第39話 お別れの時が迫る

 栞とルイーダは、ユーインを父親に引き渡してさっさと屋敷の中に入っていった。二ヵ月も経っていることに衝撃が走ったが、もう栞もルイーダも疲れ果てていた。

 ユーインの父親は、余りに息子からの帰還の連絡がないことを心配して、ここまで様子を見に来ていた。勝手にルイーダの屋敷に入ることはできずに、馬車の中で日に数時間は待っていたらしい。

 やっと帰って来たことに安心していたが、どうしてこんなに遅くなったのかすぐにでも話を聞きたそうにしていた。

 栞とルイーダは、流石にそれには付き合えないとユーインに事情を話すのは一任した。


 ユーインは、栞を見て恨めしそうな顔をしていたけれど見ていないフリをした。心の中でユーインごめんと謝っておく。

 今度、必ずこの埋め合わせはするからねとユーインに視線を送った。ユーインは、疲れた体を引きずって父親と共に自分が生活している屋敷へと戻って行った。


 栞は、自分の部屋へと行って荷物を置くとベッドにバタンと倒れ込む。本当ならお風呂に入って、汚れた服を着替えてからにしたいが身体が言うことを聞かない。

 そのまま目を閉じると、意識は布団の中に沈んでいった。




 エリントン領に戻ってきてから一週間が経った。帰って来てから、やっと落ち着きを取り戻していた。

 二ヵ月も領地にいなかった分、ルイーダの仕事が溜まっていた。領地にある薬屋は、ルイーダのところだけではない。だから彼女が抱えるお客さんの中で、薬がないからと命にかかわるような人はいなかった。

 その事にルイーダは、ホッとしていた。それでもお客にとっては、ルイーダの薬が一番のようで、帰って来た次の日からお客が絶えなかった。

 それを栞も一緒に手伝っていたので、帰って来てからまだどこにも行けていない。


 本当はケイに早く会いに行きたかった。だけど薬を手渡しにちょっと顔をみたくらいで、ゆっくり話はできていない。栞は、内心焦っていた。

 旅に出ても10日ぐらいで帰って来られると思っていたので、この世界での生活もまだ余裕があると思っていた。

 それなのに二ヵ月も費やしてしまい、もう三月の第一週目が終わっている。自分がこの世界に飛ばされたのは、桜が咲き始めた頃だった。

 丁度一年だとすると、もう恐らくそれほど日数が残っていない。


 さよならを言わなくてはいけない人が沢山いる。突然過ぎて、まだ心の整理だってついていない。

 ルイーダさんに、何て感謝を伝えればいいのか。ユーインに、最後に何を言えばいいのか。優しくしてくれたカイ先生に会えなくなるのだって寂しい。

 そして、ケイに……。何ていってお別れをすればいいのか何も思いつかない。栞の中に芽生え始めていた気持ちは、どうすることもできない。考えれば考える程、泣いてしまいそうで忙しさにかまけて思考を放棄していた。


 でも、もうあと一週間くらいなのではと栞は思う。あの神様のことだから、帰る時もきっとまた突然だろう。

 いつ、帰ってもいいようにお別れをしなければいけない人にきちんと話をしようと決意した。


 今日の午前中は、店に来るお客さんが一段落したので栞は配達に行くことになっている。ケイのところにも行くから、どこかで時間を作ってもらう約束をしよう。そして午後は、カイ先生の所に挨拶に行こうと決めた。


 栞は、順番に配達を終わらせて最後にケイの家に到着する。いつものように呼び鈴を鳴らす。すぐに玄関のドアが開いた。


「栞、何だか凄く久しぶりだね」


 ケイが笑顔で迎えてくれた。ケイは、顔色も良好で元気そうに見えた。


「ケイ、久しぶり。元気そうで良かった。これ、今日の薬だよ」


 栞は、カゴに入れていた薬の入った紙袋をケイに渡す。


「ありがとう。今、代金を持って来るから」


 ケイが、紙袋を受け取って部屋の中に戻って行った。栞は、一つ深呼吸をした。ちゃんと話をしたいから、時間をとって貰うように言わなくちゃ。


「いつもと同じ金額で大丈夫だよね?」


 ケイが、すぐに戻って来てくれて代金を栞に渡してくれる。栞も代金を確認して、返事を返した。


「うん。丁度いただきました。あのっ、それでね……」


 栞は、緊張していた。異性の友達を誘うなんて初めてだったから。いつも、広場で会っていたのは偶々だったし……。


「ん? 他に何かあった?」


 ケイが、優しく続きを促してくれる。栞は、思い切って言葉にした。


「ケイに話したいことがあって、三日後の私のお休みの時にいつもの広場で会えないかな?」


 栞は、勇気を振り絞る。ケイの顔を見ると、笑ってくれている。


「なんだ、もちろん大丈夫だよ。栞が、すごく緊張しているから何かあったのかと思ったよ」


 栞は、ほっとして胸を撫で降ろす。良かった、ちゃんと誘えた。


「時間はいつもと同じ夕方でいいの?」


 ケイが、訊ねる。栞は、元々考えていたように返事をする。


「えっと、できればお昼を一緒に食べたいなと思ってて。屋台で何か買って一緒に食べない?」


 栞がそう言うと、ケイは笑顔で頷いてくれた。そうして栞は、ケイの家を後にした。

 栞は、今日の一大イベントが終了して一安心する。ちゃんと言えて良かった。後は三日後に、ケイに今まで心の支えになってくれて感謝していると伝えたい。

 会えなくなるのは寂しい。それに、上手くさよならを伝えられるか心配だった。


 栞は、空を眺める。真っ青な空ですっかり春だった。まだ朝と夜は寒いけれど、日中は日差しが出ているとポカポカと温かい。

 二ヵ月もスキップしてしまったから、心が追い付いていない。みんなとさよならした瞬間、栞はどうなってしまうのかそれを考えたら無性にやるせなかった。


 カイ先生の診療所に向かって歩いていた。丁度、診療所が終わる時間に差し掛かっている。カイ先生には何て伝えようと歩きながら考える。

 思えば、カイ先生にも沢山可愛がってもらった気がする。色々な話を聞いてくれて、アドバイスをくれて綺麗な湖に連れて行ってくれたこともあった。

 たくさんの人に、栞は背中を押してもらって今の自分があるのだと感じる。カイ先生にも、沢山の感謝の気持ちを伝えよう


 歩いていると診療所の建物が見えて来る。もしかしたら、カイ先生に会うのは今日が最後かもしれない。そう思ったら、涙が零れそうだったけれど何とか我慢する。

 診察所の扉を開けて中に入ると、すでに診察時間は終わっていてシーンと静まりかえっていた。

 受付を覗いても、ウサギのお姉さんはいない。だから栞は、カイ先生の診察室の方に歩いて行った。扉の前まで来ると、思い切ってノックをする。


「はい。開いてるよー」


 いつもの優しいカイ先生の声だった。栞は扉を開けて中に入る。


「カイ先生、栞です」


 机に向かって何かを書いていたカイ先生は、顔を上げて栞を見上げる。


「ああ、栞ちゃんか。どうしたの?」


 カイ先生が栞に向かって、優しい笑顔を向けてくれた。初めにカイ先生を見た時の、驚きを思い出す。まさか診察所の先生が獣人だと思わなくて、銀色の狼を見て驚いてのけ反ってしまったこと。

 こんなに栞によくしてくれるなんて、あの時は思ってもいなかった。


「カイ先生、私ね、この世界に来てもうすぐ一年が経つの。だから、感謝の気持ちを伝えにきたの。今まで、本当にありがとうございました。カイ先生の優しさに、沢山救われました」


 栞は、頭を深く下げる。カイ先生のことも、凄く好きになっていたんだなってこの時に感じた。


「そっか、もう一年も経つのか。この前の旅で無駄に時間が経ってしまったから尚更か……。寂しくなるね」


 カイ先生が、残念そうな表情を浮かべて言った。


「私、この世界での生活がこんなに楽しくなるなんて思わなくて……。みんなに会えなくなるのは、本当に寂しいです」


 栞の瞳から、涙がぽろりと零れる。今までずっと我慢していたけれど、お別れを口にしてしまったら感情も一緒に決壊してしまう。涙を拭っても拭っても止まらない。

 カイ先生が、座っていた椅子から立ち上がって栞の前まで歩いてきた。栞をギュっと抱きしめる。


「栞ちゃん、この一年でとても成長したよね。きっと元の世界に帰っても大丈夫だよ。この世界でのことは、いい思い出になって栞ちゃんの中で生き続けるよ。僕のこと、覚えておいて。また会えるかもね」


 カイ先生が栞から離れて、ハンカチで涙を拭ってくれる。栞は、ハンカチを握りしめてカイ先生の顔を仰ぎ見た。カイ先生は、何か面白いことを思いついたように意味深な笑顔を浮かべている。


「絶対に忘れません。ふふふ、カイ先生が言うと本当にまた会えそう」


 栞は、目を真っ赤にしながらも笑って答える。カイ先生に会えて本当に良かった。

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