18話 少女は涙を語る

 シャーベット・ヘイルの記憶は、俺の中で温かなものとして残っている。


 まだ年幼い少女で、俺に懐いていたメイド見習いの少女だった。俺が実父の家に居た頃から俺に付き従った、正式な俺付きのメイドの、その娘。半ば乳兄妹のような存在だった。


 どこに行くにもついてくるような子で、愛らしく笑うので俺も可愛がっていた覚えがある。


 だからこそ、この状況には看過できないものがあった。


「……まさか、お前が殺しに来るとはな」


「申し開きも、ございません。いかようにも、償いましょう。首を差し出せと言うなら、差し出します」


 シャーベットにも、思うところがあるようだ。過ぎるほどに従順に振舞うような雰囲気がある。


「何故ブラッドフォード侯は、今になって俺を殺せと命じた」


 俺が問うと、シャーベットは答える。


「ブレイズ様が、山から出てきたからです」


「見られていたのか」


「違います。魔剣ティルヴィングに、場所を知らせる魔法がかかっているのです。それで山から出てきたことが分かりました」


 みんなの視線がティルに集まる。ティルは焦って挙動不審になり、涙目で俺に抱き着いてきた。


「……ごめんなさい、レイ……」


「気にするな。知らなかったのだろう。気に病むことではない」


 武器にそう言った魔法が掛けられるのなら、誰だってそうするだろう。武器を失ったのならその人物は死んだという事だ。逆に言えば、生きている内は追跡できる。


 特に、ティルのように替えの効かない魔剣はそうだ。


「しかし、なら何でもっと早く襲わなかったんだ?」


 マーチャの疑問に、シャーベットは答えた。


「ブレイズ様は追放されて、すぐに魔境山に入ってしまいましたから。それから十年経つまで山中で、正確な場所が分からなかったのです」


「は? 魔境山? 魔境山って、あの? 歴戦の魔法使いの一団が入って、一人も出てこなかった?」


「そうです」


「……おい、剣士。十年間、お前魔境山に居たのか。十年前から、ここ最近までずっと」


「ああ」


「レイはあの山でも最強。全部の魔獣を殺した」


 ティルが自慢げに言うと、ティル以外の全員が、信じられないものを見る目で俺を見る。


「……何だ」


「ブレイズが超人的に強い理由が、これかって思ってな」とマーチャ。


「俺、こいつと戦ってよく生き残れたな……。いや、復活の魔法はあるんだが」とカッツ。


 シャーベットは言いにくそうに口を開く


「御屋形様は、あの山に入っていったブレイズ様を見て、『忌々しい剣を持って、勝手に人目につかないところで死んでくれるのだけは、親孝行だな』と笑っていました」


 俺はなるほどと思う。つまりは、魔境山とはそういう場所だったのだ。俺は運良く生き残れてしまったが、普通はそうではないのだろう。


「流石は、ブレイズ様。オヴィポスタ伯の実子なだけはあります」


 シャーベットは首を垂れる。それから、静かに言葉を紡ぐ。


「……実を言うと、ブレイズ様が山を出たことを真っ先に知ったのは、ワタクシなのです」


 俺は、シャーベットに視線をやる。


「あなた様があの屋敷を追放されたころから、ずっと追跡の魔法がかかった地図を見ておりました。地図の上で、ブレイズ様の場所に応じて、小さな駒が動くのです」


 シャーベットは泣き笑いの表情で言う。


「ワタクシは、毎日ちょこちょこと動く地図の魔法を見て、まだブレイズ様は生きておられる、と喜んでいました。誰もがとうに死んだと思うブレイズ様が、今日も元気でいる、と」


 ですが、とシャーベットは続ける。


「ブレイズ様が先日、山を出たことを知って、ワタクシは動揺しました。それを、御屋形に見咎められたのです」


 詰問を受けたと、シャーベットは語る。シャーベットは適当な嘘で誤魔化そうとしたが、ブラッドフォード候は騙されなかったと。


 最後には鞭を打たれ、シャーベットは口を割ったという。


「ワタクシは、嘘を吐けませんでした」


 涙をこぼしながら、シャーベットは語る。震えながら、彼女はこう続ける。


「あの山から、出てこなければ。ワタクシはずっとそのことを祈っておりました。ですが、あなた様は出てきてしまった。御屋形はそのことを知ってしまった」


「それで、ブレイズを襲ったってことか」


「……はい」


 マーチャは、「はー……」とためいきをつく。それから俺に「どうするよ」と言った。


 俺は答える。


「決まっている。養父を、ブラッドフォード侯を殺すまでだ」


 シャーベットは、バッと顔を上げた。必死になって縋り付いてくる。


「無茶です! 御屋形様には、何者も敵いません! あの方は恐ろしい人。今度こそ、ブレイズ様は殺されてしまいます!」


「シャーベット。そうするより他に、俺には道がない。それに、俺にも奴に聞きたいことがある」


「それは……?」


 俺は、シャーベットの目を見る。


「何故、俺の実の父を殺したのか」


「……え……」


「シャーベットは知らなかったか。まぁ、そうだろうな。あの父上のことだ。深く関わった人間にしか、この事は知らせまい」


 とはいえ、これで方針ははっきりした。


 俺は言う。


「父上を、養父、ブラッドフォード侯を斬る。シャーベット。償うというなら、俺の道しるべとなれ」


「で、ですが……」


 シャーベットは怯む。懊悩する。それを、俺はじっと見つめ続けた。


 俺は、呼ぶ。


「ベティ」


「――――ッ」


 シャーベットは、ベティは目を瞠った。それから、項垂れ、涙をこぼしながら言う。


「分かり、ました。どうか、ご武運を」


「……感謝する」


 沈黙が、この場を占める。俺は椅子の背もたれに寄り掛かりながら、息を吐いた。

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