二つの鎖

澄田ゆきこ

第一章 呪い

第1話 噂話

 三月みつきすぐるは呪われている。


 俺がその話を最初に聞いたのは、同じクラスの女子からだった。

 その時俺は彼女たちのおしゃべりの輪の外にいて、友人の部活が終わるのを、課題を消化しながら待っていた。

「……でね、」「うそお」

 人目を憚るような、ひそひそと浮足立ったお喋り。幼い語尾だけが耳にまとわりつく。

 どうせ根も葉もない噂話だ。普段なら聞き流すところだが、違和感がざらりと胸を撫でた。俺が待っている友人の一人が、紛れもなく、件の三月だったから。

 俺はひっそり片耳のイヤホンを外した。しかし話題はころころと変わり、聞きたい情報はまるで耳に入ってこなかった。女子の会話はどうしてこうも脈絡がないのだろう。諦めてイヤホンをはめ直したとき、俺の席のすぐそばにあった引き戸が開いた。

「まだ残ってるのか、早く帰りなさい」

 巡回の教師がそう言って踵を返す。背後でぱたぱたと女子生徒たちの動く気配がした。



 三月傑。みっきー、なんてありがちなあだ名がついている彼は、俺の知る限り、「呪われている」なんて形容が似合うような奴ではなかった。陰気なところがあるわけでなし、むしろ人当たりは良いほう。ふわっとした毒気のない笑顔は、周りに花でも飛んでいるように見える。

 授業の間に黒板を消すとか、返却されてきたノートを配るとか、地味だけど必要な労働を率先してやるタイプ。しかもそれをひけらかしたりもしない。爽やかで品行方正な好青年。引っ込み思案なところはあるが、まあ単に控えめであるとも言える。

 つまりみっきーは、一言でいえば、すこぶる良い奴だった。

 だからこそ、彼の呪いの噂は、俺にとって違和感十分だった。呪い、という超常的なものの検討は置いておくとしても、彼との取り合わせ自体が奇妙なものに思えたのだ。

「みっきーって呪われてんの?」

 あくる日の昼休み。直球で質問を投げると、ほんの少し、弁当を囲んでいた空気が冷えた。思わず箸を止めた俺を、横にいたまひろが軽く叩く。どこか責めるような目だった。

 しばらくの沈黙。

「……あるよ。世にもおそろしーい呪いが」

 うつむきがちのまま、みっきーは重々しく口を開いた。ぽつぽつと語り出した声が、いつもよりも硬く、張り詰めたものに聞こえた。まひろはひやひやした様子で俺とみっきーとを交互に見ている。

「僕、昔は背が小さいほうだったんだけど。小学校高学年くらいから中二にかけて、一気に背が伸びたんだよね。だけど中三で一六八センチになったところで、ぴたっ……と止まったんだ」

 ……ん?

 語りこそおどろおどろしいが、どうも話の雲行きが怪しい。

「中三の四月が一六八.九、十月ごろに測った時が一六九.〇、今年の測定で一六九.二……。――よくよく聞いてみたらね、父さんも一六九センチで身長が止まってるんだって」

 しばらく誰も何も喋らなかった。机三つ分のこの一帯だけ、昼休みの教室の騒がしさからつまはじきにされている。

 一七〇センチに届かない呪いだあ? 

 俺はすっかり拍子抜けしてしまった。

「なんだよ」

 思わず息をつくと、すかさず抗議が飛んできた。

「なんだよとはなんだー!」

「そうだそうだー!」まひろも身を乗り出して加勢する。

 彼は女子に並ぶほど小柄だ。バレー部とかだと彼より大きな女子もいる。そのうえ童顔。だけど口は達者。

「一六九センチと一七〇センチがそんなに違うか?」

「全然違うよー!」

 切実に訴えてくるみっきー。俺は気のない返事をするしかない。冷め切った里芋に箸を刺して、口に押し込む。

「持たざる者は大変ですなあ」

「……もやしっこのくせに」

 まひろが憎々しげに呟く。

「おっと、負け惜しみか?」

「うわ、やなやつ」

 いつもの戯れ。みっきーはにこやかに眺めているだけだ。そのうちみっきーが教室の外から呼ばれて、俺とまひろだけが取り残された。部活の話らしく、陸上部の女子と話しているのが見える。

 たいした話じゃなかったと思いつつ、心の中でほっとしている自分がいる。それでいて、少し残念な気もする。非日常を匂わせるものは、いつだってどこか楽しい。

「あくつさあ」まひろがストローを噛みながらこちらを仰いだ。「みっきーの前であんまあの話しないでやって。中学ンとき色々あったから」

「……へえ?」

 身長のことで?

「みっきーはあくつと違って繊細なのっ」

 はっきりしない返事。中学時代のみっきーを俺は良く知らない。塾ではすでに二人と一緒だったけれど、学校は俺だけ別だった。

 だからだろうか。なんだか時々、俺だけ輪の外にいる感じがする。

 なんだかんだと予鈴が鳴り、まひろが自分の席に戻っていく。

 胡乱な感じはしたけれど、かすかな違和感はわざと呑み込んだ。余計な波風を立てるのは面倒だ。

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