第2話

渋谷区の千駄ヶ谷の一角に呉服屋を構える僕の自宅がある。祖父の代から続く当店は創業80年近くが経とうとしていた。人並みに客も出入りしていただいているので、ありがたい。


真木「では、仕上がり次第後日連絡致しますので、よろしくお願いします。」

客「いつもありがとう。家内も喜ぶよ。宜しくね」

真木「雨が降っているので、足元お気をつけてお帰りください。ありがとうございました」


長年、贔屓ひいきにしている常連客の対応が終わり、一息着こうと、事務室に入った。


父「淳弥、ちょっと外出してくる。店番お願いしますね」


父親がそう言って出掛けると、すれ違いに外勤から帰ってきた営業担当の社員が新規の注文が入ったと、告げてきた。


真木「そうか、振袖の方で。では、僕が接客対応しますので、来店日を教えてください。」


店頭の暖簾を片付け、店内の照明を消し、今日の営業は終了した。居間へ向かうと、母が台所で夕飯の支度をしていた。


真木「お母さん、手伝うよ」

母「あら、お疲れ様です。今日あそこの常連さんお見えになっていたんでしょう?」

真木「はい。相変わらず話が長くて…参ったよ」

母「お父さんが若い頃からのご贔屓さんだから、色々おもてなししないとね。勉強になるでしょう?」

真木「僕は話し下手だから、どうもお父さんの様には上手くいかなくてさ」

母「相手も貴方の事分かっているから、細かい事は気にするんじゃ無い。さぁ、先に此れを居間へ運んで頂戴」

父「お疲れさま。淳弥、少しは落ち着いてきたか?」

真木「えぇ。まだまだお父さんには敵いませんが。新規の注文で振袖が入ったんですよ。後日僕が担当する事になりまして」

父「そうか。祝いの席でもあるのかね?」

真木「結納みたいです。」

父「お前も紗子さんの事、決めておかないといけないな。親御さんにも連絡しないと、長引くばかりでは失礼になるからな」


僕には紗子という婚約者がいる。数年前にお互いの家同士で決めた、許嫁にあたる人。正直、気が進まない。断る事も出来なくも無いが、理由が見当たらない。僕は両性愛者の身だ。相手が其れを知ったら、驚くに違いない。


食事を済ませて、2階の部屋に入り、スケッチブックの下絵の続きに鉛筆を立てた。モデルになって描いているのは、僕の片思いの彼だ。先日自宅にお邪魔して以来、会っていない。


丸みを帯びた顔の輪郭にやや高めの鼻柱、奥二重の瞳に少々厚みのある下唇。笑顔に愛嬌があり、やんちゃそうな少年の様な眼差しをしている。それでいて僕にはない紳士的な姿勢は見習う所もある。こうして描いていると、益々会いたくなる。学生の頃、鶯谷のローズバインでアルバイトをしていた時、誰にも言えなかった僕の性の件で、初めて打ち明けたのも彼だった。


何事も愉しみなさい。


その一言が今になっても後押ししてくれる。今年の夏に再会した時も、胸の高鳴りがより増して、全身が何かに締め付けられて疼く様な感覚に浸っていた。


もう一度抱きしめて欲しい。


そんな我儘わがまま通用するのだろうか。電話…掛けるだけ掛けてみよう。受話器を取りダイヤルを回して彼の自宅に電話をした。


ナツト「真木、久しぶりだね。どうしたの?」

真木「ご無沙汰しています。ジュートさんいらっしゃいますか?」

ナツト「今替わるね」

ジュート「もしもし。この間はありがとう。何かあったか?」

真木「また急に電話してすみません。次の休日、お時間空いていますか?」

ジュート「日中になるが、其れでも良いなら会えるよ」

真木「では僕の自宅に来てください」

ジュート「構わないが、ご両親は大丈夫なのか?」

真木「えぇ。予め貴方が来る事をお伝えしてあります。…他の場所が良いですか?」

ジュート「取り敢えずそちらに行くよ。」

真木「では、お待ちしています。失礼します」


たかが一本電話を掛けただけで、汗をかいた。だが一度決めた事は引き下がらない。

そうだ、あの話を切り出そう。


僕はある決意をした。

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