第2話 五十七番目の症例患者

「県内五十七例目となる、新型ウイルスの感染者が確認されました。新たに感染が確認されたのは、映画館に勤める二十代の女性で、現在入院中とのことです。市は女性の行動歴の確認を急いでいます。働いていた映画館は、女性が陽性と判明した翌日より臨時休館中です」


 五十七番目の女か。匿名とはいえ、自分がこんな形で全国に報道される日が来るとは思わなかった。もし実名報道されていたら、もの凄い攻撃を受けてしまうんじゃないか。そう思うと、感染したことを自ら公表する一部の著名人たちは勇気がある。その中には、私が好きな映画でよく見る俳優たちもいた。当然、会ったことなどないが、一方的でも自分の知る人が同じ症状であることには、何か勝手に戦友のような意識を感じてしまう。共に早く回復しよう。


「市の担当の人にも説明したんですけど、海外なんて行ったこともないし、普段からマスクも手洗いも徹底してます。本当にわからなくて……」

「北浦が悪いわけじゃないから気にしなくていい。劇場は臨時休館中だが、しばらく様子を見てから再開するつもりだ。君は回復することだけを考えて」


 電話で支配人と話をした。私が働く映画館は、三つのスクリーンを持つミニシアターで、客席数は一番小さいところが約五十席、大きいほうは一〇〇席程度だ。開館してから一〇年くらい経つ。いまの支配人は五十台の男性で、二年前にホテル業界から転身してきた。ミニシアターながら、映画の特色に合わせた応援上映等のイベントや映画館独自のセレクションによるオールナイトを企画したりと大手シネコンに囲まれる中、気を吐いている。私も歳は若いが、いまのスタッフの中では古参のほうで、イベントなんかの仕切りを任されてもいる。


「あと、言いにくいことだが先に伝えておきたい。北浦を含めたアルバイト契約のスタッフには、休館中の給与は支払えないんだ。本当に申し訳ない。普段も経営が苦しい中で、この状況だから……」と支配人は慎重に言葉を選ぶように、ゆっくりした口調で言う。

「仕方がないと思います。少なくとも私は何も言える立場ではありませんし」


 元々、映画館なんて儲かる業種じゃない。大手ではなく、小規模のシアターなら尚更。それでも携わり続ける人がいるのは、やっぱり映画への思いなんだろう。平時でも厳しいのに、今回の追い打ち。ダメージを受けたのは映画業界だけじゃない。涼子も旅行会社から内定を取り消されてしまった。


「前に結衣が勧めてくれた韓国映画の『悪女』、観たよ。外には出られないからDVDの郵送レンタルで。専門的にはなんて言うんだろ、最初の、ずっと主人公の視点で進んでいって、どんどん敵をやっつけていくところが凄いなあって」

「<POV>って言うんだけど、別に覚えなくていいよ。そうだね、あの映画は途中、昼ドラみたいにタルい展開もあるけど、最初と最後のバトルは見物だよね」

「うん、急に主人公の性格が変わったみたいで、あれって。でも、面白かった。暴力的なシーンが多くて、ちょっと恐かったけど。こういう世の中の空気だからって、変に絆や希望がどうこうとか逆に違和感があったりするし、少しスッキリしたよ。他の韓国映画も見てみようかな」


 指定の医療機関に入院中、涼子とは何度も連絡を取り合った。彼女には何度謝っても足りない。私の陽性が判明したあと、同僚は皆、検査を受けて結果は陰性。涼子にも症状はなかったものの、一人暮らしの私の周囲では彼女だけが十四日間の自宅待機を要請されてしまったのだ。お互いの家を行き来して、同居と変わらぬほどに身体の接触があったためらしい。


「そんな気にしないでいいからね。大学も卒業して、内定もなくなったからやることないし。トイレットペーパーとティッシュもこの前、買えたから大丈夫」

「ありがとう」


 涼子の気遣いに救われる。


「また面白そうな映画があったら教えて。POVだっけ? 覚えちゃったよ。あの撮り方が気に入ったから、それ系のやつとか」

「オッケー。白石晃士っていう、POVというか、フェイクドキュメンタリーの映画をよく撮ってる人がいて、すごく面白いんだ。今度また話すよ。そろそろ食事の時間だから」

「しっかり食べて、免疫力をつけてね。私もイベントに戻ろうっと」

「イベント? 外出できないし、それにイベントなんてどこも自粛なんじゃない?」

「ああ、オンラインゲームの話。結衣はゲームやらないもんね」

「そっか、ゲームは自粛なんて関係ないからいいね。運営とか開発してる人たちはテレワークとかで大変かもだけど」


 涼子はゲーム好きで、去年までオンラインゲームのカスタマーサポートのバイトもしていた。いまの時代、遊びや文化も多様になっている。映画もこのご時世を踏まえて、劇場公開とネット配信を同時に行う事例も増えている。映画館側の興行としては苦しいだけだが。


「じゃあ、またね」と言って、涼子は電話を切った。


 食事を終え、スマホを見ると、メッセージが着ている。職場の先輩からだ。それにはこう書いてあった。


「お前のせいだ」


(続く)

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