1-2 二日酔いの苦悩

 一方その頃、冒険者協会に併設された酒場――当然入り口は別である――では、話題に上がっていたブリックスとディーオの二人が揃って食事をとっていた。

 年齢も近く同じポーターという職業に就いているということもあって、時間があるときには互いの近況報告や情報収集も兼ねてこうして顔を突き合わせるのが習慣となっていた。


「はあー……。食欲でない」

「おいおい、もう三日目になるのに、まだ酔いが残っているのかよ……」


 青白い顔をして朝食を見つめるディーオに、呆れ顔でブリックスが言う。そんな彼の前に置かれた皿は綺麗に空っぽになっていた。

 しかし健康優良児であるブリックスにとっては物足りない量だったのか、小言を言いながらもその視線は向かいの席に置かれた料理がたっぷり入った皿に吸い寄せられていた。


「欲しいなら、やるよ」

「バカたれ!冒険者は体が資本なんだぞ。つらくても我慢して食え!」


 気怠げなディーオからの提案をきっぱりと拒否するブリックス。だが、いつも以上に厳しい口調になっていたのは内心を見透かされた気恥ずかしさも手伝ってのことだったのかもしれない。


 そんな二人の様子に周囲にいる者たちは「いつものことか」と苦笑を浮かべていた。飲み過ぎて呻く友人や仲間を叱り飛ばす、冒険者協会に併設されたこの酒場『モグラの稼ぎ亭』においてはありふれた光景だったからだ。

 そして、苦笑している者たちは全員、一度はどちらかの立場に甘んじたことがある者たちであったりもする。


「大体、いい加減に自分の限界くらい見極められるようになれっていう話だ。このままだとお前、いつか酒が原因で取り返しのつかない大失敗をすることになるぞ」


 そんな生暖かい目で見守られている中、ブリックスのお小言は続いていく。既に仲間や友人というよりも、保護者とできの悪い息子のような絵面になっていた。


「それじゃあ、ドノワの親方に捕まった時の逃げ方を教えてくれよう」

「……親方がいたのか?」

「おう。しかも誰も助けに来ずに延々一人で相手をさせられた」


 と、ディーオが三日前の出来事を語るにつれて、周囲からの視線に同情の色が濃くなっていった。

 ドノワというのはマウズの武具職人たちの顔役であり、自身も優れた鍛冶技術を持った屈指の職人である。また、親身な性格のためか、初心者には格安で武具を提供する名物店主でもあった。

 駆け出しの頃に彼に世話になり、今でも頭が上がらないという冒険者は意外と多い。


「親方相手にさしで飲まされるなんてどんな拷問だよ……」


 そんな彼にとって唯一とも言える欠点が、酒癖が悪いことだった。しかもドワーフという種族の特性である、酒好きで酔い潰れにくいという性質は残っているという極悪仕様である。「この町で大成したいなら、まずは親方と仲良くなれ。ただし酒場は除く!」という格言が冒険者たちの間でまことしやかに広まっているほど、酒の入ったドノワは恐れられているのだった。


「普段から親方には世話になっているから途中で離れられなくてさあ」

「ああ……。お前、よく工房に入り浸っているものな」


 しかも本来の仕事である武具の作成ではなく、傍から見ると何に使うのかよく分からない物を頻繁に作ってもらっていた。


「あんな時は、車の運転だとか断る理由が多い異世界は便利だよな」

「うん?何か言ったか?」

「いいや、何でもない」


 ため息と共に出た呟きを聞きとめられるも誤魔化すことに成功する。愚痴を言ったことで気持ちが落ち着いたのか、ほんの少しだが食欲がわいてきたのを感じたディーオは目の前のサラダへとフォークを向ける。

 それでも目玉焼きやソーセージにはいかないあたり、完全とは言い難い状態を示していた。


「それじゃあ、まだしばらくは休息期間か?」

「そうしたいんだが、あの飲み会で儲けのほとんどが消えてしまっているからなあ……。ちょっときついけど、低階層で日銭稼ぎでもすることになるかな」


 幸い今月分の家賃は払い済みなので、数日分の食費さえ稼げれば何とかなる。そのくらいであれば低階層を住処としている魔物たちを狩って回ればいいので、体調が万全でなくても可能なのだ。


「何ならいっしょに行くか?俺も短剣を新調したから練習しておきたいし」

「それもいいかもな」


 と、二人が本日の予定を決めようとしたその時、扉が開いて五人の冒険者たちが『モグラの稼ぎ亭』へと入ってきた。


「いらっしゃい。食事かね?それとも何か飲みに来たのか?」

「残念ながらどちらも外れだ。隣の冒険者協会で紹介された人を探しに来た」

「紹介の証を見せてもらえるか?」

「これだ」


 カウンターに置かれた木札を手に取り、マスターはしげしげと眺めた。


「……確かに本物だな。それで、誰を探している?」

「ポーターのブリックス、さん、もしくはディーオさんを」

「その二人ならあそこのテーブルだ。二人とも聞こえていたな!お前たちにお客だぞ!」


 マスターの大声にブリックスは軽やかに、ディーオはぶり返してきた頭痛に苛まれながら緩慢に手を上げて、了承の意を示したのだった。




 『新緑の風』の五人とポーターの二人は、十人以上は一緒に席を囲むことができる大きなテーブルへと移動していた。

 それぞれの前には飲み物が入ったカップが置かれて――ディーオの前にだけは食べかけの朝食も置かれていたのだが――いる。


「へえ……。これが迷宮産のコーヒーという飲み物なのね」

「香ばしい」

「なかなか心地良い。気に入った」

「酒の方が良かったぜ……」

「これから迷宮に潜ることになるかもしれないのに、酔っぱらう訳にはいかないでしょう」


 珍しい飲み物に五人ははしゃぎ気味になっている。若干一名酒の誘惑に捕らわれていたが、止められたのはアルコールの匂いを嗅ぎたくないディーオにとっても幸運だった。

 ちなみにコーヒーの木は十二階層に、お茶の木は十四階層に群生しており、その二階層分だけマウズではコーヒーの方がお安くなっている。


「ええっと、それじゃあこちらから名乗っておくぜ。俺はブリックスで、こいつはディーオ。どちらもポーターだ。ってそれは冒険者協会の方で聞いているんだったな」


 放置したままでは一向に話が進まないと察したのか、ブリックスが率先して自己紹介を始めた。


「ディーオだ。よろしく」


 マスターの大声によって再び活性化した頭痛に顔をしかめながら、最低限の情報だけを口にするディーオ。

 はっきり言って第一印象は最悪である。この時点で『新緑の風』の五人は「この二人のうちで選ぶのであればブリックスにしよう」と心に決めていた。


「二等級冒険者の『新緑の風』だ。そして俺がリーダーを務めているグリッドだ。で、右から順にリン、クウエ、ガンス、ルセリアだ」


 ブリックスたちの場合は、ポーターであることを公表しているため職業まで告げたが、冒険者は基本全員がライバル関係にあたることもあって、初対面同士の自己紹介では簡潔に名前だけということが多い。

 まあ、今回は態度のよろしくないディーオへの意趣返しも含まれていたのだが。


「よろしく。で、さっそく本題に入りたいんだけど、わざわざ俺たちに会いに来たということは俺かディーオを雇いたいということかい?」


 そんな気配を察しながらも、あえて無視して話を進めるブリックス。


「正確には二十階層以上へ到達した実績のあるポーターを探している、だ」


 それに対してグリッドが足元を見られないようにすぐさま訂正する。その的確な対応にブリックスは二等級冒険者というのは伊達ではないなと内心舌を巻いていた。


(交渉慣れもしているみたいだし、ディーオが使い物にならないのは痛いな……。しかも目的地となる階層も目的とするものも言ってこない。不利な条件や危ない話であればすぐに断るつもりでいるべきか)


 迷宮の奥へと踏み込めるのは美味しいが、それも命あっての物種だ。自分たちの戦闘能力が低いことは重々に承知している。むしろ、もっと戦うことができるのであれば他の職業に就いていたはずなのである。

 そんな劣等感に苛まれながらも冒険者であり続けているのは無駄死にするためではないのだ。後ろ髪を引かれたとしても、時にはきっぱりと断ることができる胆力こそ、ポーターに――だけではなく、フリーの冒険者全員に――必須の能力の一つと言えるだろう。


「その条件なら俺たちのどちらもクリアしているぜ」

「それは冒険者協会でも聞いている」

「……つまり俺たちはあんたたちのお眼鏡には敵わなかったってことかい?」


 条件に合致しているのに、すぐに交渉に移ってこないことからブリックスはそう予想した。


「そうではない。ただ、俺たちの目的地はもっと下の階層だ。だからできるなら君たちの最深到達階層を教えてもらいたい」


 グリッドからの不躾な質問にブリックスは顔をしかめた。普段から迷宮に出入りする冒険者にとって最深到達階数というのは分かり易い成果ではあるが、同時に機密事項でもある。それというのも、出現する魔物や罠などから能力を推察されてしまう恐れがあるからだ。

 そのため、自分から公表するのであればまだしも、他人に尋ねることはマナー違反に近い行為として認識されていた。


 例えこれまでの冒険が迷宮に縁がなかったものだとしても、二等級の冒険者である彼らがそのことを知らないとは考えられない。

 つまりグリッドはわざとタブーを犯したということになる。


「悪いが今回の話はなかったことにさせてもらう。そんな非常識なことを言い出す人たちと上手くやれるとは思わないからな」


 そしてその質問の裏に危険な匂いを感じ取ったブリックスは、当初の考えの通り断ることを選択したのだった。

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