第5章 晩秋、少年、欺瞞1つ

ep.01 煩悶

 ペンを回す。くるくる、くるくる、と。

 退屈な古文の授業なんて聞き流し、私は無心でペンを回す。

 くるくる、くるくる。指で触れる硬い感触は確かだけど、堂々巡りな回転は何処にも行けずにただただ回り続ける。


「はぁ……」


 あれから5日が経った。カラオケに行った日から、もう5日が経ってしまった。

 あの夜、その帰り道。未だに言葉を続けられなかった理由を考えていた。

 

『ねぇ、貴方は私と同じなの?』


 彼を呼び止めた時、私はそう続けるつもりだった。

 だけど、言葉に詰まってしまって、長い長い沈黙の後に会話を切り上げてしまった。

 別に難しいことじゃなかった。別に恥ずかしいことじゃなかった。だから、出来ない理由なんてなかったはずなのに。


「…………」


 ペンを回す。くるくる、くるくる、と。

 私は尋ねなかった。あの時だけじゃない。この5日間ずっと。

 今じゃ、片手に収まる携帯端末で連絡が取れる時代。聞きたければ、アプリを起動して文字を打ち込むだけで良かった。きっと直接尋ねるより簡単だ。顔も見ないで一方的に言葉を送り付けるだけなんだから。

 だけど、私はしなかった。考えすらしなかった。

 どうして?


(どうしてって)


 知らない。こっちが聞きたい。広大なインターネットの海にだって漂ってないだろう。世界的検索エンジン先生は答えを教えてくれないのだ。

 とはいえ、自分で考えても答えが出ないわけで、もう考えても無駄だから無意味にペンを回してる。

 ただ、何も考えない分、余計なことが思い出されたりもするわけで。 


『思うに心から何かが欠落してるんだろう。ぽっかりと心に穴が空いてるみたいだ。普通の人が持っているありふれたものをアイツは持ってない』


 思い出した言葉に、指がもつれてペンを落しそうになる。

 心に空いた穴。欠落した心。嫌な言葉に心がかき乱される。かき乱される? 冗談じゃない。どうしてそうなるわけ。どうしてアイツのせいで心をかき乱されなくちゃならないの。

 勘弁して欲しい。掻き乱されてしまったなんて、自然と思えてしまったところなんか特に。

 これじゃまるで、アイツが私にとって特別な誰かみたいだ。

 アイツは私にとって何にでもない存在。そうでなければならない。

 ならない、はずなのに。


「…………」


 私はペンを回す速度を上げる。勢い付いたペンが手を叩いて、ちょっと痛い。

 まったく……まったく——ッ! まったく、もう!!


(笠松さん、最近ちょっと不機嫌だよね)

(彼と何かあったのかな?)


 そこうるさい。授業に集中しなさい。

 

「…………」


 そうして、いちいちムキになって、否定しなくちゃいけない現実が、私の本音を浮かび上がらせていた。

 認めざるを得ない、のかもしれない。私はアイツを多少は特別視しているということを。

 屈辱的だ。これまでずっと、1人を貫いて来たのに、あんな奴に絆されるなんて。

 あんな、あんな強引で、人の都合も考えない傍迷惑な奴に絆されるなんて……。

 

「…………っ」


 胸が疼きを覚える。トクトクなんて不自然な蠢動。痛みと呼ぶには些か優しすぎるそれを、私はそっと噛み殺す。

 これ以上は寝た子を起こすようで嫌だった。だから私は、不信も疑問も、湧いてしまった小さな想いも心の奥底へ押し込めて、問答無用で蓋をする。二度と湧かないように、重たい蓋を。

 

「あ……っ」


 指先が滑る。力加減を間違えた結果、ペンは私の手から勢い良く飛び出して行った。

 あぁ、やってしまった。少し油断してしまったみたいだ。惰性でやっていると、思わぬ失敗を招くからいけない。

 汚い教室の床に触れることを疎んだ私は、指先を床に着けないようにペンを拾う。

 

 拾った。 

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