4-7 衝突

「イースト・エンドというと、前に娼婦が殺害された現場の近くか。だとしたら、宝石を盗んだのは、そこに住む住民の仕業というわけか」


 夏目の推測に対し、エドワードは異議を唱える。


「そうとも限らないんじゃないかな。爆弾が仕掛けられ、枝分かれしている形跡があるのなら、警察がそこへ向かうように犯人に仕向けられた可能性もある。現に、今回盗まれたはずのものが会場内で見つかったわけだからね」


 夏目は困惑した表情を浮かべた。


「宝石をばらまいた人物が盗難した犯人? だとしたら、今回の犯人も貴族なわけで……いや、だとしたらおかしいことになりませんか? 盗んだものをわざわざばら撒いて……犯人の狙いはいったい何だというのでしょう?」

「少なくとも、金品を目的とした犯行ではないということになるね。狙いは恐らく――」


 エドワードが言いかけたところで、ホワードが二人の会話に割って入る。


「念のため、イースト・エンドには数名同行させる。戻り次第、管轄の署へ至急手配する。まずは宝石をばら撒いた人物をとっ捕まえることが先決だろう」

「人の話は最後まで聞くものだ。また肝心なところで」

 夏目が怒りをあらわにするも、エドワードは柔らかい笑みを浮かべる。

「それなら心配ありません。もう分かっていますから。かえって犯人に怪しまれるといけません。一旦ここを出ましょう」






 エドワードたちが宮殿を後にしてからしばらく、会場内では宝探しゲームが大詰めを迎えていた。

 ジェームズは会場の隅でシャンパングラスを手に持つ青年に目を止めた。


「宝探しは楽しんでいるかな?」


 話しかけられた青年は戸惑いの表情を浮かべながらも、これに応じる。


「……は、はい。あなたは?」

「ジェームズ・マイヤーだ。君は確か……」

「ヘンリー・ジェンキンス」

「ヘンリー君。いや、今はジェンキンス卿と言うべきかな。お父上のことは残念だったね」

「ええ、まあ……」


 ジェームズが右手を出し、握手を求めると、ヘンリーは恐る恐る手を出した。ジェームズが彼の手を握った瞬間、彼の表情はほんのわずかに歪む。


「これはすまない。あまり強く握った覚えはないのだが」


 そう言うと、ジェームズは左手でヘンリーが右手にはめている白い手袋を脱がせた。


「な、何をいきなり!」


 慌てた様子のヘンリー。あらわになる彼の右の掌にはいくつもの傷跡があった。


「これはさぞかし辛いだろう。手当をした方が……」

「お、大きなお世話だ!」


 ヘンリーは叫ぶなり、ジェームズのそばを離れた。

 ジェームズは「なるほど」と、一言呟き、思案する。


 ――お前の言う通りだ。我が弟ながら、あの動体視力には脱帽している。






 ロンドン警視庁スコットランド・ヤードに戻る途中、馬車の中でホワードはしばらくの間無言だった。窓の外を見つめ、大きな溜め息を何度もつく。


「ホワード警部」


 エドワードが呼び掛けても、どこか上の空といった様子で、見かねた警官がエドワードに代わって再度呼び掛ける。


「警部、呼ばれていますよ」

「お、おう……」


 ホワードはようやく我に返り、背筋を正した。


「大丈夫ですか? その様子ですと、ケリーさんの具合を気にされているのでは?」


 エドワードの言葉に対し、ホワードは肯定も否定もしなかった。


「俺たち警察は、いつ何時なんどき命が狙われるやもしれん身だ。今回みたいにちょいとしたことが、でっかい事故に繋がることだってある。奴はヤードでも一二を争うほどの銃の腕前なんでな。腕が落ちていねぇか、それだけが気がかりだ」


 これを聞いた夏目は眉間にしわを寄せ、ホワードの方を睨む。


「腕の心配とは聞いて呆れる! もっと部下のことを……」

「夏目」


 エドワードは慌てて制止のポーズをとり、首を横に振るが、対するホワードは、「うるせぇ」と、小さくこぼした後、再び窓の外を見つめていた。


「……目ぇ覚ました暁には、とっちめてやる。ドジ踏みやがって」


 まもなく馬車は警察署に到着し、エドワードと夏目は応接室に案内された。

 二人の向かいにホワードが座った。


「イースト・エンドに繋がる穴が唯一の手がかりだ。そこから真実に辿り着くことが、俺たちの今やるべき仕事だと思っている。マイヤー、アンタの推測が当たっているかどうかはさておき、俺たちの追っている情報と繋がりがあんのか、確かめさせてほしい」


 エドワードは首肯した。


「もちろんです。僕が最初におかしいと思ったのは、タイプライターの文字です」

「タイプライター?」

「市内で起きた連続殺人事件の予告状です。字体がある論文のものと酷似していました」

「タイプライターなら、ロンドン市内だけでもごまんとある。それを見つけたっていうのか?」


 エドワードは首を横に振った。


「正確には“No”です。研究室に行った時には、もう手遅れでした。唯一の証拠ともいえるタイプライターを含め、もぬけの殻だった。シアン化カリウムの薬瓶を学生に持ち出すよう仕向けたのも、恐らく彼の仕業です」


 ホワードは瞠目した。


「おい、ちょっと待て。じゃあ、アンタの思う人物ってのは――」

「トーマス・エヴァンズ、我がウェストフォード大学の教授です」

「犯人は死んだヘーゼルダインの息子じゃないのか?」

「実行犯はスチュアート君です。ですが、手引きをしたのは彼です」

「そのエヴァンズってやつの消息は?」


 エドワードは首を横に振った。


「どこにいるのか、今は何も」

「舞踏会には来ていないのですか?」


 夏目の問いに対し、エドワードは再び首を横に振り、ポケットから一枚の紙を取り出した。


「招待客のリストです。予想はしていましたが、エヴァンズ教授の名前はありません。代わりに名前があるのは――」


 エドワードは該当部分を指で示す。


「ヘンリー・ジェンキンス? どこかで聞いたことがあるような……」


 ホワードは腕を組み、考え込む。


「前回の舞踏会で殺害されたエルマー・ジェンキンス卿の子息。ジェンキンス家の当主です」

「そいつが盗難事件の犯人だというのか?」

「ほんの一瞬ですが、彼がポケットにレッド・ダイヤモンドを忍ばせているのが見えました」

「だったら、なぜその場で捕まえない?」

「警戒されるからです。彼を捕まえたところで、エヴァンズ教授に辿り着くことは出来ません。教授の狙いは恐らく、舞踏会で騒ぎを起こし、王室に恥をかかせること。何らかの恨みがあるに違いありません」

「王室への恨み……皆目見当がつかんな」


 廊下から慌ただしい足音が響き渡る。

 まもなくノック音とともに扉が開け放たれ、警官が室内に入る。


「警部! 大変です!」

「何だ、慌ただしい」

「ホワイトチャペル署から連絡があり、『至急応援を』とのことで。自警団が各地にバリケードを張り、偵察を拒んでいるようです」


 ホワードは大きな溜息をついた。


「こりゃ、また面倒なことになりそうだ。奴らは元々俺たち警察のことをよく思っていない。だが、いったい何だって……」

「ホワイトチャペル署から聞いた話によると、『いつまで迷宮入りにさせるつもりだ』、『俺たち“Working Class労働者階級”を何だと思ってんだ』、『娼婦の命を返せ』などと訴えているそうです」


「それって、前回の事件の……」

 と、夏目が口にするのも束の間、エドワードの顔が青ざめる。彼の頭の中では、かつてホワードとともに訪れたゴミ捨て場の情景と、酷い臭気がよみがえっていた。


「何てことだ」


 エドワードはその場で俯き、頭を抱えた。

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