2-5 いざ、ロンドン警視庁へ

 頭の中にひとつの単語が浮かぶや否や、「そうか!」と、エドワードは大声を張り上げた。

 その様子を目の当たりにした夏目は、目を大きく見張る。


「何か分かったのですか?」

「『七番目の月』というのは、九月のことだよ」

「九月、ですか?」

SeptemberのSeptemは、ラテン語で七番目を意味しているんだ」

「七番目なのに九月? ジュリアス・シーザーとオクタヴィアヌスのせいか? 二人の月が割って入ったから」

「二人が自分の名前をもじって月の名前を改めたために二か月ずれ込んだという考え方もあるらしいけど、それはあくまで俗説。昔、ローマ暦は十か月しかなかった。その一番目の月が三月、軍神Marsマーズの月だ」


 夏目は右手の親指から順に折っていき、ゆっくりと数える。


「三、四、五、六、七、八、九……確かに七番目だ。では、その次の『最初に十二の鐘を刻むとき』というのは日付か? 鐘。鐘というと、まさか……」

「ああ、恐らく――ビッグベンの鐘のことだ」

「だとしたら、『最初に十二の鐘を刻むとき』というのは、時間?」

「鐘が十二回鳴るのは、午前零時と正午。そのうち、九月に入って最初に十二回鐘が鳴るのは――」

「午前零時! ということは、犯行予告時刻は九月一日の午前零時だな」


 声のトーンが上がる夏目とは対照的に、エドワードは険しい表情を浮かべ頭をひねっていた。


「『宴は血の色に染まる』の『宴』は……」

 エドワードは顎に手を添え、思案する。

「宴が意味するのは、酒宴、酒の席……人が集まるところ」

 そう思い至ったところで、ジェームズとの会話を思い出す。


 ――どうせワインを飲む頃には日付をまたいでいる。そのための九時開始だろう。


 エドワードは目を大きく見開いた。


「バッキンガム――」


 彼の口から出た思いもよらない言葉に、夏目は瞠目した。


「バッキンガムって、あの、宮殿の?」

「八月三十一日の午後九時、宮殿で舞踏会が開催される。それと、ワインの試飲会も。うちにも招待状が届いてね。兄さんが行くことになっているんだ」


 その時、ビッグベンの鐘の音が辺り一帯に響き渡った。


「七時か。これは一刻の猶予もないぞ」

「急ごう。まずは警察にこのことを知らせないと」


 夏目は首肯した。すぐさま会計を済ませた二人は、店を出て辻馬車を探し始めた。


「いつもならこの辺に……」

「いたぞ、馬車だ!」


 夏目が辻馬車を見つけ、指をさす。

 二人は慌てて駆け出した。


ロンドン警視庁スコットランド・ヤードまで。急いで向かってほしい」

「警察に⁉」


 馭者は、エドワードの告げた行き先に目を丸くしながらも、すぐに馬車を走らせた。


「日時と場所が分かっても、犯人がいったい誰を狙っているのか。これでは防ぎようがないと思うのですが。犯人に踊らされているような気がしませんか?」

「被害者たちと犯人の関係が分からない以上、現段階で対象をしぼるのはかなり厳しい。現時点で共通しているのは、殺害現場と被害者の居住地がともにロンドン市内で、全員女性ということぐらいだからね」


 警察に到着すると、エドワードと夏目は受付でホワードとケリーの名を告げた。すると、ものの五分で二人はエドワードたちの元へ現れた。


「解けたのか? 予告状」


 犯人を逃すまいという気迫に満ち溢れたホワードが、エドワードを凝視する。


「はい。ですが、予告状に書かれていたのは日時と場所までで、対象が誰かまでは書かれていませんでした」

「その日時と場所は?」

「九月一日の午前零時。場所は恐らく、バッキンガム宮殿かと」

「バッキンガムだと⁉」


 これにはさすがのホワードも仰天した。


「ええ、八月三十一日の午後九時から、ワインの試飲会を兼ねた舞踏会が開催されます。うちにも招待状が届いていまして、僕の兄が出席することになっています」


 それを聞いたホワードは、不気味に口角を上げ、目をギラギラと輝かせる。


「なるほど……それなら好都合だ」


 隣にいたケリーは、ぎょっとした顔で彼を見上げていた。


「け、警部? まさか、また良からぬことを……」

「お前らも一緒に来い!」


 ホワードの誘いに、エドワードと夏目は瞠目する。


「ぼ、僕たちもですか⁉」

「当たり前だろう。俺たちに協力するんだろう?」

「警部! それはいくら何でも無理がありますよ。エドワード様はあくまで一般人ですから。これで何かあったら、ヤードの信用問題にも関わりますよ」


 まさに強引とも言えるホワードのやりように、ケリーが苦笑いを浮かべながら制止しようとするが、ホワードはまるで聞く耳を持たない。


「ですが、さすがにこの格好では。大学はともかく、社交の場にふさわしいものではありません。今回は宮殿が会場なのですから」


 エドワードは、自身の服装を指さしながら反論した。丈の長いジャケットにベストとズボン。舞踏会出席を念頭に置いたジェームズの服装とはまるで異なる。あくまで大学教授としての装いでウエストミンスター宮殿の中を歩いていたエドワードの服装は、常識のある貴族であれば社交界の場へ足を運ぶには不相応であることは明白なのだが――。


「あ? 服がどうした? 人の命がかかっているんだぞ!」


 その場で怒鳴り散らすホワードの声で、同じく署のロビーにいた他の警官や市民たちの視線が集まる。

 エドワードは、きまりが悪そうに肩を竦めた。

 見かねた夏目が代わりに返答する。


「だがそうはいっても、ひとりだけ場違いな格好で行ったら、それこそ犯人に怪しまれかねない。警官が行くだけでも十分警戒されると思うが」


 夏目の指摘に一理あると感じたのか、いったんはホワードも押し黙ったが、捨て台詞のように言葉を吐き捨てる。


ってのは、面倒な生き物だな。だったら早く、家で着替えてこい!」


 強引だ、と思いつつも、エドワードは彼の言葉に従い、夏目を連れて自宅へと向かうことにした。


「まったく、あのホワード警部ってのは随分と強引だな。そうは思いませんか? 教授」


 辻馬車に乗るなり、夏目が怒りをあらわにする。

 不意に話を振られたエドワードはぎこちない返事をした。


「ん? ああ、そうだね」


 そう言いながら、彼は頭の中で懸命に被害者たちの関係性について考えていた。


「仕立て屋の娘に医者の娘、男爵令嬢。パブ・コンスタンスで働いていたアニタさん。ロンドン市内に居住している以外に共通点はない。彼女たちの間で、それぞれ面識はなかったのか?」


 夏目は訝しげにエドワードの顔を見たが、懸命に何かを考えているらしい様子を見てとると、無言で前を見つめ腕を組んだ。しばし会話のない車内では、石畳の通りを走る馬の足音と、馭者の時折打つ鞭の音がよく響いていた。






 屋敷に着くなり、二人はエドワードの部屋がある二階まで上がり、クローゼットの前へ向かう。


「すまないね、君まで巻き込んでしまって」

「私は構いませんが、さすがにこの国の貴族でもない私が同行していい場所なのでしょうか?」

「そうだね。戻ったついでだ、君も一緒に着替えよう。君の背丈なら、兄さんの服でも着られると思うから」

「私が教授の兄上の服を⁉」


 夏目は瞠目したが、エドワードは構わずにクローゼットから一着取り出す。


「あまり時間もないからね。悪いけど、これを着てくれ。兄さんからお下がりの服をもらったのはいいけれど、僕には少し大きくてね」


 差し出された服を前に苦笑いを浮かべる夏目だったが、

「あの警部のことはいささか気に入りませんが、これも教授を助けるため、と思うしかありませんね」

 と、言いながらしぶしぶ受け取った。


 二人が着替えを済ませると、屋敷の前には警察の馬車が止まっており、窓からホワードが苛立たし気に顔をのぞかせていた。


「早く乗れ!」


 覚悟を決めた二人は、馬車へと乗り込んだ。

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