第34話 忍でござる

「ただいま」

「あ、おかえり旦那様……え、旦那様!? 何その頭! 真っ赤な髪……わりとってか、めっちゃアリアリです!」

「え!? 赤髪の旦那サン!? 解釈違いっスけどそれもアリですが、何で!?」

「パミー!!」


 アルザが帰ってくるなり、リンネもナナも仰天していた。

 それもそのはず、アルザの白いローブはボロボロになり、その上髪が真っ赤になっていたのだ。


「ちょっとな。とんでもない依頼だった」

「そ、そうですか。で、でもなんで髪が?」



「――ふむ、なるほど。その赤髪。ライラ=イザヨイと同じだ。つまり秘伝を使ったか」



 荒れた店内で、カウンター側に置かれた椅子に座りゆっくりと茶をするる老爺がいる。

 アルザは特に怒りも驚きも見せず、彼を見据えていた。

 自然とリンネを抱き寄せ、ナナの手を引いて背に回らせる。

 そしてタワシちゃんに目配りをすると、タワシちゃんは何かを感じ取ったのか、ススっとリンネの頭に乗っかった。


「アカヘビ様」

「久しいなアルザ。あの夜ぶりか」

「旦那様、アカヘビ様が助けてくれたんです! 私、もう少しで押し倒されるところでした!」

「そ、そうッス。あのお爺さんが――あの、旦那サン? なんでそんなに怖い顔してるんスか?」


 アルザは答えない。

 ただただ、ジッとアカヘビを見据えている。

 その目は氷の目を通り越して、もはや憎悪のようなものを浮かべていた。


「何か、しましたか」

「当然」


 よく見ると、カウンター側に二つ灰の山がある。

 アルザはすぐにそれが人のものだとわかった。

 店内の荒れ方を察するに、リンネは教えた通りのトラップで半分以上のニンジャを迎撃したのだろう。

 だが彼女も戦いに慣れていない。東の国の言葉で「勝って兜の緒を締めよ」という言葉のように、勝利の後に最も大きな隙ができることを知らないのだ。

 そうして後詰のニンジャに見つかったところを、アカヘビが助けた。


 否。


 恐らくアカヘビは自分の部下を――最も、この時点で部下たちは失態を犯しているので処分という意味もあるのだろうが――あえて殺すことで、リンネとナナの信頼を勝ち取った。

 多分、それだけで終わるはずがない。

 この老獪なるアカヘビがそれだけで終わるなどとは。

 

「この子たちは関係ない」

「策には必要だ」

「そこまでして秘伝が欲しいですか」

「無論である」


 パチン、と。

 アカヘビが指を弾く。

 すると彼の手には火の玉。

 ゆらゆらと鬼火のように揺れると――


「――」

「――」

「パミャ?」


 リンネとナナが突然静かになった。

 アルザがハッとして振り返ると、二人はまるで人形のように動かない。

 感情も何も浮かばない、無の顔だ。


「ほおう。流石はイエロードラゴン。幻術にも耐性があるとはな」


 幻術というのは恐らく、炎を使った催眠なのだろう。

 彼が部下を燃やした時に仕込んだもの。この火の玉はトリガーだ。

 人が燃えるという事と、助かったという心のスキマ。

 そこに入り込むように放った技に、リンネもナナも完全にハマってしまったのだ。

 

「人質、という事ですか」

「人質という程でもない。貴様が逃げないようにするだけのよ。無論ニンジャなら見捨てて逃げるだろう。だがアルザ、貴様は今やニンジャに非ず。そうだな?」

「卑怯とは言いません。それがニンジャですから。ですが言わせて頂きます。この子たちにこれ以上なにかしたなら、

「良き面構えだ。いざとなった時の盾にもしようかと思ったが――それに免じて、これ以上は手は出さぬと約束しよう」


 ゆっくりとアカヘビが立ち上がる。

 その顔は柔和なもの。優しい老爺だ。

 そう、彼はいつもそうだ。

 あの評議会で淡々と議事を取り仕切っていた時もそう。

 周囲の上忍が怒鳴り訝しむ中で、まるで中立だと言わんばかりの顔。

 アルザが追放の折、罪悪感すら感じたのはこれのせいでもある。

 何故野心ある彼に人がついてきたのか。

 何故、上忍たちが書類を信頼したのか。

 そして何故、上忍たちが念入りに調査をしたのか。

 これも彼の策。

 アルザの教え子たちもさぞ驚いただろう。

 だからこそ確信を持って陰謀であると訴えたのだ。


「目的は先に言っておこう。全てはイザヨイに至るためである」

「貴方も師に何かされたのか」

「否。悲願を叶えるためよ」

「悲願?」

「……少し、場所を変えようか。焼くには忍びない店であるからな」


 そう言ってアルザの側を通り過ぎ、外に出ていく。

 殺気はなかった。こちらに危害を加えるようには見えない。

 だが、そのままついていかずにリンネとナナを抱えて遠くに逃げたなら、二人に仕掛けられたであろう何かが彼女たちを傷つけるのはわかる。

 どうやらアルザは、言われたままアカヘビについて行かざるをえないようだ。

 これだけの為に店を襲い、部下を焼いたのか。

 目的のためなら手段を選ばない、ニンジャの振る舞い。

 仲間の命すら達成のための手段に組み込む、倫理観モラルが裸足で逃げ出すそのやり口。

 アルザは反吐が出そうだった。


「タワシちゃん、二人を頼むぞ」

「パミー!」



 ★



 アルザの目の前に広がる墓場は王国とギルドが共同出資されているので、意外と綺麗だ。

 順路はしっかりと整備されていて、クランごとの区画や合葬式の大きな墳墓まである。

 アルザとアカヘビは月夜の中、薄暗い魔力灯に照らされた正面広場に二人きりでいた。

 間合いはニンジャスケールで一〇間つまり一八メートルほど。

 二人で示し合わせたわけではないが、自然とこのくらいに離れた。

 それは剣で言う一足一刀の間合いが、ニンジャではこのくらいという事なのだろう。

 

「街の暮らしはどうだ?」

「優しい声でそう問いかけないで頂きたい。貴方に聞かれる筋合いは無い」

「これは嫌われたものだ。お前もニンジャ社会に苦しんでいたのだ、追放されて良かったと、そう思っているのでは無いのか?」


 騙されるなとアルザは自分に念じる。

 ニンジャとはその言葉の端々に至るまでが全て術である。

 嘘八百など生易しい。千も万も欺瞞ぎまんを重ねて、必ず結果を残すのである。


「お言葉ですが。私はいずれイザヨイに至りあのような場所から出ていた。恩着せがましく言わないで頂きたい」


 以前のアルザとは全く違う、自信を滲ませた答えだった。

 むしろ、その自信が力と一致して並々ならざる覇気を纏わせている。

 アカヘビはそんな獣じみた姿にフン、と鼻を鳴らす。

 

「なるほど。あのライラの弟子であるな。組織人としては失格だ」

「組織人? 部下を捨て駒にしてそれを言いますか。笑わせますね」


 ヒュ!


 手裏剣を放ったのはアルザだった。

 会話の隙間に隠れた投擲。

 真なるイザヨイとなった今、その投擲とうてきは全く見えないものになっている。

 ほぼ不意打ちのような一撃だが、アカヘビはただただ目を瞑るのみ。

 

 ジュッ!


 眼前に迫っていたはずの棒手裏剣が、突如として落ちた。

 その先端は赤熱して、僅かに溶けている。


「! 火遁の! なんてレベルだ!」

「このアカヘビ、お前が投擲とうてきスキルを極めるのと同じように火遁を極めておる」

「無詠唱に至る、名高いアカヘビの火遁ですか」

赤壁の術レッド・クリフ。今、我が周囲には見えざる超高熱の幕がある」


 恐るべき防御法である。

 見えない壁に阻まれるというのは、防護魔法と透明魔法の複合でなんとかできるレベルだ。

 しかしアカヘビはそれを無詠唱でやり遂げている。

 流れ星が落ちる時に赤熱し、崩れ星屑となって地上に降り注ぐように。

 彼への投擲は全て熱の幕に阻まれて無効化されてしまう。

 アルザのような飛び道具を主体とする相手には天敵と言ってもいい。


「我も歳を取った。あまり飛んだり跳ねたりは――」


 バッとアルザが飛ぶ。

 やがてアルザのいた場所に巨大な炎の塊が通過する。

 炎の塊は背後の墓石に着弾、破裂した。

 着地したアルザは即座に構えを取る。

 獣とも思える体を低くしたイザヨイの構えだ。


「――できぬのでな。当然このような戦い方になる。晩年になりようやく完成された闘法だ」


 絶対防御の光熱の幕をまとい、その場から動かざるとも岩をも破壊する火炎を放つ。

 これが上忍筆頭のアカヘビ必殺の赤壁の術レッド・クリフである。

 そこにいるだけで炎の要塞と化すその力は、騎士の軍団に匹敵するものだ。

 噂では聞いてはいたが、そのあまりにも完成された戦い方にアルザも冷や汗が流れる。

 遁走術や身体強化、そして毒を用いる彼の戦い方では切り崩すのは至難の業。

 それこそ真反対の冷気を操る上忍か、水や氷魔法専門の魔術師小隊でないと太刀打ちができない。

 だがふと、そんな彼がなぜ秘伝を求めるのかという疑問が湧く。


「我が炎は解っていても避けられるものではない。それを軽々とよけるイザヨイの妙。欲しい。是非とも欲しい!」

「それで十分ではないですか」

「言っただろう。この身はもう老いさらばえた。修行や薬効で若さを保つも限界よ」

「老いを嘆きますか」

「お前には解らぬだろう。研鑽に研鑽を重ねようやくたどり着いたこの境地。だが気づけば髪も無くなり髭も白く成り果てていた。先も言った通り、昔のように飛んで跳ねたりができぬ。口惜しいことにな」


 つるりと頭を撫でるアカヘビ。

 その顔は悲痛にまみれたものだった。


「神は残酷なものだ。これからという時にこそ時が無い。もう十数年若ければ、我が本部の覇権を取っていたものを」

「だからイザヨイの。この力を」

「最初は無理だと思っていた。流石のイザヨイ、秘伝はニンジャの想像を超える複雑な術式なのだろうと。しかしお前の前の代、会得したのはのニンジャだった」

「――!」

「調べてみると、イザヨイとなった者たちはおおよそ毒に長け、秘伝を通じて魔人に似た強さとなる。毒は転じて薬と成る。故に秘伝、つまり薬かレシピがあると思っていた」


 そこに至る執念は本物なのだろう。

 現にアカヘビの調査は正鵠を射ていた。

 まさに蛇のようなその執着心に、アルザは背筋が凍った。


「ふふ、下忍のような諜報コトをすると――無様だと嘆くか?」

「いいえ。ですが、やり方が気に食わない。俺を追放はまだいい。アオマシラのような下衆を焚き付けて仲間を屍人にした挙げ句、幻術のために部下をも焼く――地獄の裁判官も目を覆うでしょう」

「何を言うか。血河屍山を気づいてこそのニンジャよ。貴様の師もそうだろう。貴様がそう成り得たのも、モンスターの死体の山にあるからだろう?」

「知った口をきかないで頂きたい。お師匠様は貴方とは違う」

「違わぬよ。力に溺れ力に酔い、そうしてあのように傲岸不遜になったのだろう」


 前ならそうだと思った。

 今は否と言える。

 

 ――恐らくは、師もかつては自分と同じだったのではないか。

 

 秘伝は己の爆発的な感情に伴って作用するものだ。

 ライラ=イザヨイに何があったのかは解らないが、ただただレベルを上げて強くなったのではなく、何かを乗り越えてあのような形の自由を手に入れたのだろう。

 そこに至る道は、彼女のまさに傲慢とも言える性格の裏返しと考えれば納得だ。

 そんな彼女をただ力のあるもの才のあるものと嫉妬を向けるアカヘビが、何だか小物に見えた。

 アレだけ恐ろしいと思っていた上忍がだ。

 自然と口角が上がる。


「その顔。ライラとソックリになったな」


 それを認めたアカヘビが苦々しく吐き捨てた。


「終わりにしましょうアカヘビ様、いや嫉妬に塗れたクソジジイ」

「!」

「アンタがどんな苦労したかは知らないけど、取り越し苦労だったな。あんたの今までの失敗はつまるところ、どうにもならないことへの諦めの悪さだ。ざまぁ見ろ」

「……師も師なら、弟子も弟子だな。このケダモノが」


 アルザが腰から鞘ごと刀を抜くと、最後の縞模様をパン、と叩く。

 そうして流れ出た属性付与オイルは、名刀『典雅丸』に三度力を与える。

 スラリと抜かれた刀身には霜が宿る。

 白い煙は周囲の空気を凍らせて発生したものだ。


氷精霊セルシウスの刃。熱には冷気か。その単純な考えで我が火遁に勝てると思うのか」

「アンタにはこれで十分だ」

「舐めるなよ小僧!」


 ビキビキビキ、とアカヘビのこめかみに青筋が立つ。

 いよいよ以てアカヘビの表情が憤怒のそれになった。

 伴って周囲の熱気が増し、アカヘビの立つ場所の石畳を熱で赤く染めた。


「舐めてるよ。ぜんっぜん負ける気がしない。自分の欲望に染まった魔を帯びた忍者タイマニンジャに、イザヨイが負ける道理など一つもない」

「その言葉、飲み込めないぞ。炎の中で詫びても遅い」

「それはこっちのセリフ。アンタは俺の大切な人を傷つけた。その鬼畜な所業、高くつくからな」

 

 

 ――しくも今宵は満月。

 あの評議会の夜と同じ月である。



 対峙するのは二人のニンジャ。

 片や追放をされたことでイザヨイに至りしニンジャ、アルザ=イザヨイ。

 片や追放を皮切りに、欲望の果てに外道の炎と成り果てたニンジャ、アカヘビ。

 二人とも信念も生き様も真逆ながら、同じイザヨイの月に導かれし者たちである。

 もはや言葉が在る場ではない。

 負けた方がただ死ぬだけの世界。

 どちらがイザヨイであるのかは、生き残った方がうそぶけばどうとでもなる、どうしようもない血河の先、屍山の頂き。

 これを愚かだとあざけるものはあざけるといい。

 おぞましいと思ったなら目を背ければいい。

 だが彼らは確かに己の信念を刃に変え、心の上に置いて生きていた。

 その輝きは、漫然と生きる者たちが穢して良いものではない!

 

 ――東の国では、ニンジャを心の上に刃を置く『忍』と書く。

 ――なるほどどうして、ニンジャとは罪深くも鮮烈に生きる化生なのだろう。


 時は満ちた。

 そこに立つは獣か人か。

 双方、秘めたる思いは刃に変えよ。

 存分に心を斬り合うがいい。

 いざ、いざ、尋常など投げ捨てて――勝負!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る