第17話 『一蓮托生』の裏話 その5 横澤家のバラックの話

 横澤よこざわ家の暮らすバラックについても、『一蓮托生』執筆時に改めて設定した。

 『泥中の蓮』では入口にむしろが下がっているだけだったが、さすがに寒いし無防備すぎるので、後付けで扉をつけることにした。また、ろうそくに頼っていた明かりも電気を引き込み、なんとか暮らせる体裁を整えた。こういった費用は当時はまだ支給されていた父の恩給などから捻出したと思われる。

 四人きょうだいが暮らすことを想定して作られたバラックは八畳ほどの大きさで、家具は布団と康史郎こうしろうが疎開先から持ってきた柳行李やなぎごうり、仏壇代わりになっている木箱くらいしかなかった。『一蓮托生』時点で増えたのはちゃぶ台と、洗濯紐にかけられた仕切り代わりの布である。配給でもらったスフの白い布だが、年頃のかつらのプライバシーに配慮すると同時に、康史郎とかつらの距離感を表現したり、新年会前の戸祭とまつりの仕掛けに使われたりと当初の予想より大活躍した。


 台所やトイレについては『泥中の蓮』で設定していなかったので、焼け落ちた元の家の場所をトタンで囲って使用していることにした。電気を引き込む費用はないので、明かり取り用に天井近くの一角を開けている設定だったが、本編で描写する機会はなかった。夜間は懐中電灯を持ち込んでいたのは本編で語ったとおりである。夜間に夕食を作るのは大変だったので、学校から帰宅した康史郎が代わりに作っていた。

 『泥中の蓮』で使っていた防空壕は倉庫代わりにし、火鉢などの季節ものをしまうことにした。暖房に火鉢を使うことにしたのは当時の暖房事情を考慮し、何もなくては大変だがこたつはさすがに無理だろうと思ったためである。


「あたご歴史資料館」防空壕を復元して展示しています。

https://shunkou.exblog.jp/22237417/


インテリアにも暖房具にも使える!アンティーク火鉢の簡単活用術

https://www.rafuju.jp/antique-log/antique-hibachi-4746


 横澤家の火鉢は陶器の火鉢だった。もしかしたら自宅の空襲時の焼け残りだったかもしれない。この火鉢は本編で毛糸の湯のし用にも活躍する。「湯のし」についてはセーターの毛糸の再利用方法を調べて知った。


毛糸ゆのし器 トランテアンだより

http://www.trenteetun.com/essay/index.php?no=100


 また、本編中で壊されるバラックの窓についても修復方法を含めかなり調べた。


ドアのリメイクや修理はプロにお任せ!好みの扉にリフォームしよう

https://www.rafuju.jp/antique-log/remake-doors-17873


 完成当時は板につっかえ棒をして開く窓だったが、修復時に古いドアの窓を利用したガラス付きの窓になる。作業に必要な釘を隆が買ってきた時に油紙(油を薄くひいた紙)に包まれていたが、当時はビニール袋が普及しておらず、防水性のある油紙に包むことで錆びないようにしていたためである。

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