第2章 初秋、少女、不快渦中

ep.01 連れ出す

「えー、明日はね、えー、特別授業がありますのでね、普段と違いますのでね、えー、注意してくださいね」


 10月6日の帰りのHR。2年3組の担任であるおじいちゃん先生が、ゆったりとした話し方で帰りのHRを進行する。


「特別授業は、芸術授業ということでね、えー、何処だったかな、うーんと、えー、まぁ良いや、どこかの劇団さんが劇を披露してくれるとのことでね。皆さん、楽しみにしていてくださいね」


 おじいちゃん先生は、物腰柔らかであんまり怒らないから生徒には人気で、親しまれている。


「ですが、ただ楽しむだけではいけませんよ? きちんと面白かった点とかをね、

えー、考えてね、感想をまとめてくださいね」


 だけど、そんな先生にも嫌がられてる面が1つある。それは話が冗長過ぎて、帰りのホームルームが長くなるということ。


「感想を考えるのがね、えー、苦手な人もいると思いますけども、そういうときは自分自身の経験とか体験とかを参考にするとね、いいですよ」


 帰りのHRが長くなるということは、必然部活に行く時間や放課後が遅くなるというわけで、放課後に用事がある生徒にとっては非常に都合が悪いのだった。


「読書感想文の書き方とかもね、えぇ、そういう風にやると良いですよ。特に皆さんは来年受験なわけで、受験勉強以外に時間は――」

「――先生、すみません。今日、早く家に帰らなくちゃならないので、HRを早めに終わらせてもらって良いですか……?」


 委員長がおどおど手を上げ、先生の長話を遮った。

 ナイス、委員長! 真面目な委員長が言ってくれれば、先生だって、すんなり言うことを聞いてくれる、はずっ!!

 そして僕の期待通り、先生はすまなそうな顔をすると、


「それはそれはごめんなさいね。えー、連絡事項は伝え終わりましたのでね、ホームルームを終わらせましょうか。はい皆さん、気を付けて帰りなさいね」


 先生が終わりの合図をすると、クラスからはやれやれと言いたげな溜息と解放された喜びの声が漏れる。

 空気が弛緩した教室で、僕は誰よりも早く教室を飛び出した。先生がだらだら話してる間に、荷物は全部まとめたし、脱いでたブレザーも着た。手に持つだけで帰れる準備は当然している。


「また行くのかー? 物好きだな、お前もー」


 修二の声を背中で聞く。なんと言われようとも僕は僕の目的を果たすまで。振り返ることはしない。

 ホームルームが終わるとすぐに教室を飛び出すのは、あの日以来7回目。笠松さんに一方的な宣言をしてから7回目だ。

 人助けのお願いが放課後にはない日は毎回、笠松さんの2年7組に向かうようにしてるけど一度も彼女を捕まえられたことはない。2年7組の担任の先生はホームルームが早く終わると有名で、僕のクラスのホームルームが終わる頃には笠松さんは帰ってしまっている。

 昼休みも暇がある時に行ってるけど、どうやら4時間目の終わりがけにトイレに行ってるらしく、4時間目が終わった直後に行っても捕まえられなかった。おまけに昼休みが終わるまで戻らないから、昼休みの終わりごろに捕まえることも出来ない。駄目押しに屋上に繋がる階段で待ってみたけど、笠松さんは来なかった。どうやら完全に警戒されてるらしい。

 だから、ホームルームが比較的早く終わった今日がチャンス。 

 笠松さんは2年3組のホームルームが終わるのが遅いことを知っている。油断しきった彼女はホームルームを途中で抜けることなく、終わるまで教室にいるはずだ。


(まだ終わってないと良いけど……っ)


 祈りながら僕は、廊下を早足で歩く。

 廊下を行く生徒はそこそこいる。大方のクラスはホームルームが終わってそうだ。望みは薄い。

 ええい、弱気駄目だ、弱気は。

 階段を登り、2年7組の教室がある階へ。登り切ると、ちょうど「日直、挨拶して」と7組の担任が言うのが小さく聞こえた。

 よしっ、勝った! 控えめにガッツポーズ。勢いづいて、ほぼ駆け出しながら、終わりの挨拶が終わると同時に7組の教室に駆け込んだ。

 そして、開口一番。


「笠松さん! 今日は逃がさないからね!」


 と飛び込んだ。

 途端に水を打ったような静けさに包まれる教室。当然といえば当然。他クラスの人が放課後に入って早々に、いきなりこんなことを言い出したら意表を突かれた気持ちになるだろう。

 だけど、1人だけ違う動きをする人がいた。

 ブレザー服姿の笠松さんだ。

 クラスメイトが固まってる中、彼女は顔を真っ赤すると、肩を怒らせながらこちらへやってくる。

 それから僕の腕を掴むと、(こっち、こっちに来なさい!)と 小声で囁いて僕を引っ張った。

 僕も抵抗することなく引っ張られていると、あれよあれよと人気のない廊下へと連れ出される。

 そして、なんだか見慣れ始めた怒りの表情で僕を睨みつけると、


「何考えてるの?!」


 なんて僕に詰め寄った。


「クラスメイトの前であんなことを言いだすなんて、常識なんてものがないのかしら? あー、ないんだったわね、ええ、なんたって貴方は猿だからっ」

「あーうん、ごめん、少し考えなさ過ぎた。ちょっと、つい、ねぇ……?」

「『ねぇ』じゃないっ、『ねぇ』じゃっ。反省の色を見せなさいっ」


 笠松さんの眦が更に吊り上がった。だいぶ鬱憤溜まってそうで、心当たりがあるかないかで言えば……ある。

 彼女はさらに一歩距離を詰めて、


「だいたいねぇ、貴方は何回も何回もクラスにやってきて私を呼んでっ。最近、妙にクラスメイトに絡まれて、迷惑でしかなかったんだから!」


 そうだよね、そうなるよね。

 普段孤立してる人に足繫く通ってくる人間がいたら、当然好奇心の対象になる。積極的に1人になろうとする彼女にとっては、迷惑極まりなかったと思う。


「ったく、貴方はもう少し人の心とかそういうものを考えた方が――」

「――その前に笠松さん、近い近い」

「…………~~~~っ!」


 僕が指摘すると笠松さんは飛びのいた。嫌悪が浮かぶ顔は真っ赤で、鋭い目つきでこちらを睨みつけてくる。いや、今回僕は悪くないよね?

 でも、まぁ、


「それはそれとして」

「それはそれとするなぁっ」


 それはそれとするよ。


「折角こうして捕まえることが出来たんだから、早速行こうと思うんだけど、どう?」

「行くって何処に?」

「虚しさを解消できる理由探し」

「また貴方はそんなこと……」


 笠松さんはあからさまに溜息を吐く。ただすぐ何かに気づいた様子で、愕然とした表情で呟く。

 

「…………ちょっと待って、まさか貴方これからも私に付き纏うつもりじゃないでしょーね?」

「そのつもりだけど?」

「……先生に言いつけましょうか」

「僕が屋上の秘密を握ってるの忘れてない?」

「ぬぐぐぐ……」


 唸ったところで何も変わらないって。

 しばらく唸っていた笠松さんは、さっきよりもはるかに大きな溜息吐く。根負けした様子がと見て取れた。


「……もういいわよ、付き合うわよ」

「お、やった。じゃあ、どうする? 何する?」

「いきなり人任せが過ぎるでしょ。貴方が言い出したんだから、貴方の考えを聞かせなさい」

「僕は君が虚しさを抱える前のことを辿れば良いかなって考えてた」


 人は誰しも虚しさを抱えて生まれてくるわけじゃない。虚しさを抱える時代が絶対にある。だから虚しさを解消するためにはその時代のことを思い出すことが、効果的なんじゃないかと考えてる。


「笠松さん。虚しさが抱える前、何か楽しかったこととかない?」

「楽しかったことぉ……?」


 笠松さんは眉間に皺を寄せて考える。腕を組んでしばらく考えた結果、導き出された結論は――


「……映画」

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