「そうか、それなら山本さん殺害時のアリバイは無くなる!」

 部長からトリックを教えてもらった僕は、思わず両手を叩いた。やっぱり白崎部長は凄い。

「だが、これだけでは犯人を絞るのは難しい」

「……そうですね」

 部長が解き明かしたトリックは、誰にでも出来るものだった。これだけでは、犯人を特定するには至らない。

「次はどうしましょう?」

「とりあえず、彼女から話を聞こうか」

「彼女?」

「少し話を聞かせてもらっても良いかな?……黒原さん」

 部長の視線の先には黒原さんが立っていた。黒原さんは遠くから、じっとこちらを見ている。一体、いつからそこに?

「黒原さん、そこで何を?」

 僕が尋ねると、黒原さんは頭を下げた。

「申し訳ありません。お二人の邪魔をするつもりは無かったのですが、雨音さんが心配でつい見ていました」

 黒原さんは心配そうに僕を見る。

「雨音さん、大丈夫ですか?先ほどは、かなり苦しそうでしたが……」

「は、はい。もう大丈夫です」僕は何度も頷く。

「良かったです。でも、あまり無理はしないでくださいね。お知り合いを亡くされたばかりなのですから」

「……はい、ありがとうございます」

 僕がお礼を言うと、黒原さんは薄く微笑んだ。

「ところで、お二人は此処で何を?ひょっとして、事件を調べているのですか?」

「え、ええ……まぁ……」

「何か分かりましたか?」

「えっと……その……」

 どうしよう。答えた方が良いのか?でも……。

「いや、特に何も」

 迷う僕の代わりに、白崎部長が答えた。

「残念ながら、目ぼしい証拠は見付からなかったよ」

 白崎部長は嘘を付いた。僕達は重要な証拠を見付けている。

 それを黒原さんに教えないのは、事件の謎を解くまで誰にも情報は明かさない方が良いという判断だろう。

 すると、黒原さんが思いがけない言葉を口にした。

「でしたら、私もお手伝いします」

「えっ?」

「私も事件の調査を手伝います。お二人で調べるよりも、三人で調べた方が効率的ですよ?」

「どうして……」

「雨音さんのお役に立ちたい。それだけです」

 思わず見惚れてしまうほど綺麗な笑みを、黒原さんは浮かべる。

 確かに、僕と白崎部長の二人で調査するよりも黒原さんを入れた三人で調べた方が効率は良いし、重要な証拠を発見出来る確率も上がるだろう。

 でも、山本さん死亡時のアリバイが無くなった今、黒原さんも容疑者の一人だ。彼女に協力を頼んだ場合、僕達の目を盗んで証拠を隠滅される恐れがある。

 効率を取って協力を仰ぐか、それとも断るか。僕は横目で白崎部長を見た。

「せっかくだが大丈夫だよ。証拠は私と雨音君の『二人で』必ず見付けるから」

『二人で』という部分を強調して、部長は黒原さんの申し出を断った。部長は効率よりも、証拠を処分される可能性を危惧したようだ。

 だけど、黒原さんは引かない。

「いえ、遠慮なさらないでください。私も手伝います」

 黒原さん、なんだか強引だ。どうしてこんなにも僕達と一緒に居ようとするんだろう?

「結構だ」

「いいえ、手伝います」

 白崎部長と黒原さんは、まるで睨み合うように無言で互いを見つめ合う。

「あ、あの!」

 僕が思わず声を上げた時、二階から誰かが下りて来た。

「なぁ、この中で酒を飲む奴居るか?」

「春日さん……」

 ふらついた足取りの春日さんは、大きなクーラーボックスを担いでいた。

「田沼さんと勝也さんと伊達さんは飲まないんだと。三人はどうだ?」

「いや、私は飲まないよ」「僕は未成年なので飲めません」「私も未成年なので飲めません」

 白崎部長、僕、黒原さんがそれぞれ応える。

「そうか。なら冷蔵庫にある酒、全部俺が飲んで良いよな」

 春日さんは厨房へ入り、しばらくすると出て来た。その手にはクーラーボックスの他に開いた缶ビールも握られている。

「製氷機に氷が全然入ってなかったぜ。全く……」春日さんはぼやく。

「二階で飲むのかい?」

「ああ、此処じゃ怖くて飲めないからな」

 春日さんの顔は真っ赤だ。もうかなりの量を飲んでいるに違いない。

「春日君はあまり酒が飲めそうな人には見えないが、大丈夫かい?」

「飲まないとおかしくなりそうなんだよ」

 春日さんは缶ビールをゴクリと飲んだ。

「ちくしょう……」

 頭を押さえながら、春日さんは涙を流す。

「なんで、飯田が……なんで……ちくしょう、ちくしょう」

 哀しそうに涙を流す春日さんを見て、僕はもしやと思った。

「春日さん、ひょっとして飯田先輩が好きだったんですか?」

「——ッッ!」

 春日さんは一瞬、言葉に詰まる。それから、か細い声で「ああ」と頷いた。

「俺は飯田が好きだった」

 春日さんはまるで独り言のようにポツリ、ポツリと話す。

「飯田はいつも笑顔で明るくてさ、誰にでも優しいんだよ。困っている奴は必ず助けてたし、悩みを聞く時は自分の事のように親身になってた」

 それは、いつも部室で見ていた飯田先輩そのままだった。僕の前でも飯田先輩は明るく優しかった。

「この島に来たのもさ、ひょっとしたら少しでもあいつと仲良くなれるんじゃないかって思ったからなんだ。だけど、実際島に来たら緊張でほとんど話せなかった。それどころか、熊に襲われたらビビって何も出来ないし、別荘に戻ってからはみっともなくわめき散らすばかり。おまけに見当違いな事を言って飯田を怒らせる始末だ。へへっ、最低だろ?」

 春日さんは『山本さんを殺したのは、熊に襲われて死んだと思われていた誰かじゃないか?』と発言して、飯田先輩を怒らせていた。春日さんにとっては、あれが飯田先輩と言葉を交わした最後の会話になったのか。

 好きな人と最後に交わした会話があれでは、あまりにも悲しい。

「俺は……好きな女を守れなかった。守れなかったんだ。くそっ、くそ!」

 心底悔しそうな表情で、春日さんは僕達に訊いた。

「なぁ、飯田は自殺したと思うか?それとも殺されたと思うか?」

 僕は部長と目配せする。春日さんも容疑者の一人だ。重要な事はまだ言わない方が良いだろう。だけど、黒原さんが春日さんの質問に答えてしまった。

「雨音さんと白崎さんは、殺されたと考えているようです」

 ビールを飲んでいた春日さんの手がピタリと止まる。

「本当か?」

「は、はい」

 誤魔化した方が良かったのかもしれないが、春日さんのあまりの迫力に気おされ、僕は正直に答えてしまっていた。

「僕達と白崎部長は、飯田先輩は殺されたと思って調べています」

「犯人は分かったのか?」

「いえ、それはまだ」

「そうか……」

 春日さんは缶ビールの中身を一気に飲み干す。

「じゃあよ。もし飯田を殺した奴が分かったら、教えてくれないか?」

 春日さんは、ニヤァと唇の端を歪める。

「犯人は刺し違えてでも、ぶっ殺してやる」

 その目は狂気に満ちていた。

 本気だろうか?本気で春日さんは犯人を殺したいと思っているのだろうか?

 だとすると、春日さんは犯人じゃない事になる。でも、これが演技の可能性だってある。春日さんの怒りが本気なのか、演技なのか、僕には判別出来ない。


「ゴホッ……ゴホッ……」

 その時、春日さんに続いて伊達さんも二階から下りて来た。

 だけど、なんだか様子がおかしい。

「伊達さん、どうしたんです?」

「ゴホッ……ゲホッ……」

 伊達さんは激しく咳き込んでいる。そして、その顔はまるで血のように赤かった。

 でも、春日さんみたいにお酒を飲んで赤くなってるんじゃない。さっき春日さんは言っていた。お酒を飲むか皆に訊いたけど、飲むと答えた人間はいなかったと。

 伊逹さんはお酒を飲んでいない。

「ガハッ……ゴホッ……ゲホッ……」

「だ、伊達さん。大丈夫で……うわっ!」

 伊達さんは僕を突き飛ばして走る。白崎部長、黒原さん、春日さんの横をすり抜けた伊達さんは、あろうことか玄関のドアを開けて外に出てしまった。

「そんな!伊達さん!」

 窓から外を見る。外に出た伊達さんは、地面を見ながらフラフラと歩いていた。このままじゃ危ない。

「早く連れ戻さないと!」

「駄目だ!」「もう間に合いません!」

 外に出ようとした僕をまたしても、白崎部長と黒原さんが止める。

 喉を押さえながらフラつく伊達さんに、三頭のツキノワグマが襲い掛かるのが窓越しに見えた。首を噛まれた伊達さんの体があっという間に鮮血に染まる。


 三頭のツキノワグマは、動かなくなった伊達さんをその場でゆっくり貪り始めた。

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