第18話 スレイン法国にて

 スレイン法国の首都において、水の神官長ジゼディーヌ・デラン・グルフェは、珍しい客を迎えていた。

 六大神の神官長は、一堂に会する会議が定期的に開催されることもあり、互いに個人的な交流はしていない。神殿が全ての権力を握るこの国において、神官長通しの接触は思わぬ憶測を呼ぶものだ。


 水の神殿にわざわざ訪ねてきて、最奥の部屋に通されたのは、40代半ばの精悍な男だった。

 土の神官長レイモン・ザーク・ローランサンだ。


「珍しいなレイモン。掟を破ってまで個人的に会いに来るとは。何があった?」


 土の神官長が対面した椅子に腰掛けると同時にジゼディーヌが尋ねると、男はぐっと身を乗り出してきた。


「掟で禁じられている訳ではありません」

「明文化されておらんだけじゃ。皆が守っておる。それは、もはや掟と呼ぶしかあるまい」


「ジゼディーヌ老が個人的に動かれたのは、その掟には反さないのですか?」

「知っておったか。なに、自分の目で確かめたかったのよ。所詮は老いぼれの身、何が起ころうと惜しくはない。むしろ、かの国を攻め落とす大義名分になれるのなら、安いものだ」


「やはり……それが狙いですか」

「ここに来たのは、わしを責めるためではあるまい。何を聞きたい?」

「北の高原で、法国の民兵五万が全滅、死体すら残らず……ゴブリンたちの食料として持ち帰られたとわかりました」


「ああ……知っておる。先日の会議で報告があったな。死体が残らないというのは、見舞金を出すのを遅らせる理由に使用できるが、同時に生死を確認するための兵を送らねばならん。そう結論づけたはずだったな。いずれにしても、ゴブリン王国との全面戦争は避けられん。もとより戦うしかなかった国と、正式に戦端を開いた。ただ、それだけのことよ。それについて魔導国も沈黙しておる。状況は悪くはあるまい」


「その後、辺境の街が1つ……さらに徐々に南下し、確認できているだけで、3つの街が壊滅しました」

「……まことか?」

「はい」


「ゴブリンの大軍は王国と決めた地に戻ったのではなかったか? 風花聖典が確認しておるはずじゃろう」

「ゴブリンの大軍……オーガとトロールも含まれていますが、およそ二万の軍勢は戻りました。ただ、別動隊がいたようです。凄まじい進軍速度で……瞬く間に4つの街が壊滅し、生存者もほとんどおりません。徹底的に破壊し尽くされるため、情報が届く前に次の街が襲われる始末です」


「目的は? 奴らは一気に、都を落とすつもりか?」

「それがわからないから、こうして訪ねて来たのです」

「なぜ、わしに?」


「占星千里が覗き見ました。さすがにゴブリン王国まで、厳重な魔法の防御をしてはいないと判断いたしまして。その結果、別動隊はおよそ5000のゴブリンたちです。その首魁と思われるのは、ゴブリン王国の女王として即位した人間です」

「エンリ・エモットか?」


「はい。噂では、血塗れの2つ名で呼ばれる覇王だとか。ジゼディーヌ様は直接お会いになられたはずです。あれは、何者ですか? 何を考えているのですか?」


 レイモンの顔には余裕が見られない。行方不明になった人間たちが、最悪の予想として全て死亡している場合、当然首脳部の責任問題だ。だが、このまま放置すれば、さらに深刻な被害が生じるかもしれない。


「わしが会ったのは……どこにでもいる、ごく普通の村娘だった」

「そんなことがありえますか?」

「事実だ」

「では、そのごく普通の村娘が、今後どう動くか……水の神官長はどのように読まれますか?」


「さあのう。だが……わしが面会を求めた時、周りのゴブリンたちを実によく統率していた。漆黒聖典の一人が囚われていたのう。ゴブリンたちの見世物にされておった」

「奪還しました」


「知っておる。先日報告があったとおりじゃろ。ゴブリン王国の被害は、ゴブリン3000人だったそうじゃ。あの者の能力を考えれば、少なすぎる被害じゃろう。人間の都市であれば壊滅していたはずじゃ。だが、その住人が全員兵士であり、死兵として戦ったならば、人間であれば最も少ない被害で済ませることもできるだろう。自分が死ぬことを構わず突進し、その仲間が目の前の死を無駄にせず仕留めようとしたなら、人間であれば数百も被害を出さずに仕留められるだろう。あの娘の恐ろしさは……ゴブリンたちを本心で信頼し、心配しておることじゃ。その娘のためにゴブリンたちが死を恐れずに戦い続けるなら……手強くて当然じゃろうな。法国の正規軍でも敗北があり得よう」


「私が知りたいのは……」

「わかっておる。決して侮るなと言いたかっただけじゃ。残念じゃが、わしにはどうしてあの娘が攻めてきたのかわからん。わしの知っているあの娘であれば、一戦した後はすぐに引いたのではないかと思う。自ら戦いを求めるほど血に飢えているとは思えなかった。済まんな……力にはなれん」


 ジゼディーヌは、小さく嘆息した。最初は、簡単な相手と侮っていた。だが、最初の民兵50000の中には、退職した漆黒聖典の復帰組も何人か潜伏させていたのだ。


 長年漆黒聖典として国を守ってきた実力者が生還もできないというのは、腑に落ちない。ゴブリンだけではないとは思っていたが、あまりにも結果が予測と違う。

 対する土の神官長は、小さく首を振った。


「いえ……今日は来てよかった。おそらく……その娘、エンリ・エモット一人が問題なのでしょう。一人だけが問題であるということであれば、打つ手はいくらでもある」

「……あの子を使うか?」


「まさか。評議国が黙っていないでしょう。漆黒聖典……彼らに作戦を任せるとします」

「……そうか。ならば、もはやわしが口を出す段階ではあるまい。頼むぞ。人間の存続のためだ」

「承知しております」


 土の神官長レイモンは、静かに頭を下げた。


 ※


「チーーッス、あっ、いたいた。どうして隠れるっすか?」


 シクススの背後に突然現れて、聞き知った女の声が呑気に言った。

 聞き知ってはいたが、緊張して隠れているところにいきなり背後で大声を出されては、驚いて当然だ。驚きのあまり、地震でもないのに机の下に隠れてしまったほどだ。


 シクススはデミウルゴスに乗せられて、スレイン法国に侵入したナザリックの一般メイドである。仲のいいリュミエール、フォアイルも一緒だ。

 突然声をかけて来たのは、声で判断したとおり、赤い肌に赤毛が印象的な美女、戦闘メイドプレアデスの一人、ルプスレギナ・ベータだ。信仰系マジックキャスターとはとても思えない性格をしている。


「だ、だって……突然背後にあらわれたら、びっくりするじゃないですか」

「あれぇ? ちゃんと事前に声をかけたんすけどねぇ……」

「……嘘。スキルで気配消していた」

「あっ、シズちゃんもいたっすね」


 ルプスレギナは今気づいたように顔をしているが、初めから知っていたに違いない。


「そ、それで、どうなさったんです?」


 シクススたちがいるのは、スレイン法国の首都に最も近い都市の食料倉庫だ。 シズを含めて誰も料理スキルを持っていないため、材料のまま食べることもあったが、好きなだけ食べていいとデミウルゴスからお墨付きを得ている。

 最も、スレイン法国側には一切の許可は得ていない。そのために、シズがいるのだ。発見されたら、力技で押し切るためである。


「喜んで欲しいっス。新しい任務っス」

「……帰還命令じゃないんですね」


 フォアイルが肩を落とした。ナザリックのために働いていとはいえ、憧れのシズ・デルタとずっと一緒だとはいえ、この任務は辛い。食料が大量に食べられるのはいいが、あまり美味しくないのだ。

 それに、一般メイドは全員レベルを1に設定されている。つまり、戦えば人間より弱い。ナザリックの外に出ていること自体、やはり恐ろしいのだ。


「でも、いい任務っスよ。何しろ、軍資金を預かっているっス」


 ルプスレギナが、懐から膨らんだ皮袋を取り出した。ごつごつしたものが一杯に詰まっているようだ。シクススは目を見開き、息を飲んだ。


「……お金ですか?」

「交金貨っス。デミの旦那が聖王国で稼いだものっスから、気合を入れて使うっス」

「デミウルゴス様……やはり私たちのこと、見捨てていなかったんですね」

「相手は悪魔、死んじては駄目」


 シズがぽつりと言った。その通りだ。シクススは伸ばしかけた手を引っ込めようとした。その手を、素早くルプスレギナが捉える。


「シズちゃん、駄目っスよ。どの道、3人には法国の首都に行ってもらうことになるっス。どうせなら、美味しいものを食べた方がいいって親切心っスよ」

「スレイン法国の首都……入れるんですか? それに……何をするんでしょうか?」

「それなら心配知らないっス。準備は万全……シズちゃんに協力してもらうっス」


 言いながら、ルブスレギナはアイテムボックスからシクススたちが最近見かけるようになった服を取り出した。


「これは……」

「スレイン法国は、六大神ってのを信じているッス。これは……どれか忘れたけど、神官の衣装ッス。3人は、私の使用人ってことでついてきてもらうッス。シズちゃんは、首都の城門の門番を狙撃してもらうっス。人間たちはほとんど第五位階の魔法は使えないっスから、私が狙撃されて死んだ門番を復活させれば、偉い神官様だと思って通してくれるはずっス。中に入れれば、あとは問題ないっス。デミの旦那がくれた金で、食いまくるだけっス。法国を食い尽くせ。そう言われてるッスから。聖王国で牧場がうまくいって、交金貨がたくさん手に入ったらしいっスから、遠慮はいらないっス」


 ルブスレギナの話を聴くうちに、シクススは口の中一杯に唾液がたまってしまった。

 見れば、フォアイルもリュミエールも目を輝かせている。

 一人、冷静に尋ねた。


「……私が入れない」


 シズだ。確かに、ルブスレギナが語った作戦では、シズは遠方から狙撃するのだ。それでは、シズ本人が入れないことになる。


「大丈夫っス。シズちゃんは、ワンパンっス」


 シクススには、ルブスレギナが何をいっているのかわからなかったが、シズは理解出来たようだ。


「わかった」


 シズは静かに答えると、それ以上は何も言わなかった。


「じゃあ、出発は明日っス。食いまくるっスよぉぉっっ!」

「おお〜っ!」

「誰かいるのか?」


 食料倉庫の扉が開き、5人は素早く物陰に隠れた。

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