第25話 優しさ

矢島冬夜




 今日はやたらと騒々しい1日だった。

 一日中好奇の目で見られ続けた結果、俺の体力ゲージはしっかりと赤く染まっている。髪を短く切っただけでこうも変わるのかと、周囲の反応の変化に俺は戸惑いを隠せなかった。



 あれから裕樹と話し合い、暫くは西宮を1人にしない方向で動くことにした。そのため、一緒の部活をしている裕樹が西宮のボディーガードになり、俺は別行動をする……予定だった。

 しかし、俺は今想定すらしていなかった問題に直面している。


「ねぇねぇ…本当に矢島くんなの?」

「え、嘘…本当に?」

「だって、染野くんがやじさんって呼んでたもん」

「やばいやばい、変わりすぎなんだけどっ」


 放課後。

 ホームルームが終わって3組に向かおうとすると、俺は名前も知らない女子生徒に声を掛けられていた。その結果、俺の席の前には複数人の女子生徒が集まっているのだ。


「うん…そうだけど、何か用?」


 俺は早く立ち去りたいという気持ちを落ち着かせて平然を装っている。なるべくそれを顔に出さないよう努めているが、それも時間の問題だろう。


 今日俺がやりたいことは、白江を尾行することだ。しかし、あと数分もすれば白江が帰宅する可能性がある。流石に彼の家の場所は知らないので、先に帰られてしまうと今日はやることがなくなってしまうのだ。


「ううん。用とかじゃないんだけど、何で髪切ったのかなぁーって。もしかして、失恋とか?」


「いや…普通に暑かったし、切り時だったから」


「えっ、そうなんだぁ。じゃあこれから少しーーー」


「おいまめ、今日は私とデートの約束だろ? 早く来い」


 話はまだまだ終わらなそうだなと、そう思っていたところに現れたのは友人のひむだ。長い髪を一つにまとめて通学鞄を背負う彼女は、悪戯っ子のそれと同じような笑みを浮かべている。

 助けてくれるのはありがたいが、颯爽と現れていきなり爆弾を落としていくのはやめて欲しい。そう思っていても、ひむが出してくれた助け船に乗らない理由は存在しなかった。


「えーっと…ごめん、そういうことだから」


 俺はそう言い残して、その場を後にした。






「マジ助かった。ありがとう」


「まめのお礼なんていらん。鼈甲飴べっこうあめ一袋、それでいい」


 そう言ったひむは、らしくない薄い笑みを浮かべていた。その理由については、俺でも何となく想像はできている。ただ、ひむに直接聞かれない限り、俺はその話をするつもりはなかった。


 俺はひむが鞄から板チョコを取り出す姿を横目に、彼女に承諾の旨を伝える。


「わかった。なんなら2袋買うよ」


「別に1袋で良いから。で、染野と何をコソコソしてんの?」


 どうやらひむは、俺が話さないことを悟ったらしい。彼女の横顔は、まるで俺の心の内を見透かしているようだ。嘘をついても無駄だと、その鋭い眼光が語っている。

 抵抗はあったが、どうせ適当な嘘を言ってもバレるのは明白なので、ひむには所々掻い摘んで事情を語ることにした。


「まぁ…話すけど…今急いでるから、時間あるならこのまま付き合ってもらえる?」


「当たり前だ」





 そんな会話をしている内に、正面玄関に着いた。スタートが遅れてしまったので、3組の教室に行くよりも、白江の下駄箱前で待ち伏せた方が確実だと思ったからだ。

 俺たちは白江の下駄箱に靴があることを確認してから靴を履き、3組の下駄箱が見える位置に移動して身を隠す。俺はそのタイミングで、ひむに事情を話すことにした。


「なるほどな…。それは辛いだろうな」


 話を聞いたひむは、苦虫を噛み潰したような表情をして、少し思い詰めている様子だった。俺もあまり深くは知らないが、ひむは昔そういう経験をしたと聞いたことがある。だから俺は、事情を話す事に抵抗があったのだ。


「辛いこと…思い出させてごめん」


「いや、良いよ。もう既に乗り越えたことだし、経験者として助言でもするさ」


 彼女の声音は平然としているが、線の細い身体は震え、その顔は曇っている。やはり彼女の中で、まだその時の恐怖は消えていないのだろうか。


「ありがとう、ひむ。でもやっぱりーーー」


「ーーーおいまめ、白江が来たぞ」


 そう言われて、俺はすぐさま振り返り白江の姿を探した。ひむの言う通り、確かにそこには白江の姿がある。


「…うん、じゃあ行こうか」


「おう、そうだな」


 意外にもひむの返事は力強くて、彼女らしいなと思ってしまった。辛い過去と向き合っているのに、苦しくないはずがない。それでも弱音を吐かないのは、きっと彼女の優しさなのだろう。

 そんな彼女の優しさに対して、俺は一体何を返せば良いのだろうか。結果的に、彼女の優しさに甘えている俺は、最低なのかもしれない。


 今はそんなことを考えても仕方がないのに、この時ばかりは、そう考えずにはいられなかった。



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