みんなの天使が俺に甘い

国産タケノコ

1章 天使と凡人

第1話 冬の落雷

「……終わった」


 とある冬の1ページ。暖房が効いた教室で、俺は一人季節外れの汗を掻いて絶望していた。


 今日は高校の入学試験。周りのライバル達は静かに己の精神を研ぎ澄ませている。

始まる前から終わるなんておかしい。そう思うかもしれない。だが、現に俺は既に終わっている。いや、ギリギリ終わっていないかもしれない。


 なぜか、それは俺が消しゴムを忘れたからだ。


 おかしい。昨日確かに筆箱に入れたような気がしたが、無いものをいくら探したところで見つかるわけがない。現に俺はもう3回は筆箱と鞄を探しているが見つかる気配はなかった。


「いや待て、諦めるにはまだ早い。俺が何も間違えなければいいんだ。消せないなら、消させるようなミスをしなければいいだけじゃねぇか……」


 消え入りそうな小さい声で俺は念仏を唱えるように呟く。


 そう。無いなら無いなりに対策をするしかない。消しゴムが無ければミスをしなければいい。簡単な話じゃないか。


 周りの人は間違えたら消しゴムで消し、俺は何も間違えられないだけ。消しゴムってのは間違えた時にやり直すためのツールであり、そもそもとして間違えなければ必要のないゴミである。その程度のハンデ、受け入れてしまえばなんとでもなるじゃねぇか。


「ミスの許されない戦い……ぎゃ、逆に燃えるじゃねぇか……」

 

 逆境でこそ覚醒する時もある。つまり俺は今、世界に試されているというわけだ。

思い出すのは家を出る時に微妙な顔をしていた母さんと六花の顔。試験の時くらい笑顔で送り出せやと今更ながら思う。もしやあいつら俺の筆箱に消しゴムが無いことを把握していたとかじゃないよな? それならあの表情も納得なんだが。

 

 しかし、自分の発した声が震えていることを理解するのにそう時間は掛からなかった。


 いやいや、冷静に考えて消しゴム無いハンデは大き過ぎるでしょ⁉︎ なーにが間違えなければいい、だよ俺。無理に決まってんだろ頭沸いてんのかよ。急速冷却された俺が姿を現し、とたんに今の暴論を否定して大きな不安に襲われる。


 やべぇ……マジでどうしよう。

 

 チラリと横目で辺りを伺う。急に消しゴム貸してくださいとか言って貸してくれる奴なんてここにはいねぇよなぁ……。


 俺たちは言わば限られた椅子を奪い合うライバルなわけで、「消しゴム貸してくれませんか?」なんて言っても、ああこいつは死んだなって目で見られて無視されるのがオチだよなぁ。


 これ、詰んでね?


「…………」


 そこで、ふと視線を感じて、その方向に目を向けると俺は途端に言葉を失った。

可愛いという言葉意以外の語彙力を全て削ぎ落とされてしまうような整った顔立ち。人様のことをとやかく言える分際では無いことを理解した上で、それでも完璧で可愛いと評価せざるを得ない。


 そんなとんでもない美少女が俺のことを真顔で見つめていた。真顔で。


 ……意味がわからん。なぜ、こんなとんでも美少女が道端の小石みたいな存在の俺を凝視しているのか。まるで理由がわからない。


 いや待てよ、俺を見るということは、少なからず俺に何かあるということ。つまり、


「えっと……俺の顔になんかついてる?」


 こんなとんでも美少女が、ザ普通の俺に見惚れるなんてことはまずない。鼻毛出てるとか顔にゴミがついてるとかそんな感じだと思う。

 

 しかし、そう問いかけても、彼女の反応はなかった。


「あ……もしかしてうるさかった?」


 よくよく考えればさっきから心の声というか消しゴムを忘れた悲しき男のつまらない呟きが漏れていたかもしれない。いや、きっと漏れてた。なんとなく自覚あるし。


「えっと、その……」


 彼女は困った様に目を泳がせた。


 たしかに、面と向かってお前うるせぇんだよって言いそうな子じゃないよな。今は俺を傷つけないようにどうやってお前うるせぇんだよを伝えるか考えているんだろう。


 「消しゴム、忘れたんですよね? これ使ってください」


 そんな俺の予想を裏切って、彼女は消しゴムを一つ俺に差し出してきた。

予想外過ぎて現状を全く把握できず、俺は彼女とその手に置かれた消しゴムへ視線を行ったり来たりさせてしまう。


「マジで? いいの?」


 気づけばそんな言葉が漏れていた。


「私は二つ持ってきてますから」


 え、消しゴム二つ持ってきてるとか準備万端過ぎるだろ。でも普通それを見ず知らずの他人に貸すか? ライバル減ってラッキーと思うのが普通だよな。


 でも、彼女は消しゴムを貸してくれると言う。聖人か?


 「本当にいいのか?」


 意図せず差し伸べられた救いの手。喉から手が出るほど掴みたいが、何かの間違いかもしれないので再度確認をした。


「大丈夫ですよ」


 彼女はそんな俺の疑問を軽く吹き飛ばす様な笑顔を浮かべて肯定する。


「マジかよ……ありがたく拝借させていただきます」


 俺は深く頭を下げて消しゴムを拝借した。人類よ、まだこの世界も捨てたもんじゃないみたいですよ!


「う、うん」


 俺たちのやり取りは周りに注目されていたようで、彼女は恥ずかしくなったのか、顔を赤らめて前に向き直ってしまった。


「……天使かよ」


 その時、雷に打たれたような衝撃を受ける。なんだ⁉︎ 心臓がすごくうるさい。


 テストの緊張感とかではない。そうだとしたらさっきからうるさくないとおかしい。


 この消しゴムに実は凄い電気流れているとかそんなことは……と考えたがゴムに電気が通る世界を俺は知らなかった。大丈夫かこの後試験だぞ?


 だがしかし、あの美少女の笑顔を見た瞬間から俺の体が熱を持ち続けている。

とある冬の1ページ。俺は不意に季節外れの落雷をその身に受けた。


 それからどうやって試験を受けて家に帰ったか、よく覚えていなかった。


これが、今からだいたい1年前の出来事。

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