えはないなあ」


 そこで彼女は言葉を区切ると。


「犬です」


 と恥ずかしそうに頬を赤らめて答えた。


「あ、ああ……なんか足取りが怪しかった犬なら確かに助けたよ……」

「わたしにとっては大事な家族だったんです」

「……待て。だった? 過去形?」

「はい、老衰で亡くなりました」

「そ、それはお悔やみ申し上げます……」


 いかん、地雷を踏み抜いちまった気がする。


「兄みたいな存在だったんですけれど、その子が死に際に言ったんです」

「な、なんと?」

「僕を助けてくれたような命に優しい人と一緒になってくれたら安心だ、と」

「犬が?」

「はい」


 ぜってー幻聴だよ、とはさすがに言えず。

 俺が口をもごもごさせていると。


「おかしいですよね。信じられませんよね」

「い、いや。大事な家族だったんだろう? きっときみにだけ聞こえたんだよ」

「わたしだけに?」

「ああ。だってえらい人の娘が突然どこのどいつとも知れない男に、好意を持ったんだろう? 大ごとだよ」


 自分で言ってて恥ずかしくなるな……。


「周りを納得させるにはそれなりの理由がいるはずだ」

「それをあの子が作ってくれた、と?」

「家族同然だった犬が、命が消える最後にきみへ託したメッセージ。すこし弱いかもしれないけど、説得の材料にはなるはずだ」

「ふふ……」


 彼女は微笑んだ。

 目には涙を浮かべている。


「そうだといいなあ」


 ぽつりと呟くと同時に、雫が一滴こぼれた。

 彼女はそのことに気づいたらしく、着物の帯からハンカチを取り出して、目元をぬぐった。化粧がちょっと崩れてしまっている。そのことを指摘しようかどうか迷っていると。


「あら、ちょっと泣いてるじゃないの! どうしたの?」


 彼女の母親が割って入ってきた。

 当然だが俺も……。


「この馬鹿息子が……頭取のお嬢さんに何をした!」


 親父からしかられる始末だ。

 そうして、彼女は体調が悪くなったから、とお見合いはお開きになった。

 正直なところ、俺なんかよりふさわしい男は大勢いるだろうから、彼女にはそんな人と恋人になって、結婚したほうが幸せなんじゃないかと思う。けれど、一目惚れをしてしまったのも事実で、彼女が他の誰かに盗られるのを想像すると、ムカムカしてくる。

 後で聞いた話では彼女はまだ高校生で、偶然にも俺と同級生だという。

 この問題に挑むには、まだ俺たちは幼いし、青すぎるのではなかろうか。俺は彼女にふさわしい男になろうと決意し、出会う機会を与えてくれたことに感謝した。

 もうこの世にはいないという、彼女の大切な家族のひとりだけが、俺たちの今後を微笑みながら見守っているはずだから……。

 

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