第24話 傍に

「タカテラス」

「うん?」

「君は……いつ帰るの?」


 自分の腕の中にいる少年を見下ろすと、空色の瞳が不安に揺れていた。タカテラスはふっと笑うと、あえて明るい口調で「実は決めてないんだ」と言う。するとヒナタは目をまんまるにして、彼に迫った。


「それはどういうこと? 君のことだから家族はいるだろう? もしかして家出? 奥さんと上手くいっていないの?」


 矢継ぎ早のおかしな質問に、タカテラスはぷっと噴き出すと、声を出して笑った。


「あはははは! これは驚いた! あははははっ!」

 暗がりで分かりにくいが、ヒナタの頬が赤く染まったのが分かる。

「なっ、何で笑うんだよー! こっちは心配して言っているのに!」

 タカテラスは、笑いが収まってくると謝った。

「あーごめん、ごめん。ヒナタ、面白いこと言うね」

「僕は全く面白くないね!」


 タカテラスから少し離れて、ふんっ! と腕を組みそっぽを向くヒナタに、タカテラスは自身の笑いの涙を指で拭いてから、優しくそして真っ直ぐに言った。


「俺には村に家族がいるよ。妻とは上手くいっていたし、子どもも3人いる。だから本当のことを言うと、君を探して如雨露を返す旅には反対されていた。いつ帰れるか分からないから」


 視線だけをタカテラスに向けたヒナタの表情は、彼が決めたことを非難しているかのようである。


「……反対されたのは無理ないと思うよ。家族だもの」

 タカテラスは目を細めて頷く。

「うん。そうなんだけど……、でも俺はずっとヒナタのことが気になっていていたんだ」


 するとヒナタは腕を組むのを止め、タカテラスをじっと見た。


「お礼のこともそうなんだけど、ヒナタがいなくなる前に、俺にしてくれたことがあっただろう?」


 それは22年前の別れ際に、ヒナタがタカテラスの額にキスをしたことを言っている。そのことを言われ、ヒナタは感情を引っ込め、表情を硬くした。


「特に意味はないよ」

「そう?」


 淡々と言うヒナタに、タカテラスは優しく言った。


「俺はそうは思わなかった。何かとても大きな気持ちがそこにあったんじゃないかって。俺は22年もの間、空を見るたびに君のことを考えていた。子どもの君が、傷の手当てをしてあげただけの俺に、どうして『雨を降らせる如雨露』を渡してくれたのか分からなかったんだ。よく考えてもみなよ。そんな素晴らしい如雨露があったら、誰だって欲しがると思うんだ。今は特に、各地で天候不順が問題になっている。雨が降らない土地もあって、作物が育たない話も聞く。つまり、それを高額な値段で俺に売りつけたって良かったんだ。でも、ヒナタはそうはしなかった」


「……それは僕の罪滅ぼしでもあるから」


「うん……今ならそれも分かるよ。でも、俺はあんまり頭が良くないからさ。すぐにあの行為の意味に気づかなかったけど……君は俺に託したんじゃないか? ヒナタが出来なかった、幸福な人生を歩めるようにって……」


 するとヒナタは強張った顔は少しずつ解けていき、観念したように大きくため息を吐いた。


「あのときは……、どうしてもそうしたくなったんだ。最後に、僕のありったけの気持ちを渡したくて、そうしたんだよ」

「そっか……」

「嫌、だった?」


 戸惑いながら問うヒナタに、タカテラスはゆっくりと首を横に振った。


「不思議な気持ちだった。最初は意味を知ろうとは思わなかった。それは悪い意味じゃなくて、まるで雨が上がった空のように、透明感のあるもののように思えたから、ずっとそれを大切にしていたかったんだ。だけど年を経るにつれて、あれがとても重要なことのように思えた。あの小さな少年がどんな気持ちで、俺にあんなことをしてくれたんだろうって」

「……君はいつも人のことを考えているんだね」

「そんなことはないよ。ヒナタが俺にとって特別なんだ」


 タカテラスの言葉に、ヒナタははっとして目尻を下げた。


「……ありがとう」


 ようやく笑ったヒナタに、タカテラスはそっと言う。


「ねえ、ヒナタ」

「何?」

「もし君が望むなら、俺はここにいるよ」


 ヒナタの空色の瞳が大きく見開かれる。


「……いいの?」

「俺もヒナタの傍にいたいんだ。君が自分自身を責める理由は分かるよ。だけど、もう充分苦しんだと思わないか? せめて孤独から解放されたっていいんじゃないかな」

「タカテラスはそれでいいの? 僕と生活をするということは、魔法使い狩りにも会うことになるんだよ?」

「彼らは今でも君を追っているんだ?」

「僕を捕まえるまで続くと思うよ。この家は安全だけれど、でも……」

「怖くないと言ったら嘘になるけど、でも、俺は構わないよ」


 ヒナタはじっとタカテラスを見つめた。その瞳が揺れている。


(迷っているんだろうな……)


 タカテラスは思った。

 だが、長いこと孤独だった少年の隣に、少しでも自分が傍にいてやることで安らぎを得られるなら、それを選んで欲しいと思った。

 ヒナタが自分を助けてくれたタカテラスを思い、幸せを願うのと同じように、タカテラスも彼の幸福な人生を望んでいた。


「ヒナタ」


 タカテラスは迷っている彼に諭すように言った。


「人ってとても不思議で、大切な人が幸せでいると自分も幸せになれるんだよ。俺はヒナタが幸せであることを望んでいる。それは俺の幸せでもあるからだよ」


 するとヒナタは、顔をくしゃくしゃにし、再び大粒の涙を流して言った。


「僕の傍にいてくれないか、タカテラス――」


 タカテラスは優しくヒナタの背を撫でると、「もちろん」と言うのだった。


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