第17話

 私はその日の夜、自分の着ていた服のポケットに小さなメモを忍ばせて、母の洗濯物と一緒にランドリーシューターに投げ入れた。彼らは私の服だと分かってくれるだろうか。

「もうすぐ神様が来て僕たちを地面に降ろしてくれると、センターの子どもが言った。彼らには何か計画があるのかも。」

メモがあの姉妹まで届くだろうか、St3のランドリー作業の人がちゃんと見つけてくれますように。


 次の日の朝起きてリビングに行くと、なぜか父が来ていて、母と一緒になって引っ越し用の箱の中に、家の物を詰めていた。そして見知らぬ緑のつなぎの服を着た男の人が二人いて、母たちの作業を手伝っていた。母が起きたばかりの私に気づいて近づいてきて言った。

「おはよう、カナン。あのね、急にSt1に引っ越しするようにセンターから通知があってね。あなたも急いで自分の部屋の物をこの箱に詰めてほしいの。」

母は引っ越し用の箱を私に渡して、見知らぬ二人を紹介するため彼らに向けて手を挙げて言った。

「この人達は今日の引っ越し作業を手伝ってくれる方々よ。

挨拶して。」

「おはようございます。・・・よろしくお願いします。」

私はまともに相手の顔をみずに小声で言って、頭を下げた。彼らは軽く会釈をした。箱を持って自分の部屋に向かう。あのメモを夜のうちにシューターに投げ込んでおいてよかった。起きたてのぼんやりした頭で自分の部屋にもどると、父が水と朝食用のパンを持ってきて、私の後に続いて部屋に入って来た。

「食べながら作業したらいいよ。」

「引っ越しってこんなに急なの?いつ決まったの?」

それらを受け取りながら私は尋ねた。

「今朝お母さんのところに緊急メールが届いたんだ。お父さん達の引っ越しは後でもいいんだが、お母さんとカナンのは急ぎらしい。カナンがセンター関連の大事な仕事を任されたみたいだね。」

 センターの家族の肖像画を描くのが大事な仕事なのだろうか。

「これからもうこの家に戻ることはないの?」

「そうだね、よっぽどの理由がないかぎり、各ステーションを行き来することはできないと思う。でもセンターに近いところに住むのは名誉なことだよ。才能があって皆のためになると証明されたことになるからね。」

その後私たちはもくもくと作業を続け、昼前にはSt2の部屋の荷物を全部、自動運転のトラックに乗せることができ、父も男子棟に戻った。もともと家具も家電も備え付きだし、生活用品は2人暮らしでごくわずかだから、他人が来る必要なんてないはずだ。私の行動を探られているのかもしれない。監視カメラのあるところでは目立ったことはしていないはずだ。でも私がSt3に行ってから、周りがあわただしくなったような気がする。それに金色の鯉がどこかから私を見ているのかもしれない。


                 St1へ


 案内されたSt1の新しい部屋は、前の部屋と比べて天井が高く広かった。なにより窓から日の光が入って明るい。備え付けの家具はゆったりしていて、家電製品も機能をたくさん兼ね備え、置いてある調度品全てが美しくバランスが整っていた。母は特にキッチンを気に入って、嬉しそうにあちこち開けたり閉めたりしながら、くるくると動き回っていた。私は自分の部屋を見て驚いた。前の2倍の広さがある。ベッドもデスクも鏡台も白を基調に整えられ、私好みにしつらえてあるかのようだ。そして初めてカーテンというものが存在することを知った。触れてみると柔らかくてかなり分厚かった。一瞬不思議に思ったが、日の出が早い時期に閉めておかないと、明るすぎて早朝に起きてしまうのだ。この世界には、日の光を遮らなければならない贅沢というものがあり、そして訳の分からない生き物に、見張られない自由という贅沢もあるのだ。


 物音が聞こえたので、リビングに戻ってみると母がモニターを眺めていた。ボタンを押したら流れてきたというその映像は、St1の様子とそこで働く人々が、どれだけ素晴らしいかを賛辞する内容のようだった。また各々が良い働きをすると、植物園に招待され豊かな自然の中、素晴らしい時間を過ごすことができるご褒美もあるとのこと。その映像の植物園では絶滅したとされる生き物が生き生きと暮らし、さわやかな風もふくという。母はその映像にくぎ付けになっていた。

「見てカナン、こんな場所があるなんてね。ほら蝶々が飛んでいるわ。季節は春なのかしら。あの柔らかそうな草の上に一度でいいから寝ころんでみたい。」

私もその映像に魅了された。そこに居る人々は見たこともない美しい服を着て、やわらかな風でその服も髪もなびいている。小さな女の子の指に美しい子鳥がとまって美しくさえずり、その子は嬉しそうな声を上げている。


 私は思わずその植物園に居る自分を想像する。あの美しい花に顔を近づけて匂いを嗅ぐのだ。大きく息を吸って目を上げると、ある男の人と目が合う。あのSt3の植物工場で働いていた若い作業員だ。彼は野菜の苗が入った箱を持って、ぼんやりと花畑の中から私を見返していた。そこで私ははっとする。彼を思い出してしまい、私の甘い想像はかき消された。彼らはここには一生来られない。

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