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  • こういうのを現代では「リア充爆ぜろ」って言うんですね(?)……っていう、お手本みたいな返しですね。
    いかにモテモテだったか偲ばれます。
    そして、小憎たらしいくらい言葉が上手いですね。

    でも、何がすごいって所定まらないはずの業平に、ちゃんとお手紙届けられる従者たちだなと思いました(今更)

    作者からの返信

    光源氏のモデルの一人と思えば、また印象が違います。
    ・・・やはり紫の上かな。

  • ちょいちょい思うんですけど、業平ってお茶目ですよね……なんで、こうややこしい(絶対面白がってるだろ)ことをするんだろう……笑

    作者からの返信

    敏行さんとの遊びの歌のような感じです。
    今の歌手は、レコード会社の束縛で、出来ませんが  ^^

  • この歌を読んで、なぜか脳裏を「ロマンティックが止まらない」が駆け抜けていきました(笑)
    意味としては、確かにそのままなんですけど(ツボに入ってしまいました)

    作者からの返信

    中高生が好きそうな歌かと。
    そのまま、ラブコメに使えそうです。

  • この時代、悲運悲恋で死んだ人々(の怨霊)をいかに恐れていたか、というのも窺い知れる歌ですね。

    作者からの返信

    恋死に対して、実に、厳しい表現と思います。
    死ぬほどの思いで、恋をする。
    それが、究極の恋なのかもしれません。

  • 言葉遊びと情景が同時に出てくる、さすがにさすがの歌ですね。
    最後に、「こんなはずでは……くそ、なぜだ!」みたいな感じがオチになっていて、神罰を感じさせて上五に返ってくるの、すごいなと思います。

    不憫を笑いに変えてる歌なんでしょうか(?)お茶目ですね。

    作者からの返信

    貫之ならでは、と思います。
    技巧的で、面白い。

  • 本当に、友則にしてみたら随分とオトコくさい無鉄砲ささえある歌だなあと感じますね。
    歌合せのお題だったのか、誰かに頼まれたのか……。

    作者からの返信

    男は手に入れるまでは必死。
    上手に詠んでいると思います。

  • どっちのお歌も少し言い訳っぽい感じがしてきますね。
    気持ちはあるんだよ〜、でもね〜人の目がね〜って、現代のLINEとかSNSのやり取りでも普通にありそうだな〜って感じられるあたり、昔も今もあまり変わらないのかもしれませんね。

    作者からの返信

    今でも京都の生活は、人目を本当に気にします。
    言葉も、慎重にしないと、すぐに噂の種(中傷されることも)。

  • 学者先生の訳し方なら仕方ないのかもしれないですが、確かにほぼ情緒が欠落してる気がしますね(苦笑い)

    深夜に「天の門渡る」で一線を超えたことをしっかり匂わせておいて、月明かりじゃなくて「月影」と表現することで人目を憚っている様子、
    詠んだ人視点だと、照らされているのは愛しい「相手」であり、多分その姿がとても印象的な美しさだったから「飽きもせず」見てるって、だいぶ色っぽいシチュエーションですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    学者は、その歌の注釈と文法には熱心。
    でも、歌そのものの訳は、酷いなあと。

  • 斎宮に選ばれる女性って、基本的に皇族ですよね……((((;゚Д゚)))))))

    業平……こうやって、改めて一首ずつじっくり見ていくと、どんだけ型破りなんだって驚愕しますね……(ゴシップエンタメとしては当時から最高峰だったんだろうけれど)
    そして、お歌にも処世術と知性が光ってる……!
    (宮中で生き抜くには度胸と知性がないと無理ってヒシヒシ感じます)

    作者からの返信

    斎宮にも思いをかける、業平だからこそ、ドラマになるような気がします。

  • モテる人と、そうじゃない人の差って、こういうところなのかな……と思うくらい、お相手さんのために言葉を選んでるなあ……って感心します。
    ちゃんと気遣いできてて、尚且つ詩的。でも、どこか後腐れないこざっぱりした(慣れてる?)印象を受けます。

    作者からの返信

    業平の歌は、自由奔放。
    恋もゲーム感覚。
    光源氏や匂宮にも通じるような雰囲気があります。

  • 深養父さんが詠むから「割り切れない苦しい恋ね」ですんなり読めてしまうけれど、
    読み人知らずだったら、泥沼の昼メロを見ているみたいで、また違った意味で行方が気になりますね。

    作者からの返信

    この時代の恋愛観(倫理観)を含めて、現代とはかなり違います。(嫉妬は、似通いますが)
    源氏の桐壺を読めば、身分差をわきまえない純愛等は、認められていなかったのが、よくわかります。
    「安易な口約束」も、評価が難しいところです。

  • すごいや、友則さん。お手本のような恋愛脳(違う)
    同じ水無瀬川を題材にしても、やっぱり性格って出ますよね。
    そして、やっぱり通常は秘めた恋詠みたくなりますよね。

    (水無瀬川で後鳥羽院アタックを思い出して笑ってしまう人より)

    作者からの返信

    後鳥羽院もかなりな、暴君だったようですね。
    定家は、歌は達人(性格は我がままらしい)

    とにかく、後鳥羽院の時代は、様々な異才揃いです。

  • 掛け言葉のバリエーションは、後世の人の「(名手の)貫之なら、これくらい考えてそう」という憶測が大きいのではないかなぁと思ったりします。
    私も、この歌はそのままの意味でストレートに解釈しました。
    貫之さん、言葉のチョイスは繊細だけど、歌そのものは結構男前な詠み方するお人だと思ってるので(笑)

    (そういう意味で、友則の方は非常に恋愛脳というか女子力高めな比喩表現が印象に残ります。性格なのか、なりきっているのか)

    作者からの返信

    学者は、こねくり回すのが好きです(笑)

  • 貫之の言葉のセンス、やっぱりやっぱり好きです。
    (今、机バシバシしながら読んでます)

    知らない相手じゃないのに(ある程度付き合い長そう)、ある日意識し始めたら(それまでは何も考えずに普通に会話できたのに)どう接したらいいのか分からなくなった、という感じにも受け取れそうですね。

    作者からの返信

    貫之は、歌の名人ですね。
    土佐日記では、また違う個性がにじみ出ています。

  • 定家のパターンが一番スッと入ってきて好みです。
    この方の歌ってほんと絵画みたいだなぁ、と毎度感心しきりです。

    作者からの返信

    定家は稀有な歌の達人。
    明月記では、人間臭さもあって面白い。
    でも、友人とすると、面倒かも、(小難しそうで)

  • ある意味、恋の駆け引き中とも取れそうな歌ですね。
    押してダメなら引いてみな〜を試した結果、相手に引かれて慌ててる、みたいな情景も浮かんできそうです。

    作者からの返信

    秘めた恋の歌ですが、結局結ばれるのは、金と地位がキーワード。
    ヘタレで、金も地位もない男君は、相手にもされません。

  • お側仕えの女房さんから「知らんがな——」って、山びこが返ってきそう……
    厳しい山は、まず低山から踏破しないと……!(などと、好き勝手なことを考える後世の不届者です・挙手)

    作者からの返信

    お側仕えの女房は、寄って来る男君を値踏みしたようです。
    つまり、自分への仲介手数料の多い男君を優先します。

    貧乏貴族は、後回しで歌を詠むだけかもしれません。

  • 六条御息所さまみたいに、募り募った情念が生霊になるパターンを妄想してしまいました……。

    作者からの返信

    生霊は、当時の都市伝説でしょうか。
    現代では、呪い術が、多少残る程度。(それも減少気味、あまり話題になりません)

  • 式子内親王のお歌の方が、よりストレートに感じるのは上五でスパーンと「儚い」と断言しているからでしょうか。
    結構、芯の強いキッパリハッキリものを言うお方だったのかなぁ……なんて、思ってみたりします。(まあ、メンタル強くないと皇族なんてやってられないのかも……)

    作者からの返信

    式子内親王は、確かに稀有な歌人。
    生きた時代も、大混乱期で、それゆえに感性が磨かれたのか、難しいですが。

  • 「王様の耳はロバの耳——!」ってツボだか穴だかに叫んだ仕立て屋さんが欧州にいたようですが(笑)、この方は「全っ然、振り向いてもらえませ——ん!」と山に向かって叫ぶのでしょうか……
    山びこには「知らんがな——!」って返事してほしい(そして豪快にズッコケるまでがワンセット)

    嘆きの大きさを詠んだ歌だと思うのですが、どうしても新喜劇のフリに思えてコミカルに面白いです。

    作者からの返信

    しのび泣きなら、まだしもですが(笑)

  • 詠み人知らず、となっていますが、多分、自身の状況が情けなくてお名前残せなかったんじゃないかな……などと、ほんの少しだけ同情してみたりします。
    そのせいか、特に歌そのものには捻りもないのに感情だけは妙に生々しいなあと。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    古今の詠み人知らずには、様々な説がありますが、名前を出せない、出したくない人も、確かにいたのかな、と思います。詮索はしない、が、大人の読み方とも(笑)

  • 確かに、貫之よりもずっと格上のお相手様なのかな、
    ちゃんと持ち上げて、やんわりNOと言える(笑)日本人ですね(私はそちらに解釈しました)
    いや、京都人気質といえば、それが一番しっくりくるかも……

    貫之の言葉選び(他のお歌もそうですが)が、個人的にバシバシ壺に入ってニヤニヤしてしまいます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    貫之の感性、言葉、和歌理論は、日本文学史の中でも、最上級と思っています。

    京都人の言葉は、深くて、二重三重に考えないと痛い目を見ます。

  • 確かに、一回でスッと入ってこない言い回しですね。
    ちょっと首を傾げて、もう一回読み直して、それでも「うーん?」と思うのですが、
    なんか慌てて早口になりながら、刺された図星に「違う」を連呼する挙動不審な少年の姿が思い浮かぶようです。
    (そう考えると微笑ましくもあり)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    古今は、高尚で高齢の学者諸先生よりも、「コイバナ」にたけた女子高生のほうが理解できるかもしれない、そんなことを考えています、

  • 旧知であってほしいな、と私も思います。
    初見で、しかも居場所を特定されて、いきなりこんなお手紙届いたら、むしろちょっと怖い……苦笑
    執念が怖い……と思うのは、現代人の感覚なのかもしれませんが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    業平とか光源氏ならともかく(笑)
    初対面では、なかなか、声はかけられません
    旧知の女性を、かすかに見て、昔の恋心が・・・なのでしょうか。

  • 確かに、上の句で「道に迷いました!(どーん)」ってストレートに宣言している時点で、お察しという感じですよね。
    なんで、その方角に宿があるって確信してるんだい!?(お察し)

    だって、仕方ないじゃないか、困ってるんだもの♪ という、ほんのり浮かれた感さえ滲んでいる気がします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    古今ならではの、洒落た恋歌とも、思えます。

  • コオロギにさえ、八つ当たりしたくなる夜も、あるのかもしれませんね(笑)

    京都にスズムシの鳴き音をBGMに、お説法を聞くことができるお寺がありますが、なんか、似たようなシチュエーションで誰ぞに小言でも言われたのかな……?? と考えるのも、少し楽しかったりします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    人間は好き勝手に歌やら説法に使っていますが、虫は虫の勝手で鳴いているだけです(笑)。

  • 小学生だった頃、校歌に「月の桂を手折らんと、倦まず弛まず身は強く」って歌詞があって、
    当時は「月のカツラって何やねん??」って、私も友人も首を傾げて笑いのネタにしていたのですが、あれも、今思えば中国故事由来だった……と考えると、すごく深い言葉だなと思い返します。

    怠けずに、志は高く持ちなさい(健全な精神は健康な体に宿る)っていう道徳的な教えだったんだなあ。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    格式高い校歌で、素晴らしいですね。

    壬生忠岑は、かなり照り映えた月を見たと思います。
    だから、やや派手な詠み方をしたのかもしれません。
    日本人も、昔より、月を見なくなった。
    それが残念です。

  • 代打で詠んだんだから、これくらい大目にみてくれますよね。
    という許されること前提のお茶目が感じられますね。
    ウィットに富んでて、私は好きです、こういうの。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    「天の川」友則にとっては「身分違い」の意味も掛けたのかもしれません。

  • 私も古今集も漢詩も好きで、
    この歌については書いたことがあります。

    ところで、古今和歌集(2)となっていますが、
    (1)はどこかにおありなのでしょうか。

    作者からの返信

    コメント及び☆など、ありがとうございます。
    古今和歌集(1)も、カクヨムに掲載してありますので、よろしくお願いいたします。
    (1)と(2)にわけた理由は、ひとえに、私個人が病気入院をして、書ききれなかっただけです。退院して、しばらくして気分一新で(2)を始めました。
    歌そのもののには、区別はありません。