第1章 秋口、少女、希死念慮
ep.01 お助けヒーロー
「あ、篤史君っ、ちょっといい……かな?」
昼休み。廊下を歩いていると、控えめな声に呼び止められる。振り返れば、自分の目線より低い位置に少女の頭がある。
俺は真上から彼女を見下ろすと、こう問うた。
「何か用かな?」
とはいえ、どんな要件なのかは分かってる。
“お願い”をするためだろう。
佐渡川高校に入学してから早2年と半年。人助けをしている内に、いつの間にか顔も知らない困っている人が頼ってくるようになっていた。
ついた渾名が “佐渡川高校のヒーロー”大井篤史。随分と大層なものが付けられたと思う。
まぁ、だから、人が僕を呼び止める時は大抵何かお願いごとをする時な訳で、今声をかけてきた彼女もまたそうなんだろう。
少女はやや躊躇いがちに目を伏せて、それから意を決したように見上げると言葉を発した。
「急で悪いんだけど、さ。今日の放課後、また手伝ってくれないかな……?」
「わかった。ちょっと待って」
ズボンの後ろのポケットから手帳を取り出す。クールビズにしてるけど、手帳を使ってない後ろのポケットに入れるしかないのは不便だ。
さて、と。今日の日付は9月26日。手帳の日付を見てみれば、そこには特に何も書いてない。書いてないということは予定は何も入っていないということだ。
僕は笑顔を作ると、彼女に告げる。
「良いよ。今日の放課後に予定はないし」
「ほんと……!」
彼女の顔がぱぁっと華やいだ。漫画だったら背景がきらきらしているところだ。
よし。忘れないうちにメモしておこう。そう思ったところで、肝心の内容を聞いてないことに気が付いた。
「それで、一体何を手伝えば良いの?」
「あっ、ごめんね。言うの忘れてたね。放課後に部活で草むしりする予定だったんだけど突然休みが出ちゃって、それで私1人じゃ大変だからお願いできなかなって」
なるほど、草むしりね。取り出した多機能ボールペンを走らせ、俺はきちんと内容を書き込んで行く。ダブルブッキングなんかしたら目も当てられない。以前それをやってしまって以来、特に気を付けている。
「場所は?」
「グラウンドの西側……で、伝わる?」
「あぁ、あそこね。おっけ」
学校を中心にした方位は頭に入ってる。グランドの西側と言えば、いつもグラウンドを取り合っている運動部すら利用しない場所。というか利用できない場所。だから踏み荒らされることなく、雑草やら何やらが伸び伸びと生い茂っている。
確かにあそこは早めに処理しないとまずいレベルだ。だってもう、あの一角だけ学校のグラウンドじゃない。野原とかそういう感じだ。あれだけ茂っているんだから、学校側も生徒に草を刈らせるだけじゃなくて業者を呼んで対処した方が良いと思う。除草剤撒くとかさ。
とはいえ、ここでぶつくさ言っても仕方がない。何か変わるわけでもないのだし。
僕は手帳をしまい、彼女に向き合うと、
「じゃあ、放課後にまた。待ち合わせは現地で良いよね」
「う、うん! いつもありがとうっ、“佐渡川高校のヒーロー”!」
弾んだ声でそう言って、彼女は駆け足で僕の下から去っていく。
あぁ、そんなに急いでると危ない。そんな言葉をかけようとした瞬間、彼女が人とぶつかる。それからぺこぺこ頭を下げて、再び駆け足で去っていく。
(大丈夫かな?)
思ったところで仕方がない。もう声が届かない場所に彼女は行ってしまった。
だけど、ヒーロー……か。そんなあだ名で呼ばれるたびに居心地の悪い思いがする。そんな風に呼ばれるようなものでもないのに。
ズキリと心に痛みが走る。痛んだ心で気落ちしていると、揶揄うような声色で背後から声を掛けられた。
「よー、篤史。相変わらず忙しそうだな」
そして声の主は遠慮なく肩を組んでくる。その勢いが強くて、思わず前につんのめった。
肩に首を乗せてくる馴れ馴れしい、無遠慮な男を俺は睨みつける。
「いきなり背後から肩を組んでこないでよ驚くから」
「いいじゃねえか、俺とお前の仲だろ?」
「確かに付き合いは長いけど、それは理由にはなってなくない?」
滅茶苦茶な理屈を押し通そうとしたことを咎めると、悪びれる様子もなく「きしし」と笑う。
1つ嘆息。言ったところで聞くわけがないことは、それこそ長い付き合いの中でわかってる。昔から文句をのらりくらりと交わして、自分のやりたいようにやるのがコイツのやり方だ。
高身長で筋肉質、髪をかき上げるようにして簡単にワックスで固めた、やたらと馴れ馴れしいコイツの名は小倉修二。幼稚園の頃から続いている腐れ縁、まぁ平たく言えば僕の幼馴染だ。
まったくどれだけコイツに困らされてきたか。人の事情を考えず、ずけずけと土足で踏み行ってくるのには流石に参る。
だから、これまでの恨みを込めて僕は少し突き放すように言ってやった。
「それで何の用?」
「用がなきゃ、話しかけちゃ駄目か?」
「駄目じゃないけど」
「だったら良いじゃねーか」
「このこの」と脇腹を拳でつついてくるにやにや笑いの修二。やめろやめろ、肩組まれてるから避けようがないじゃないか。はめ殺しをするな、はめ殺しを。
それでふざけてるかと思えば、真剣な表情になって修二はこちらに顔を寄せて耳元でこう呟く。
「さっきの、ボランティア部の部長だろ? どうしてボランティア部なのに頻繁にサボりが発生するかね」
「突然休んだからって、サボりって決まったわけじゃないでしょ。急用が入っただけかもしれないじゃん」
「サボりだよ。前、部長がお前にお願いした活動にボランティア部のカップルが活動さぼってデートしてるの見た。今回も同じだろ」
くぁぁと修二が欠伸する。
「ボランティア部っていうくらいなんだから、ちゃんと自ら進んで人助けしろよ。そのために入ったんじゃないのかね」
修二の言うことはもっともだ。ボランティアとは「自分の意志で行う奉仕活動」のこと。そういう活動をする部活に入ったんだから、きちんと活動には参加するべきだろう。
ただボランティア部に入る目的は単純に人助けをしたいから、だけじゃないと思う。
「ボランティアってさ、聞こえが良いでしょ。だから、そういうサボる人たちはボランティア部に所属することで自分自身に付加価値をつけたいんだと思う」
「なるほど。つまりは箔付けか」
「そうそう」
ボランティア部に所属してるって聞けば、人は尊敬の眼差しで見てくる。人助けをしる僕に“ヒーロー”なんて分不相応な渾名が付いたように。
ボランティアとか人助けのような聞こえが良い言葉には色んなイメージが付きまとっているものだ。だからこそ関わる動機は善意以外の場合だって有り得る。
修二は「なるほどなぁ」と感心した声を上げると、しかし気を取り直して言った。
「まぁ、でも部長の方がきちんと活動してるみたいだけどな」
「それは……流石にそうでしょ。部長なんだし」
「アイツ、絶対にお前に気があるぜ」
「はぁ? 何を根拠にだよ」
妙なことを突然言い出した修二に僕は思わず顔を顰める。
だが修二がそんな自分を気にするはずもない。自信満々な顔で話題を続ける。
「いーや、気があるね。あの表情、あの振る舞い、そしてお願いをする頻度。これらから考えるに間違いなくお前にほの字だ」
自身満々に言い切る修二に呆れてしまう。なんだその見当違いの推察は。彼女が僕に惚れてるなんてあるわけがないだろうに。
所詮、僕は便利屋だ。都合の良い小間使いのようなものだ。そんな男に惚れる要素が何処にあるんだ。そういうマイナス点を克服できるほど見た目も良いわけじゃない。目が可愛いとか、そういう感じで揶揄われたことがあるくらいだ。褒められるような見た目なんてしてない。彼女が、というより女の子が僕に惚れる理由は何処にもないんだ。
それにそもそも、
「そんなに彼女からお願いされてた?」
「おいおい、この年でもう物忘れが始まってるのか? 週1くらいで頼みに来てんじゃねーか」
そうだっけ。頼まれた回数なんかいちいち覚えてないから、気にも留めてなかった。
「絶対、困りごとをお前と話す口実にしてる面があるぜ。厄介事があるたびに、実は内心喜んでるんじゃないか」
「んな、馬鹿な」
流石にそんなことは有り得ない。どんな事情があるにせよ、困りごとは困りごとなわけなんだし。
「まぁ、まず気があるっていうのが間違いだから」
「そんな熱心に否定するなよ。少しくらい喜べって。結構可愛いじゃん、彼女」
「そう?」
「そうって、お前な。あの子、引っ込み思案だからあんまり目立たないけど、目鼻立ちは結構整ってるぞ」
言われて、振り返るけど……んー、そんなに印象に残ってない。どんな顔かぼんやりと思い出せるくらいだ。正直、毎日色んな人に頼み事をされていて、いちいち頼んでくる人の顔をしっかりと覚えてる余裕がない。
頼ってきた人は頼ってきた人。頼まれごとを解決できる程度に意識に留めておけば良い。
付き合いの長い修二はそんな僕の考えなんて見透かしてる。だから溜息を吐き、言葉を続けた。
「お前はもう少し他人に興味を持つべきだぜ、まったく」
「……なんか今日説教臭い」
「友達思いと言って欲しいね」
ふふん、と何処かで見たようなアニメヒロインのように笑う。
う、うざい。致命的にうざい。アニメの美少女がやる分には可愛いけど、リアルで男がやるとくっそうざい。爽やか系イケメンのくせに細かい所作が鬱陶しいから損してるんだよな。
「っていうか、いつまで引っ付いてんだよ、離れろよ」
「あん」
「気持ちの悪い声を出すなっ、いいから離れろっ」
修二を引きはがそうと肩で修二の顔を殴る。けれども、それでもしぶとくしがみついてくるので、枝垂れかかっている肩を勢いよく前方にのけぞらせてやるとようやく修二は体勢を崩して、俺の肩から離れた。
「うわっと、とと――」
よろけた修二はそのまま廊下の中心に躍り出て、そして――
「――きゃ」
「っと、悪い」
――誰かとぶつかった。
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