朱ノ章 妓楼の姫君

第6話 燈籠の花

 都で一番とうたわれる老舗高級妓楼『香月楼かげつろう』の入り口の門に掲げられる提灯には椿の紋がある。

 各妓楼にはそれぞれ紋があり、香月楼では白椿を表紋おもてもんとしている。


 今や高級妓楼として名をせているが初めからそうだった訳ではない。

 高級妓楼と呼ばれるようになったのは今の楼主に代わってからだ。

 今の楼主はチュンユと言い、元はその妓楼の妓女だった女だ。

 楼主は男が務めるものというのが常識である中、一介の妓女が楼主となるのはあり得ないことだった。

 すぐに潰れると周囲の反発もあったが、チュンユの手腕は見事なものだった。

 妓楼を改築し、客層を名のある貴族と黄庁おうちょうの高官に絞り、一気に高級妓楼へと変貌を遂げたのだ。


 侍従の者さえ門より中には入れない上、刀などの武器も門衛に全て預ける。

 そうした徹底した安全管理が為されたことで密談をする場所にもなった。

 ただ例外として妓女から赤い椿の描かれた黄色い札を渡された者は身分に関係なく入れる。


 この妓楼には裏紋うらもんもある。


 妓楼の客を入れる表門は常に白椿の紋提灯だが、裏門は密かに変えられている。

 白椿、白蓮の二種だったが数年前からそこに赤椿が加えられた。


「なぜ白い椿なのかね? 札には赤い椿だが?」

 酒に酔った客が問うとチュンユはにこりと笑んだ。

「花には花言葉というものがあります。白椿には完璧な美しさ、申し分のない魅力、至上の愛らしさという意味がございます。高級妓楼と呼ばれる所以は私共わたくしどもの妓女は美しさだけでなく、所作や芸事も完璧にこなし、来られたお客様を格別におもてなし致します」

「確かに。ここは他とはまるで違う。天女の如き女しかおらん。酒も料理も部屋も何もかもが格別だ。それで赤椿は?」

 そう満足そうに笑んで酒を一気に呷る客の杯に酒を注ぎ足してチュンユが答える。

「赤椿には控えめな素晴らしさ、気取らない優美さという意味があり、それは正に殿方が求める女性の美しさの象徴でしょう。ですが一方で罪を犯す女という裏の意味もあります。一人の殿方に一生を捧げるのが女の在り方とされる世で幾人もの殿方を相手にする女は罪に値するでしょう。ですから赤椿は裏紋として使用しております」

「裏?」

 眉根を寄せる客にチュンユは笑みを浮かべる。

「ええ。他に白蓮もあるのですよ。滅多に使いませんが」

「白蓮の意味は?」

「白蓮には純白、純心という意味の他に救ってくださいという意味があります」

「いつ使うんだ?」

「ここ最近は使っておりません。いつもは白椿のみですが、本日は特別に赤椿を掲げております」

「特別、というと? 何かあるのか?」

 客が何やら想像して笑みを浮かべるとチュンユは背後の襖を振り返った。

「ヨナ」

 その名に客は浮足立った様子で立ち上がるが、酔ったせいで足がもつれて尻もちをつく。


 そこに襖がすっと開き、若く美しい妓女が入って来た。

 その傍らには剣を携えた若者がおり、その剣を抜くや否や切っ先が客の鼻先に向けられた。

 ひぃっ、と情けない声を上げ、壁に背を着ける客に妓女が不敵な笑みを浮かべながら近づく。


玄試げんしに受かったばかりのひよっこ共を皆殺しにするつもりか?」

 美しい顔に似合わぬ低い声に客は目を見開いた。

「ヨ、ヨナか?」

「そうだ。私に会える者は少ないぞ」

「こいつは何だ? なぜ私に剣を向ける?」

「先に質問したのはこっちだ。答えろ。なぜ軍部を通さず盗賊討伐だとも伝えずに森へ行かせた?」

 客は怯えながらも口を閉ざし、哀願するように見上げた。

「言わぬならこの場で斬り捨てるぞ」

 妓女が脅すと傍らの若者が切っ先を首筋に当てる。

 その冷たさに思わずびくりと体を震わせ、客は口を開いた。

「わ、私はただそのように伝えろと言われただけですっ」

「誰に?」

「知りません」

「言わなければここで命を落とす。言えば守ってやる」

「本当に知らないのです」

「命令されたのだろう? 知らないってことがあるかっ」

 妓女とは思えぬ恫喝に客は震えながら首を横に振った。

「本当に知らないのです。命令は常に書簡で届くので」

「書簡?」

「はい。私の部屋に書簡が届き、読んだら燃やしてしまいます。誰が届けているのか知りませんが、背けば命はございません」

「他にもお前のような者が?」

「た、多分。向こうには死神のような者がいるとか。鼠や鴉の死骸で次はお前がこうなるのだと脅されます」

 本当に知らぬ様子に妓女が小さく溜息を吐くと、若者が剣の柄で客の首を殴って昏倒させた。


 この妓女の名はヨナ。

 どこからどう見ても女にしか見えぬが実は男だ。

 その事実を知っているのは楼主のチュンユだけ。

 二人は利害関係にある。

 チュンユはヨナの素性が周囲にバレないよう便宜を図る代わりにヨナから王宮内部の情報を得ている。

 またチュンユも妓楼内で得た情報をヨナに渡している。

 こうして見るとヨナの方が恩恵を得ているように思うが、チュンユがこれ程までに尽くすのはヨナの素性にある。


 ヨナの本名はヨンと言い、この国の第二皇子だ。

 傍の若者は護衛剣士のアルと言い、ヨナを名乗る時はギルと偽名を使っている。

 ヨナはこの妓楼一の妓女だが、指名することはできない。

 ヨナから指名されなければ会えない幻の妓女として噂されている。

 会った者は皆口を揃えて忘れられない夜を過ごしたと言う。

 その理由がこれだ。

 ヨナが会う者は皆、何かしらの尋問を受け、傍らのギルに脅されるからだ。

 この二人が妓楼に出入りする理由は当初王宮内部の派閥を把握する為だった。

 妓楼には様々な情報が集まる。

 それらを見聞きするうちに幾つか気になることが増えた。


 ヨンがヨナに変装するようになったきっかけはヨンの兄で第一皇子のヨウの暗殺未遂事件だ。

 彼は次期王に相応しい太陽のような明るい存在だ。

 下々の者にも公平に接し、正義を貫く強さも持っている。

 ヨンはそんな兄を尊敬し、兄が王になることを誰よりも望んでいる。

 だが、まつりごとの世界では何事も白黒ハッキリさせる性格に一部の官吏から反感を買うことも多かった。


 対する弟のヨンは聡明で武芸もヨウ程ではないがそれなりにたしなみ、従順で温和な性格で周囲の評判も良い。

 正反対の兄弟がいると起こりやすいのが政権争いだ。

 ヨンにはその気が全くないのだが、黄庁の高官達の間で派閥が分かれ、当の本人達の意思とは無関係に王位を巡っての争いが水面下で起きている。


 始まりは武芸に秀でたヨウに毒を使った暗殺事件だった。

 幸い摂取した量が少なかった為、大事には至らなかったが、その後も立て続けに似たようなことが起こり、明るかったヨウは極度の人間不信に陥った。

 弟のヨンさえも疑うようになり、部屋に引き籠ってしまった。

 次第に周囲の人間も遠ざけるようになり、今ではやつれて見る影もない。

 護衛剣士のヤンだけを信頼し、身の回りの世話も彼がするようになった。


 そしてヨウの周囲に人がいなくなったこの時機に現れたのが仮面の男だ。

 人間離れした動きで玄試で将軍を倒した男。

 しかも今回の西の森の盗賊討伐に誰よりも早く駆けつけ、たった二人で軍部さえ手に負えないかもしれないと言われた盗賊を倒した。

 盗賊討伐だと知らされていなかったにも関わらず、だ。


「何も知らぬようで残念でしたわね」

 チュンユが気絶した客の男を見下ろして言うとヨンは「いや」と否定した。

「向こうには『死神のような者』がいると言った。例の仮面の男が向こう側かもしれない」

「西の森で何を見たの?」

 チュンユの問いにヨンは数時間前の出来事を思い出す。


 数時間前。

 二人は西の森へと早馬を走らせていた。


「西の森としか聞いていませんが広大な森をどう捜索しますか?」

「盗賊討伐が目的なんだろ? なら一箇所しかない」

「一箇所ですか? でも西の森に入るのは初めてでしょう? 分かるのですか?」

「盗賊が狙うのは主に商人達なんだろ? 彼らがよく利用する道中に現れるはずだ。その道中で木漏れ日さえも届かぬ薄暗い場所で、登りやすい木があって、隠れやすい草が生い茂ってる場所があればそこだ」

「それなら中程辺りでしょうか。西国が侵略しかけた時にあちら側は少し拓けましたし、西国と同盟を結んでからはこちら側からも道を整備しましたが中程はまだ整備されていません」

「その手前で隠れるぞ。お前の腕を信用してるが、相手は手練れで数が多い。今回はあくまで仮面の男の腕をこの目で確かめるだけだ。なるべく表に出ずに終わるならそうしたい」

「はい、承知致しました」

 そう打ち合わせて二人は西の森へ入った。


 チュンユが用意した早馬のお蔭で二人は近衛部の者達よりも早く森の中程近くまで辿り着くことができた。

 そして、中程の手前で二人は馬を降りると、前方で怒号と争う刀の金属音が聞こえて来た。


「加勢しますか?」

 アルに問われ、ヨンも剣を抜きかける。

 が、鞘に戻して脇の草叢くさむらへ隠れるようアルを促す。

 そっと争いの場へ近づき、木の陰から様子を伺う。


 薄暗い中、目を凝らす。

 盗賊は二十人以上いた。

 対する近衛部の者は二人。

 仮面の男と若い青年だけだった。

 が、既に数人が地面に転がっており、徐々にその数は増えて行く。


 盗賊はその辺のならず者とは違い、暗殺を専門とするような者で構成されていると聞いていた。

 武器もただの刀剣を持つ者は少なく、鎖鎌や手斧など様々な武器を手にしている。

 ここまでの道程で暗がりに目が慣れていたが細部までは見えない。

 それでも素早く特殊な動きは分かった。

 そんな相手に囲まれているにも関わらず、二人はほぼ一撃で急所を狙い倒している。

 いとも簡単に相手の背後を取り、死角に回り込む。

 その動きの素早さ、正確さにヨンもアルも瞬きを忘れて見入った。

 だが、それよりも驚きを持って見たのは仮面の男の姿だ。

 華奢で小柄な姿で背が高く厳つい男達を簡単に倒す。

 もう一方の若い青年は仮面の男よりは背も体格も良いが、とはいえ平均的な身長で筋肉質ではあるが厳つい程ではない。

 それでも猿のように素早く、まるで重力を感じさせない動きに次元の違いを感じた。


 そしてさらに驚くべきは全員をあっさり倒した後の行動だ。

 乗って来たと思われる馬の背に負わせていた大きな袋をそれぞれが盗賊達にぶち撒けたのだ。

 袋の中身は大量の血で一気に独特な臭いが広がる。


 そこに大勢の馬が駆けて来る音が地響きとなって近づき、松明たいまつあかりが周囲を照らして止まると異様な光景がさらにはっきりと浮かび上がった。


「全員……生きています」

 アルが驚いた声音で囁いた。

「生きているだと? これだけの数の手練れ相手を一撃で気絶させただけなのか?」

「はい。殺していません。だから血を撒いたのでしょう」

「ではあの二人は盗賊の仲間なのか?」

「それはこの後、彼らをどうするかにるでしょう」

 アルの意見にヨンは頷いて様子を見守ることにした。

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