【九月】ハーベストムーンの実り

19. 夢の萌芽

 九月に入り、朝の風に澄んだ冷たさを感じるようになった。

 風の変化とともに、一月の高等中学卒業をはっきりと意識するようになる。


 卒業後の就職先は、まだ決まっていない。父の病状も一進一退だ。学校の成績も相変わらず学年二位。おそらく主席卒業は厳しいだろう。

 そして朔夜との関係も、七月ごろから何も変化がない。


 季節が移り変わっても、私の周りは何も変わらない。




 汽罐室の片隅に積み上げられた灰を一輪車に載せる。それを処分場へ持って行く途中に、汽罐長から声を掛けられた。


「瑠奈坊、社長がお呼びだよ」

「社長、ですか。もしかして私、なにかやらかしちゃったんでしょうか」

「ははは、ちげえよ」


 手拭いで頭をつるりと拭いて、笑みを浮かべる。


「ほれ、瑠奈坊さ、たまに小難しいこと書いた紙を俺にくれるだろ。あれを工場長に見せたんだよ。そしたらこりゃすげえってんで社長に上がってよ。んで、社長が瑠奈坊と話したい、ってさ」


 汽罐長の言う「小難しい紙」とは、おそらく改善提案書のことだろう。

 同じ場所で二年も働いていると、「ここをこうしたほうが作業効率がいいな」などと気づく点が出てくる。ちょっとしたことなら汽罐長に口頭で伝えていたが、数値などで出したほうが説得力がありそうな提案は、紙に書いて渡していた。


 いつもお世話になっている皆さんへの恩返しになったらいいな、と始めてみたのだが、いち罐焚き婦の小娘、しかも学生の私が書いたものが、真剣に取り上げられるのは難しいだろうとも思っていた。

 汽罐長が提案書を受け取る時、いつもリアクションが薄いので、なおさらそう思っていたのだ。

 それがまさか、社長にまで渡っていたとは。




 社長がいる事務棟の中に入った。

 大半の事務員は既に帰宅しているらしい。机がずらりと並んだ大部屋には人が殆どおらず、宵闇の僅かな光が寂しげに漂っている。

 大部屋の一角に、木の衝立で仕切られた場所がある。そこが「社長室」だ。


 衝立をノックすると、社長が満面の笑みを浮かべて出てきた。


「やあご安全に。高梨さん、忙しいところ時間取らせてすみません。見せてもらいましたよ改善提案書。これ全部、高梨さんが考えたんですか」


 長年の労働で鍛えられた骨太の手が持っているのは、私の書いた提案書だ。


「提案そのものも勿論素晴らしいんですけど、この提案書のまとめ方とか、図や表の見やすさに感心しましたよ。高等中学というのはこういうことも習うんですか」

「いえ、自分で考えてみました。見やすいと言ってくださり、ありがとうございます」


 社長は提案書に目を落とし、何度か頷いた。


「私はね、道端に捨てられた吸殻を集めて、紙を巻き直して売る商売からここまでのし上がりました。でも、私の力ではここまでが限界です。だから今は夢の方向性が変わったんですよ」


 急に話題が変わり、戸惑う。それが顔に出ていたのだろう。社長が少し笑った。


「自分が上へよじ登るよりも、空高く舞い上がる可能性を秘めた若人わこうどが、最初に飛ぶためのジャンプ台になりたいと思ったんです」


 それは素晴らしい夢だと思う。さすが社長、と頷いていると、また話が変わった。


「ところで高梨さん、勉強は好きですか」

「え? ええ、はい。好きです」

「では」


 懐から一枚のカードを差し出す。表に「招待状」と書かれていた。


「五日後に開催される経営者交流会に、鞄持ちの名目で参加しませんか。きっと高梨さんにとって良い勉強になりますよ」




 こんなところにいていいんだろうか。

 私は交流会会場の広いホールに突っ立って、しばらく呆然としてしまった。


 「経営者交流会」という名の通り、ここにいるのは社長や経営の中心にいる人ばかりだ。

 数百人単位の貫禄あるおじさんや覇気に満ちた若社長に圧倒され、葉巻の匂いにくらくらする。

 とりあえず、自分が会場で一番場違いであることだけは確実だ。


 会場の中心では、凝った作りの機械人形オートマタがオルガンを弾いている。

 前時代的な服に歯車型のアクセサリーを着けた女性型で、かわいらしい顔は磁器製だ。

 手の動きが滑らかで、時折視線を移すしぐさが人間のようだ。技術としては新しいものではないけれど、丁寧な作りに思わず見入ってしまう。


「お嬢ちゃん。このお人形、素敵でしょう」


 背後からおじさんに話しかけられた。ふと気がつくと社長がいない。余程機械人形に見入っていたのだろう。


「はい。動きの一つ一つが細やかで、『既存の技術をより洗練させる』という方向の、高い技術が素晴らしいと思いました。前時代的な服装に歯車型のアクセサリー、という格好も、伝統的な技術と最新技術の融合を感じさせて、この機械人形にぴったりの装いです。さらには歴史の長い会社と若い会社が共に集う、この集会をも表しているように思えます」


 うっかりべらべらと喋った後で気づく。このおじさんは、おそらく人形の顔のかわいさとか、ドレスの綺麗さを聞いていたのだ。

 私、とんだ頓珍漢女だ。社長の恥さらしになってしまったらどうしよう。


 私は社長とは関係のない、謎の小娘ですよ、という雰囲気を出そうとしていたら、社長と目が合ってしまった。

 こちらに向かってきて、おじさんに声を掛ける。


「やあお久しぶりですねえ。今日はこの、うちの秘蔵っ子を自慢しに来たんですよ」

 

 そう言って私を指さす。「秘蔵っ子」なんて凄いものではないので、社長の意図が掴めずに首をかしげた。

 おじさんは社長の肩をばんばんと叩いた。


「ああ、十和田さんのところの社員さんでしたか。いやあ参りました」


 参ったと言われたので謝罪のために頭を下げようとしたら、おじさんの笑顔が目に入った。


「若い娘さんがうちの機械人形を見ていましたからね、気に入ってくれたのかと声を掛けたんですよ。そうしましたら、これに使った技術を褒めてくれたり、私の独りよがりで着せた服の意図を汲んでくれたりしましてね。いやあ嬉しかったなあ」


 どうやら悪い印象は持たれないで済んだようだ。ほっと胸をなでおろす。


 その後も社長の後をついて色々と話を聞いていた。

 そんな中、少し離れた所でされていたある会話に心が引っかかる。


「やはり鴻総帥はお見えになっていませんな」

「まあ、あの方は私らみたいな木っ端社長なんか眼中にないでしょう」


 口調から明らかに好感を持っていないのがわかる。

 会話は続く。


「もっとも、鴻グループという大樹の中はすでにがらんどう。倒れるのも時間の問題ですがね」

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