第6話 連絡先

 憂鬱な朝の団欒から逃げ出すようにして学園に登校した俺は、昼休みになってある事実に気が付いた。


「やべっ。昼飯買うの忘れてた」


 いつもは昼食を途中のコンビニで買うようにしているのだが、今日に限ってはとにかくあの居心地の悪い家から逃げ出すことで頭がいっぱいで忘れてしまっていた。


「そうなんだ。どうする? 食堂行く?」


「今から行っても混んでるだろうしな……購買でパンでも買ってくるわ」


「じゃあ僕もついていっちゃおーっと」


「お前、弁当あるだろ」


「もち、そっちは食べるよ? でも午後のおやつ用に買っときたいじゃん」


「午前のおやつもあるのか」


「今朝はバウムクーヘン。学園近くのコンビニのでさー、卵が甘くて美味しいんだよね」


「授業中になんかもそもそやってたのはそれか」


 ……まあ、同じ食べ盛りの男子高校生として小腹が空いてしまうのはわかるが。


「ついでにジュースも買っちゃおーっと。たしか期間限定のがあったんだよねー」


「あのにんじんソーダか。このチャレンジャーめ」


「そ。なんか気になるじゃない。紅太はいつものメロンソーダ?」


「お前ほどの冒険家じゃないからな」


 その後、男二人でさっそく購買へと向かい、昼食用のパンとメロンソーダを無事に確保して、速やかに教室へと帰還する。


「ありゃ? なんだろ」


 パンを抱えて席に戻り、少し遅めの昼休みを堪能しようとしたところで、教室の中が何やら盛り上がってることに気づいた。


「よーし。じゃあ今週の金曜日にクラス会、やるか!」


 教室の中心にいる男子……沢田の声に、周囲のクラスメイトたちが勢いよく返事していく。


 沢田――――沢田猛留さわだたける


 百七十センチ後半の身長に、夏の清涼感を彷彿とさせる爽やかな顔立ち。佇まいや空気感から、頭の中に王子様という単語が自然と浮かんでくる。

 我が星本学園が誇るサッカー部のエース。それだけでなく成績もトップクラスで生徒や教師を問わず人望も厚い。

 加瀬宮とは正反対の意味で、この学園では有名人の王子様ヒーローだ。それこそ、噂話に疎い俺でも知っている程度には。


「クラス会かー。去年の僕らのクラスじゃなかったよね」


「そもそもクラス会ってなんだ」


「みんなでお菓子食べたりして騒いだりとか。人数が多いし、だいたいはカラオケとかじゃないかなぁ」


 つまりパーティーみたいなもんか。

 トップカーストに君臨する王子様が好きそうな催しだ。

 様子を見たところ、どうやらついさっき突発的に決まったものらしい。行動力の違いをまざまざと見せつけられているようだ。


「じゃあ、参加するやつはクラスのグループに連絡いれてくれ」


 メッセージアプリのグループに、クラス会の詳細に加えて次々と参加を表明する声が流れ込んでくる。


「紅太は来るの? バイト入ってなかったよね」


「パスだな。その日は家にいるために休みにしてんだ。たまにはこういう日を作って調整しとかないと、母さんに悪い」


 何より今朝の件もあるからな。少しは母さんを安心させないと……と、そんなことを考えながら、さっそくグループに不参加のメッセージを送る。


「じゃあ僕も不参加っと」


「行きゃいいのに。お前、こういうの好きだろ」


「好きだけどさー。実は同じ日に他の子たちから遊びに誘われてたから、どっちに行こうか迷ってたんだよね。紅太は普段バイトしてるから、クラス会に来るなら行こうと思ったけど……来ないなら他のクラスの子と遊んだ方が色々と幅が広がっていいし」


 スマホを見ていると、同じく夏樹も不参加を表明していた。

 沢田王子の効果もあってか俺と夏樹以外のクラスメイトは、大半が参加を表明していた。


「加瀬宮さん」


 沢田が声をかけた途端、周りの空気が一瞬だけ凪のように落ち着いた。かと思うと、その視線に熱がこもり、二人のクラスメイトに集中する。

 ……俺はこの視線に込められた熱の名前を知っている。


 これは――――好奇心、だ。


「……なに?」


 ノイズキャンセリング機能が搭載されたイヤホンを外し、加瀬宮は自分の席まで近づいてきて声をかけてきた沢田に問いかけを返す。


「金曜の放課後にクラス会をやるんだけど、加瀬宮さんも来ない?」


「行かない」


 清々しいまでにバッサリと切り捨てる加瀬宮。

 彼女にとっては学園の王子様ヒーローからのお誘いも大して興味をそそられないらしい。


「急に決めちゃってごめん。予定が入ってたかな」


「あんたには関係ない」


 そっけないどころじゃない。もはや一歩間違えれば絶対零度だ。

 あまりにもな温度感に沢田ファンと思われる女子からからは嫌悪感が滲みはじめている。


「わかった。じゃあクラス会は不参加にしとくね。……最後にさ、連絡先だけ教えてもらえないかな? 今回みたいにクラスで何かする時、グループで連絡とれると便利だし」


 そういえばこのグループに参加している人数の総数が三十四人に対して、二年D組生徒の総数は三十五人。計算上、このグループには一人だけメンバーが欠けていることになる。

 その一人は加瀬宮小白だったというわけだ。……クラスメイトからまたお姉さんのことを質問攻めされることもあるだろうし、こういうグループに参加してないのは加瀬宮なりの自衛策なのだろう。


「それ、前にも断ったはずだけど」


「気が変わったかと思ってさ」


「変わってない」


「じゃあ、オレ個人と連絡先を交換するのは? グループの通知が鬱陶しいっていうなら、オレが連絡用の窓口になるし。次にクラス会やる時も参加する時はオレに言ってくれれば、みんなに伝えるからさ」


 おお、上手い。……と、俺は呑気にも心の中で称賛を贈ってしまった。

 最初から加瀬宮が断ることを計算に入れた申し出だ。加瀬宮からすれば煩雑なグループ通知を一本化できるというメリットも提示している(俺は面倒なので通知を切っているが)。


「要らない。そもそもクラス会とか興味ないから」


 ……が、加瀬宮にとってはそれも魅力的には映らなかったらしい。有名人の姉に近づくために利用されることも珍しくないであろう彼女からすれば、連絡先を交換する相手をできるだけ絞りたいというのが本音だろう。


「わかった。でも、気が変わればいつでも言ってくれていいから」


「そりゃどーも」


 クールな態度を崩すことのないまま、加瀬宮は沢田との会話を切り上げる。

 二年の王子様ヒーローたる沢田ですら攻略できないとは。加瀬宮小白、恐るべし。


「…………」


 パンをもそもそと食べつつ、スマホの画面にあるメッセージアプリを立ち上げる。

 あまり多くない連絡先の一覧には、『kohaku』という加瀬宮小白のアカウント名がしっかりと記録されている。


 ――――最後に連絡先交換しとかない?


 昨夜のやり取りが頭の中に思い浮かぶ。

 思えば、沢田ですら得られなかった連絡先の交換を申し出てきたのは加瀬宮の方からだった。


 アレは同盟相手としてお眼鏡にかなったということなのだろうか。


「どったの? 紅太。なんかぼーっとしてるけど」


「……なんでもない」


 二年生の王子様ヒーローですら手に入れられなかった連絡先がここにある。

 そう思うだけで、買い替えてまだ一年ぐらいしか経っていないスマホが、少し重くなったような気がした。


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