第27話 『ゴジラ−1.0』と『一蓮托生』と『泥中の蓮』

 2023年11月、公開された映画『ゴジラ−1.0』を映画館で鑑賞してきた。公開前の情報で終戦直後の東京が舞台になると知り、密かに気にしていたのだ。

 ここからは内容のネタバレを含むのでご注意願いたい。













 本作の見所は色々だ。ゴジラファンはゴジラの暴れっぷり、ミリタリーファンは日本軍の兵器の使われ方、もちろん俳優のファンの方もいるだろう。しかし私にとっては時代考証に定評がある山崎貴監督の描写が、自分の書いた『一蓮托生いちれんたくしょう』『泥中でいちゅうはす』とどれくらい似ているのか答え合わせをしたいというのが目的だった。


 主人公が戦地から焼け野原になった自宅跡に引き揚げてくるのは1945年12月の東京。まさに『泥中の蓮』で横澤よこざわ家のバラックが出来た直後だ。入口にドアがないバラックが多く、むしろをドア代わりにしていた当初の設定も違和感がないことが分かった。がれきや焼け落ちた木材があちこちに散らばり、その合間に無造作にバラックが建ち並んでいる。主人公の家には崩れ落ちた門扉があり、敷地の区切りになっている。横澤家にもこういった門扉の焼け残りがある方がリアリティが増したのかもしれない。


 主人公はヤミ市で出会った赤子連れのヒロインに押しかけられ、3人で疑似家族のような生活を送ることになる。ヤミ市の描写も立ち食いの屋台が建ち並んでいる雰囲気で、まだまだ整備が進んでいないのが分かる。


 その後舞台は1946年3月に飛ぶ。バラックもなんとか住まいらしくなり、室内には電気が引かれ、入口にも扉が付いたように見える。室内は大人の布団を二枚並べれば一杯の大きさで、その間に布カーテンを掛けてプライバシーに配慮している。バラックの奥には柳行李とちゃぶ台が置かれ、木箱の上には俗名のみが書かれた両親の位牌と陰膳が置かれている。小さな窓が一つあり、ガラスで出来ているように見える。布団は窓の外に張った洗濯紐に引っかけて干している。大雨の時は室内のあちこちで雨漏りしており、皿などで受けている。私が『一蓮托生』で描写した横澤家の室内に非常に近いイメージで嬉しくなった。

 主人公とヒロインの服はかつら達よりは恵まれているように見える。洗いざらしだったり小さな穴が空いたりしているが、継ぎが当たっているほどではない。


 その後、主人公は危険だが実入りのいい仕事を見つけ、バラックを建て替える。同僚たちを家に呼んでも十分な広さになり、流し台やかまどの付いた台所も出来た。ラジオも入手し、成長した子どものためのおもちゃもある。タンスなども置かれている。ただし床は畳ではなく板の間だ。畳が調達しにくかったのだろうか。

 本作の主な舞台は1947年4月以降。まさに『一蓮托生』の時代だ。

 主人公が同僚たちと酒場でおでんと酒を飲むシーンが何度かある。幌がかかった空間の入口に店名の入った提灯が下がっており、酒の種類も豊富だ。ここはヤミ市の店なのか、1947年7月に施行された「飲食営業緊急措置令」前の飲み屋なのかが気になる。

 主人公たちがテーブルクロスのかかった四角いテーブルで酒を飲むシーン、加筆版で登場する酒場『墨田すみだホープ』のテーブルはまさにこのイメージだった。後ろのカウンターでは店主が腰掛けて見守っている。カウンターの後ろには食器やコンロなどが置いてあり、カウンターの端では店員らしい割烹着姿の女性が立っている。かつらが働く「まつり」はカウンター席の店だが、厨房はこんな雰囲気だったのだろう。

 ゴジラが暴れる銀座の惨劇、熱線や放射能の雲は恐らくかつらの住むうまや橋からも見えただろう。立ちすくむかつらや康史郎こうしろうの表情が見えるようだ。


 本作の主人公は特攻できなかった元航空兵。『泥中の蓮』の横澤よこざわ羊太郎ようたろうを思い出すが、羊太郎が出撃する機会を失って復員したのとは違い、出撃したものの特攻できなかったトラウマを引きずって生きている。日本に帰国しても見殺しにしてしまった仲間の悪夢に苦しめられる。主人公がヒロインと暮らしながら結婚に踏み切れない大きな原因でもある。

 そういえば本作には進駐軍相手の売春婦を指す「パンパン」という単語は出てきたが「ヒロポン」は出てこなかった。主人公がヒロポンに手を出していたら『一蓮托生』の廣本ひろもとのようにヒロポン中毒になっていたかもしれない。

 私はミリタリーや科学は門外漢のため、ゴジラを倒す作戦のシーンはただ見守ることしか出来なかったが、主人公がトラウマを越えるためにゴジラに挑むという物語は王道で、随所で張られた伏線も分かりやすかった。予想できなかったのは主人公が戦友を探すときにとった手段だけだった。

 山崎貴監督の気持ちは本編で何度か語られる上層部の人命軽視の悪癖、ゴジラ相手に行われる、様々な理由で戦争を終わらせることが出来なかった兵士たちのリベンジ、かつらのように東京大空襲で死に別れた家族から「生きて」と言われて必死に生きぬき、主人公の支えになるヒロインに現れているように思える。主人公の隣人の一人生き残ったおばさんも、再会した当初は主人公にいらだちをぶつけるが、ヒロインの子どもが気になってすぐに力強い支えになるいいキャラクターだった。

 ただし、ゴジラが人間相手に本気になったらどんなことになるかも、まざまざと見せつけられた。ヒロインはまあ、お約束ですから。

 結論を言えば見て良かった映画だった。

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