第20話 素晴らしき愛をもう一度 楽しさと別れ

 次に二人が会うことになったのは、それから一か月後だった。青年は受験勉強があるし、美樹も仕事であまり暇を作れないようだったからだ。次会う時は、一日空いている日が良いってことでそれがたまたま一か月後になったという訳だ。


 青年としては美樹に会うのは楽しみだ。目の前のことがあるからしょっちゅうは会いたくないけど、こうしてたまになら調度良い息抜きになる。きっと美樹も息抜きみたいな気持ちで会いに来てくれるんじゃないかと思う。


 とは言え、本当にそれでも良いのだろうかとも思う。なんだったら青年らが出会ったのは婚活パーティーだ。少なからずそれを意識しての付き合いだってことだ。今の青年には収入がないし、このまま真っ直ぐ進めても三十過ぎまでは仕事が出来ない。つまり結婚も難しい。


 もちろん美樹はしっかり仕事してるし、看護師なら給料も悪くはないんだろうけど、美樹のお金に頼るのは格好悪い。美樹はどこまでそれを意識しているのだろうか。


「うわー綺麗。海の中にいるみたい」


 大きなガラス板の向こう側に立体的な青い空間。そしてそこには、大小様々な魚たちがゆらりゆらりと泳いでる。それまでの小さなガラスケースにでも、駆け寄っては眺め、駆け寄っては眺め、二人で楽しんでいたんだけど、この広い空間に来て駆け寄る場所がなくなった。むしろ、遠くから眺めている方が全部見れて良いかもしれない。


 それでも、遠くにいるだけでは満足できなくて、引き寄せられるように近づいていった。そしたら正に今、自分自身も海の中にいるかのような気分になる。目の前の魚たちにつられて二人でゆらゆらした。


「水圧ってあるけれど、こうして水の中の魚たち見てると本当にあるのかなってくらい自由だよね」


 彼女の語尾が前よりもフランクになっている。ちょっとは距離が縮まった気分だ。


「上にも行けて、下にも行けて、ゆらゆらゆらゆら。大空を飛び回るよりよっぽど自由に見える。ねぇ、私がもし人魚だったらどうする」


 恒例の質問だ。青年はいつも答えられない。


 人魚って言うと良いイメージが湧いてくる。美しくて歌が上手いってイメージだ。さながら美樹も美しいから似合っているようにも思える。


 しかし、伝説を紐解くとそうでもない。その美しい歌声は船を沈没させるとか、陸に上がると泡となって消えるとか、人になったのに喋れないまま恋が終わってしまうとか。


 恋が終わってしまうってことは、青年との恋も・・・・・・。


 恋か。青年はやっぱり恋しているんだろうな。彼女もデートに来てくれるってことは恋してくれているんだろうか。ちょっと気になる。


 というか、そもそも人魚は人間じゃない。美樹は人間だし、陸に上がっても大丈夫、喋れないことはない。だから


「もう時間、だいぶ経ちましたね。暗くなってきたんで、タワーの上から街を見ませんか」


 青年は答えようと思ったけど、やっぱり答えないまま会話が終わってしまった。考え過ぎてるのかもしれない。自分の優柔不断さを実感する。そういえば、選択問題はよく間違えるし、時間足らないこと多いし。


 青年らがいたのは東京タワーの下にある水族館。もともと夜景が見たいって言ってたから東京タワーにしたんだけど、どうせなら下にある水族館も寄ろうよってことで水族館に来ていた。


 入場料は掛かるけど、一番高いところまで行くためのチケットを買う。こういうところで出し惜しみするのは格好悪い。もちろん費用は青年持ちだ。って言っても正確には青年のお金ではない。親からのお小遣いだ。二十五になってもお小遣いをもらってる。しかししょうがない、まだ働けないんだから。


「うわー」


 美樹はすぐにガラス板に駆け寄った。そして、目をキラキラさせながら眺めている。水中の次は大空だ。


 ふと、青年は思う。ガラス板さえなければ青年らもあの板の向こう側の世界に行けるんだろうか。板というものでどうしても現実に戻されちゃうけど、青年も美樹も板の向こうにある世界に胸を高鳴らせて憧れている。似た者同士は良く集まるって言うけど、実はこういう部分が似ているのかな、と青年は思った。


「わっはっはー。科学の発展は夜に眩いばかりの光を生み出した。見よ、この景色を。街が星のようだ。はっはっはー。ふふふっ、こういうのやってみたかったんだ」


 青年はにやっと美樹を見る。やっぱり、この人とは合う気がする。


「美佐雄さんといると、なんか自分自身になれる気がする。なんか、気ばっか使う社会から解放されたみたいで」


 えへへって笑う美樹は一番綺麗な顔だった。なんか、笑う顔を見る度に綺麗になっていくような気がする。


「でもなんで看護師になろうと思ったの」


 気になったので聞いてみる。そういえば、聞いたことがなかった。すると、彼女は少し「うーん」と悩んだ。


「実は私、極度の拒食症だった時期があって。中学生の時だったんだけど」


 少し苦しそうな顔になる。聞かない方が良かったかもしれない。


「いじめられててさ。たぶん、そこまで太ってたりしなかったんだけど、それでもデブ、とか、ブス、とか。親がいなかったからかな。我慢したけどやっぱり耐え切れなくて。我慢すればするほど、その我慢でお腹一杯になっちゃって」


 青年の方を見ずに、外に目を向けた。遠く暗い空の先にある何かを見つめているようだった。


「そこから病院通って、病気治して。その時の看護師さんがとても良く接してくれて。だから私もああなりたいなって。ありきたりかな」


 そう言って、無理な笑顔で青年を見る。別に無理なんかしなくていいのに。

 美樹は大きく深呼吸をした。


「星空も綺麗だけど、人の作った光も綺麗。美佐雄さんはどっち派」


 青年はまた質問をされた。話の流れ的にはかなり意味合い深い質問だ。それとも、話題を変えるために振った話なのか。ちょっと頭が混乱する。もし、意味があるとしたらどういう意味だろう。


 星空は自然なもの。人の作った光は人工物。しばしば科学の発展は自然を壊すとして非難されている。


 壊す。


 人工物は自然なものを壊す。つまり、ありのままの自分ではいられなくなるという事なのかな。じゃあ


「ほしーー」


「ホテル行こう。私を抱いて。なんか寂しいの。心細いの。私を慰めて」


 青年は答えようと思ったけど、また打ち切られる。唐突な言葉に驚きを隠せない。でも、そうしてあげたい。慰めてあげたい。愛おしい美樹のために。できることがあるなら、やってあげたい。青年はヒーローだから。


 そんなこんなで二人でホテルに入って部屋を取った。道中は全然喋らなかった。ただ、青年は美樹の手をぎゅっと握ってた。美樹は少し青年の後ろに付くようにトボトボと下を向いて歩いていた。時折、どこか震えるような感覚が伝わってくる。


 部屋に入ると、美樹は「お風呂入るね」っと、一人で浴室に入っていく。青年は婚活パーティーに行った時くらい、いやそれ以上にガチガチになっていた。なんか勢いでこうなったけど、本当にこれでいいんだろうか。シャワーの音が少し聞こえてきて、さらにガチガチになる。今の青年はロボットになってるんじゃないだろうか。

美樹はバスタオルのまま出てきた。そして、どうぞって青年を促す。促されるまま青年も浴室でシャワーを浴びた。手と足が上手く動かずに、ウィーンウィーンと動いていた。


 青年はさっと、流した程度ですぐに上がった。軽く身体を洗った程度だ。たぶん。垢とか汗とかはちゃんと落とせていると思う。ただ、一つ一つの行動が終わるたんびに心臓が爆発しそうなほど脈打っていた。なんか、やばいかも。自分のやっていることがわからない。


 浴室から出ると、美樹が顔に手を当て、天を仰ぎ見るような形でベッドの上にいた。バスタオルは巻かれていない。いよいよ青年の心臓は収まり切れなくて飛び出しそうになった。が、すぐにおかしな事に気付く。


「美佐雄さん。待ってたよ。来てぇー」 


 美樹は青年に気付くと満面の笑みになり、艶めかしく青年を誘惑した。何か違う。彼女であって彼女でない人が目の前にいる。と、青年は美樹の手に白い粉の入った袋があるのを見つけた。


 ほとんど反射的だった。その袋を掴み取り、トイレに持って行って捨てて流した。そうしなければいけないと思った。


「何するのよ」


 一瞬おどけていた彼女が追い付いてきて、袋の行方を見るなり声を張り上げる。振り向くと、彼女の顔を被った悪魔がそこにいた。


「こんなもの吸っちゃだめだ」


 青年は負けじと張り上げた。


「高かったのよ。美佐雄さんにも分けてあげようと思ったのに」

「そんなもの僕はいらない」

「だからって、人のもの勝手に取って捨てるんてどうかしてる」

「どうかしてるのは君だ。なんでこんなもの」

「こんなものじゃない。これは大切なもの。私が私として仕事をするために、社会に出るためには必要なもの」

「必要ない。そんなのおかしい。君はちゃんと夢を叶えているじゃないか」

「叶えたよ。薬の力で。薬が私を救ってくれたの。薬が私を看護師でいさせてくれるの。どうせわからないよ。美佐雄さんには。理想と現実の違いなんて」

「理想を現実にするんだよ。そのためにみんな頑張るんだ。こんなものに逃げちゃだめだよ」

「そんなの出来ない。社会に出ていない貴方にはわからない。現実はそんな簡単には変わらない。私は結局病人でしかないの」

「うん、今の君は病人だ。一緒に病院に行こう。僕が治してあげるから」


 青年が美樹の手首を掴んで連れて行こうとする。


「私を、私の夢を奪わないで」


 バシンっっと、頬を思いっきり叩かれた。そして、美樹は上着を羽織って、そのまま出て行った。去り際に言葉を残して。


「あんたみたいな馬鹿は一生社会に出られないのよ」


 青年は、何も返せなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る