第6話


小学生の時、地元のサッカーチームに所属していた。

 

とにかくサッカーが好きだった。

 

朝一番に学校へ行き、1時間目ギリギリまでボールを蹴る。

 

放課後、友達がテレビゲームで遊ぶのをよそに、公園でひたすらボールを蹴る。

 

身長が伸びないと言われても、競り負けない体を作るために毎晩筋トレをする。

 

我ながらストイックだった。

 

それでも、他の同学年に比べて体が小さく、足も遅かった僕は、レギュラーには入っていなかった。

 

ある日、そんな僕に白羽の矢が立つ。

 

僕と同じポジションのレギュラーメンバーが、試合中に負傷したのだ。

 

すぐに出場の準備をするよう監督に指示され、僕の心は躍った。

 

小学生でも分かるほどの、チャンスだった。

 

ピッチに立った僕は、全身全霊をかけてプレーした。

 

誰よりも走った。

 

誰よりも叫んだ。

 

自分がチームに有益な選手であることを、とにかくアピールした。

 

前半が終わり、ベンチでミーティングが始まる。

 

1対0で有利に折り返したにも関わらず、監督は機嫌を損ねていた。

 

そして僕らに、こんな言葉を浴びせた。

 

「できない奴にパスを回すな」

 

できない奴。

 

それは僕のことだった。

 

監督はできない1人ではなく、できる10人を叱責した。

 

僕は怒られることすらできなかった。

 

後半の30分は、まるで僕なんて存在していないかのように試合が進んだ。

 

それから僕は、全ての努力をやめた。

 

しかし、チームを辞めることはしなかった。

 

辞めればきっと、その理由を問い詰められる。

 

辞めることにすら意味が生まれてしまう。

 

僕は、自分の行動に意味を持たせるのが怖くなっていた。

 

試合には出られない、かと言ってヘマをして監督に怒鳴られることもない。

 

そんなギリギリのラインを綱渡りするかのように、卒業までの時間を過ごした。

 

×                      ×                      ×

 

中学生の時。

 

音楽の授業で、歌のテストがあった。

 

一人ずつ別室に呼び出され、先生とマンツーマンで課題曲を歌う。

 

マンツーマンとはいえ、中学生が人前で歌を歌うのはかなり勇気が要る。

 

僕はギリギリのラインを探した。

 

斜に構えつつ、かと言って内申点に影響しない程度の歌い方。

 

前日の夜、自室でシミュレーションした甲斐もあって、問題なく試験をパスした。

 

全員のテストが終わり、授業の終わりまで残り5分。

 

誰もが早く終わることを期待していた時、先生が話し始めた。

 

先生

「全員の歌を聴きましたが、一人だけ、とても素晴らしい歌声の人が居ました」

 

先生

「みんなにも聴いてほしいと思います」

 

先生

「小石川くん」

 

先生は僕を、全員の前に立たせた。

 

35人分の好奇の視線が、一斉に僕へと向けられる。

 

教卓からは生徒全員のことがよく見える、とよく教師が言うが、本当にその通りだと思う。

 

残酷なほどよく見える。

 

「どんな歌声なんだろう」と期待する顔も、「歌わされて可哀想」と憐れむ顔も、

 

「授業長引かせてんじゃねえよ」と苛立つ顔も。

 

僕は泣き出しそうなのを必死に堪えて、歌い始めた。

 

歌が進むにつれ、生徒たちの表情はリアルタイムに変容していく。

 

やめてくれ。

 

僕の行動から、何も感じ取らないでくれ。

 

僕のことなんて存在しないかのように生活してくれ。

 

心の底からそう願った。

 

歌が終わると同時にチャイムが鳴る。

 

立ち尽くす僕をよそに、生徒たちは一斉に音楽室を出ていった。

 

どんな顔で教室に戻ればいいのだろう。

 

こんな地獄など、まるで存在しなかったかのような顔?

 

それとも「いやー、歌わされて参ったよ」と自虐に走る顔?

 

奴らが求めている「普通」は、どこにある?

 

そんなことを考えながら廊下を歩いていると、クラスメイトの女子・福原が話しかけてきた。

 

「小石川くん、歌上手なんだね」

 

そう言われた瞬間、音楽の教科書を地面に叩きつけた。

 

頭に血が昇った。

 

福原は悲鳴をあげ、恐怖の目で僕を見ている。

 

則人

「二度とそんなこと言うなよ」

 

福原は逃げ出した。

 

おそらく、この僕の奇行を友達にシェアして、僕は異常者のレッテルを張られる。

 

だが、転校や不登校はできない。

 

それにすら意味が生じてしまうから。

 

まるで今日の出来事なんてなかったかのように、あくまで普通に、学校生活を送り続けるしかない。

 

地震や台風じゃなくたって、日常は簡単に壊れる。

 

だとしたら、それすら当たり前のように過ごしていくしかない。

 

日頃から備えを怠らず、どんな出来事にも脅かされない、強固な防波堤を作る。

 

普通という名の防波堤。

 

そうすることでしか、僕がこの世で生きていく術はない。

 

×                      ×                      ×

 

個性の中に放り込まれると、普通であることが何よりの個性となる。

 

高校時代はそんな感じだった。

 

誰もが急かされるように個性を探していた。

 

勉強、スポーツ、音楽、ユーモア、容姿——。

 

そこに「モテたい」「目立ちたい」など思春期特有の承認欲求も重なって、

 

教室はいよいよ「個性のサラダボール」と化していた。

 

大智と出会ったのも、この時だ。

 

彼は生来の目立ちたがりで、その個性はサラダボールの中でもひときわ輝いていた。

 

そんな中、普通を極める僕のような存在は、逆にレアだった。

 

スクールカーストに縛られず、全員と適度にコミュニケーションを取り、

 

成績は嫌味にならない程度に優秀で、容姿もそれほど悪くはない。

 

そんな毒にも薬にもならないような存在が、

 

個性を求めて浮ついているクラスの、いわば重力となっていた。

 

異性から恋愛相談を持ちかけられることも多かった。

 

親身になっているうち、その恋愛感情は僕へとすり替わって、告白されることもあった。

 

だが僕は、恋愛などという不確定極まりない要素で、築き上げた堤防を崩す気はなかった。

 

「他の高校に彼女が居る」という設定を、なんとか貫いていた。

 

同じクラスに、福原も居た。

 

中学から目立つ存在ではなかったが、高校ではさらにその個性が埋没し、

 

いわゆる「陰キャ」にカテゴライズされていた。

 

おそらく彼女はそれが不本意で、

 

容姿を工夫したり勉強に注力したり、逆転のチャンスを窺っている様子だった。

 

結果には全く結びついていなかったが。

 

ある日、クラスの中で僕の噂が立った。

 

「昔、ちょっと声を掛けただけで、小石川は理不尽にキレた」

 

「普段はおとなしいけど、キレると何をするか分からないから、気をつけた方がいい」

 

誰が流した噂かは明らかだった。

 

福原は、噂をリークして便利に立ち回る、「情報屋」という最悪の個性を身につけようとしていた。

 

その記念すべき一発目として、僕が選ばれたのだ。

 

福原にしてみれば、無欲であるにも関わらず一目置かれている僕という存在が、

 

羨ましくもあり、疎ましくもあったのだろう。

 

その裏に、血の滲むような努力があるとも知らずに。

 

僕は、心底軽蔑した。

 

何をどんなに頑張っても、お前の望む青春は訪れない。

 

情報屋として立ち回っても、僕を陥れようとも、

 

「陰キャのくせに成績の悪いブス」というレッテルには何も変わらない。

 

お前は、自分が望む「普通」にはなれない。

 

おとなしく自分を受け入れて、せめて誰にも迷惑をかけない、人畜無害な人生を送ってくれ。

 

結局、彼女の噂が影響を及ぼすことはなく、僕は凪のように素晴らしい高校生活を終えた。

 

福原は途中から、学校に来なくなった。

 

×                      ×                      ×

 

大学3年の春。

 

食堂でメシを食っていると、妙に周りがザワザワし始めた。

 

それがもも子との出会いだった。

 

もも子は、髪の毛を真っピンクに染めていた。

 

ただ髪がピンクなだけなら、それほど賑わうこともなかったはずだ。

 

彼女は清楚な白いワンピースに、ほぼすっぴんに近いナチュラルメイクを施していた。

 

恐らく、そっちが本来の彼女だ。

 

そこに、ド派手なピンクの髪がカツラのように乗っかっている。

 

チグハグなパッチワークのように、等身大の彼女と理想の彼女が同居していた。

 

その違和感が、余計に注目を集めていた。

 

彼女は顔を真っ赤に染めながら、僕の斜め前に座った。

 

僕は、彼女に一切視線を送らなかった。

 

取るに足らない出来事が、野次馬によって大きな事件に見えてくるように、

 

注目することそれ自体が、普通を普通じゃなくしていく。

 

無関心だって、立派な行動だ。

 

僕はラーメンを食べ終え、その場で読書を始めた。

 

そのうち4限の時間になって、食堂から人が消えていく。

 

ふと見ると、もも子はまだ鯖の味噌煮をかじっていた。

 

恐らく、味はしていないのだろう。

 

場所を変えようと、席を立った時だった。

 

もも子

「……あの」

 

もも子

「ありがとうございました」

 

礼を言われた。

 

もも子

「私のこと、あえて見ないでくれていましたよね」

 

もも子

「私が恥ずかしくないように」

 

初めてのことだった。

 

僕が「普通」に努めていることを、見破られたのは。

 

則人

「別に、そんなつもりはなかったけど」

 

もも子

「そうですか」

 

もも子

「でも、すごく助かりました」

 

則人

「ならどうして、そんな色にしたの?」

 

則人

「何かの罰ゲーム?」

 

もも子

「……目立ってみたかったんです」

 

もも子

「誰からも、注目されたことなかったから」

 

彼女は落ち込んでいた。

 

僕は福原のことを思い出していた。

 

自分を受け入れられず、理想を目指して闇に堕ちていった女。

 

もも子は、どことなく福原に似ていた。

 

だとすれば。

 

彼女もそのうち、是正が利かなくなって、闇に堕ちてしまうかもしれない。

 

そう思った時、自然と言葉が出ていた。

 

則人

「注目を浴びて良いことなんてひとつもない」

 

則人

「普通に勝るものなんて、この世にないんだよ」

 

×                      ×                      ×

 

それからほどなくして、僕はもも子に告白した。

 

もちろん、答えはイエスだった。

 

僕がもも子を好きだったのか、正直なところよく分からない。

 

ただ、彼女がその言葉を欲しているような気がしたから告白した。

 

それに、これは実験でもあった。

 

恋愛は、僕の「普通」にどれほどの影響を及ぼすのか。

 

いわば耐久テストだ。

 

社会に出て取り返しがつかなくなる前に、知っておきたかった。

 

結果から言えば、恋愛が及ぼす影響は何ひとつ無かった。

 

それはひとえに、彼女が僕の求める「普通」に適していたからだ。

 

もも子は僕を縛りつけもしなければ、放っておきもしなかった。

 

人前で手を繋ごうとはしないし、無理やりキスをせがんだりもしない。

 

だが、僕が寂しいと感じる少し手前で、優しく抱きついてきたりする。

 

全てが丁度よかった。

 

これを「相性」と呼ぶなら、そうなのかもしれない。

 

もはや僕は、運命めいたものすら感じていた。

 

これ以上の「普通」を共有できる相手と、今後出会えるだろうか——?

 

そう思う頃には、お互い30歳を迎えていた。

 

このまま僕は、この普通を補完して、保管して、生きていくんだ。

 

付き合い始めて9年が経ったある日。

 

僕はきっちり給料3ヶ月分の指輪を購入し、もも子を夜景の見えるフレンチへと誘った。

 

×                      ×                      ×

 

長い走馬灯だった。

 

しかし、死ぬわけではないらしい。

 

そう確信したのは、目を開けてすぐにここが病院だと分かったから。

 

そして、2人の警察官が僕を覗き込んでいたからだ。

 

彼らは、被害者に向ける用の柔和な顔をしていた。

 

どうやら、大麻の件ではないらしい。

 

警察A

「目が覚めましたか」

 

警察B

「昨日の夜のことは覚えていますか?」

 

昨日の夜。

 

僕が扇風機を壊して、もも子が僕を花瓶で殴った。

 

則人

「はい、覚えています」

 

隣に居た医師が、僕に告げる。

 

医師

「幸い、傷は浅かったようです」

 

医師

「検査が必要ですが、早ければ本日中には退院できますよ」

 

警察が来ているということは、もも子は無事ではないのだろう。

 

恐らくは塀の中だ。

 

警察A

「なぜあなたは、扇風機を破壊したんですか?」

 

バカな中学生が英語を直訳したような文章だ、と思った。

 

しかし、それは紛れもない事実。

 

則人

「……もも子は、何と言っていますか」

 

彼らは目を見合わせ、困ったように笑った。

 

彼女が自分の性癖を告白していないとしたら、僕が語る真実には責任が伴う。

 

できることなら、彼女の語る真実に沿いたい。

 

警察B

「もも子さん、だいぶ混乱されていたみたいでして」

 

警察B

「自分は扇風機と、……そういう行為をしていて、それに怒ったあなたが扇風機を壊したと」

 

もも子は、ありのままを語っていた。

 

そしてそれを、精神の錯乱だと思われている。

 

自分の知られたくない秘密を語って、それを理解されないということに、

 

どれほどの苦痛が伴うのだろう。

 

則人

「——もも子に」

 

則人

「もも子に、会わせてください」

 

こんなにも彼女に会いたいと思ったのは、初めてだった。

 

×                      ×                      ×

 

いつもは車から見ているだけだった拘置所の塀は、

 

近くで見ると思っていたよりも高かった。

 

その向こう側に、もも子が居る。

 

彼女は何を語るのだろう。

 

そして僕は、何を語るのだろう。

 

およそ今までの人生では経験したことのない出来事が、この塀の向こうに待っている。

 

僕はベタに深呼吸をし、重い一歩目を踏み出す。

 

その時、背後から声がした。

 

「小石川くん、だよね」

 

「久しぶり」

 

振り返ると、スーツ姿の女性がこちらを見据えている。

 

胸に弁護士バッジを付けた、福原だった。

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