ep.04 すれ違い

 声を掛けてきたのは女子大生くらいの店員さん。営業スマイルにしては感情が籠ってそうな笑顔を浮かべている。


「お客様、もしよろしければプライズを移動させましょうか?」

「え……」


 笠松さんが声を漏らす。それから僕の腕を掴んで、と引っ張った。それから少しかかとを浮かべて背伸びをすると、僕の耳元で囁いてきた。

 

(ねぇ、どういうこと)

(UFOキャッチャーに苦戦してる人に対する救済措置として、店員さんが位置調整してくれることがあるんだよ)

(へぇ……なんだかただの好感度調整のようにも見えるけど)

(多分そうだろうね。取れなさすぎるのも問題だし。あと――)

(あと、何よ?)

(――あんまり耳元で囁かないで。吐息がこそばゆい)

「ばっ」

 

 笠松さんが僕の腕を突き放すようにして離した。怒り心頭といった風情で、顔を真っ赤にして鋭い眼光で睨みつけられるけど、今回は笠松さんが悪い。もう少し気を遣ってほしい。


「お客様、いかがします?」


 そして、僕らのやりとりを笑顔で受け流すあたり、接客業の鑑というべきか。店員さんは何もなかった風に再度問いかけてきた。


「えと、それじゃあお願いします」

「はいっ、かしこまりました」


 変にかっこつけてぐだぐだプレイするより、ここは素直に申し出を受け入れよう。笠松さんの要望に応えることが最優先で、自分の見栄なんぞどうでも良いのだ。

 店員さんは鍵を取り出して、位置移動の作業に入る。

 しかし、意外な申し出だった。UFOキャッチャーで店員さんがプライズの位置を取りやすいしてくれる場合があるのは知ってる。ただそれは何十回もプレイしている人だけではなかったか? たった6回しかプレイしてないのに助け舟を出してくれるなんてラッキーだ。

 

「はい、終わりましたよ。では、どうぞ」


 考え事をしている内に、店員さんの作業が終わる。

 明け渡されたUFOキャッチャー。ぬいぐるみは、あと1回ひっくり返せば落ちるくらいの場所にある。

 少し持ち上げてずらせば落ちるくらいの位置じゃないのが憎い。簡単に取れてしまうようにしてくれれば良いのに。

 とはいえ、近づけてくれただけでも御の字ではある。お礼を述べて、再度僕はUFOキャッチャーと向き合った。

 それを合図と見たのか、笠松さんも側面へと移動する。


「何回で終わらせるつもり?」

「1回で行ける?」

「位置が変わるから無理」

「じゃあ、6回で」


 500円を入れる。カランと金属音が鳴り、残回数を示すモニターには「6」と表示される。

 横移動のボタンに手を置く。


「じゃあ、始めるよ」


 ボタンを押し、1回目を開始する。

 さっきの位置感覚は通用しない。けれども、ノウハウは確かに僕らの中にある。

 正中線上にアームの腹が来るように、アームの横移動を終える。若干、ずれた。でも、許容範囲内のはず。

 次は縦移動だ。横移動のボタンから手を移し替える。


「行くよ」

「分かったわ」


 縦移動ボタンを押し込む。

 と音を立ててアームが動き出す。

 合図は直ぐだった。


「ストップっ」

「――っ」


 手を離す。だが、その位置はぬいぐるみから少し奥まった場所で止まってしまった。落ちるアームの腹はぬいぐるみの僅か後ろを空振りする。


「ごめんなさい。タイミング間違えた」

「しょうがないよ。距離が短くなればなるほど、タイミングは測りにくいものだし」


 ただでさえアームの軽くて早い動きは、タイミングの取り方が難しい。距離が短くなればなおさらだ。


「気を取り直して次に行こう、次に」


 横移動のボタンを押し、2回目を開始する。

 

「ストップ……っ」

「!」

 

 僕のタイミングがずれ、アームが中途半端に掠めるだけに終わる。

 失敗。

 3回目。


「ストップ!」

「――ッ」


 アームがぬいぐるみを掴む。けれど位置が悪かったか、十分に持ち上がる前に零れ落ちてしまった。

 失敗。

 4回目。


「……ストップ」

「――!」


 手を離す。歯車が嚙み合った、そんな感じがした。行けそうな予感がしたけど、やっぱり途中でぬいぐるみがアームから取れてしまった。


「今のは良かったと思ったんだけど、駄目だったか」

「若干、後ろ過ぎたかしら?」

「いや、僕の位置取りが悪かったかな。もうちょっと左でも良かったかもしれない」


 そんな風に少し反省会をした後、5回目の挑戦を始める。


「よし、今度こそ」 

 

 気合を入れ直し、横移動のボタンを押す。

 4回も繰り返したんだ。だいたいの位置は分か――


「彼氏さん、ファイトですっ」

「――ぶっ」


 予想もつかない応援に手が滑る。アームは中途半端なところで動きを止め、宙ぶらりんとなる。

 変なことを言ったのは、先ほどぬいぐるみの位置を変えてくれた店員さんだ。後ろを振り返れば、「ファイト!」みたいな感じで握りこんだ両手を胸の前に持ってきていた。

 

「あ、あの僕らはそう言うのじゃないですからね」

「えぇ?! カップルだとばかり思ってましたよ」

「いや、違いますから」


 語気を強めて否定する。酷い勘違いは辞めてほしい。僕らは、そんな好意で結びつけるような間柄じゃない。

 笠松さんだって、ほら。眦を上げて、あからさまに怒っているし。

 ただ、なぜか店員さんは得心いったというような表情をして、


「彼女さん、ファイトです!」


 なんて宣う。おかげで笠松さんは怒り狂った犬のように牙を剥き、店員さんに噛みつかんと怒髪天を衝きそうな風情でこちらに戻って来るので、なんとか羽交い絞めにして取り押さえることに。

 そして、店員さんは状況をかき乱すだけかき乱して、後は「あらあらうふふ」と去っていった。一体何だったんだあの人。

 ただ、でも、傍目からはそういう風に見られてたんだ、僕たちは。恋人なんて。

 ということは、ゲームセンターに入ってから何となく居心地が悪い視線が突き刺さっていたのは、つまりはそういうことだったんだろうか。リア充に対する妬み嫉みが理由だったりするのか?


「……ちょっと、何で暗い顔で考え事してるのよ」

「え? あぁ、ごめん」

「集中しなさいよね。あの女のせいで、ただでさえ1回潰れてるんだから」


 まだ顔に赤さが残る笠松さんにせっつかれて、最後の1回に僕らは挑む。

 これまでの4回で、位置関係はきちんと把握した。あとは成功させるだけだ。

 笠松さんが定位置に戻ったのとを確認すると、アームを横移動させる。


「それじゃ最後の挑戦、行くよ」

「……えぇ」


 アームの縦移動が開始する。


「ストップ――!」

「…………っ」


 成功した。そういう感触がある。4回目よりも、確かな感触が。

 アームが降りて、両腕がぬいぐるみをと掴んだ。ぬいぐるみの押し潰れた様子に、成功を確信した。

 頭を支点にして、ぬいぐるみが持ち上がる。やがて顔が潰れ、アームからぬいぐるみがずり落ち始める。

 ぬいぐるみがアームの腕から抜けると、ぬいぐるみはお尻から前方へと倒れる。

 すなわち、プライズを落す穴の方へと。


「「やった!」」


 こちらに駆け寄ってきた笠松さんとハイタッチ。ハイタッチした後に、笠松さんは我に返ったのか、気まずそうにそっぽを向いた。

 あはは。


「ほら、早く取り出したら?」

「言われなくても出すわよ」


 笠松さんが取り出し口に手を入れて、ぬいぐるみを取り出す。取り出すけど……ほんとに大きい。実物を目の当たりにすると、よく分かる。取り出し口に詰まるくらいの大きさ。取り出すところなんて、雰囲気が大きなカブだ。飛び出た反動で、引き抜く人が倒れそうになるところも含めて。

 笠松さんは一言。


「大きいわね」


 なんて言う。実際、笠松さんが抱えていると胸から腹にかけて覆われてしまっている。プライズにしてはだいぶ大きな印象だ。店員さんのサービスがあったとはいえ、よくこれが取れたなと思う。

 

「なんというか置いて置くより、抱き枕的な使い方をした方が出来そうだね」

「…………っ」

「待って、そこで何で睨むのっ?」


 そういえば、


「ぬいぐるみが好きすぎて、今でも一緒に寝てるタイプだったっけ」


 水族館の帰り道、そう言う会話をした覚えがある。


「変態」

「判定が早い! まだ何にも想像してないから!!」


 自衛力が高いのは良いけど、これじゃ自衛じゃなくて先制攻撃だ。

 でも、ぬいぐるみを抱いて寝る笠松さんか。それは少し見てみたい、かも……。


「…………」

「変態」

「はいっ、ごめんなさい!」


 うぅ、想像してしまった自分が憎い。よくないとは分かってたのに、想像してしまった。


「まったく……相変わらず節操ないわね。前も同じことやったわよ」

「面目ない」


 咎める笠松さんに何も言い返せない。「まったく……まったく……」と、顔を伏せてぶつぶつ呟く笠松さんは、今にも噴火しそうな活火山を思い起こさせた。噴火させないように、あたふたするしかない。

 挙動不審を続けていると、笠松さんから僕を射殺さんとするほどに鋭い視線を向けられる。

 だけど、突然その目元が和らいだ。


「その……ありがと」

「……何が?」

「察しが悪いわね。取ってくれたことよ」

「取ったのは笠松さんも、でしょ。2人でとったんだから」

「それでもよ。諦めないでいてくれたのは貴方。だから、ありがと」


 僕の方なんて見ずに、呟くように、けれどもゲームセンターの喧騒の中でも聞こえるこえで笠松さんはそう言った。ぬいぐるみで口元を隠し、照れているのか、屈辱を噛み殺しているのか分からない表情で。

 どうしよう。凄く嬉しい。胸にじんわりと広がる温かな感覚が心を満たす。心の中の冷たいものを覆い隠してしまうくらいに。

 感激している僕に対して、しかし笠松さんは不穏な言葉を口にする。


「ま、それはそれとして」

「ん?」


 笠松さんがぬいぐるみを小脇に抱えて、右の拳を握りしめたのを見た。

 これは、まさか、そういうことで……?

 大きく振り絞られる右腕。抉りこむように構えられた拳。

 

「え、ちょっ、ま、待っ――てぇぇぇぇっ!」

 

 どぐぅおっ、なんて漫画の効果音が体内で鳴る。

 本日2度目の殴り込みが、僕に炸裂した。

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