(ⅳ)、d、詠唱の文末が終止形の場合〔2〕

 前回の続きです。

 次の【引用7】のように、詠唱文には文語と口語の交ざっているものもあります。


【引用7】『Fate/stay night』〔2004年〕無限の剣製アンリミテッドブレイドワークス


 体はつるぎで出来ている 

 血潮ちしおは鉄で、心は硝子がらす

 いくたびの戦場を越えて不敗ふはい

 ただ一度の敗走もなく、ただ一度の勝利もなし

 担い手はここにひとり、剣のおかで鉄を

 ならば、が生涯に意味はらず

 この体は、無限の剣で出来ていた



 引用はPS2版の『Fate/stay night [Réalta Nua]』〔2007年〕からです。

 「~なし」「~ず」に、文語の香りがします。

 「体は~」の一文の次に、「血潮は~」と「心は~」や、「ただ一度の~なく、ただ一度の~なし。」のような対句表現がいいですね。こういう表現があると、単に友達と話している日常の言葉ではなくて、そうではない詠唱文だなと思わされます。

 実はこの詠唱文、「剣」の読み方が「つるぎ」か「けん」かというプチ論争があったと聞いています。ボイスありのPS2では「つるぎ」ですが、『Fate/EXTRA Record』〔2010年に出た『Fate/EXTRA』のフルリメイクで、ただ今開発中〕では「けん」になっています。YouTubeに動画があります〔【Fate/EXTRA Record】"Unlimited Blade Works"日本語詠唱〕。


 体は剣で出来ている。

 その体は鉄と炎

 戦場を選ばず

 折れる事はなく

 築く事はなく

 勝利を分かつこともなく。

 故に、生涯に意味はなく

 その体は、きっと剣で出来ていた。

 

 

 心象風景の詠唱文でもあるので、使い手によって微妙な違いがあるわけです。【引用7】に比べると、「戦場を選ばず」の「ず」から「~なく」が続いていく、否定的な詠唱文です。


 何度か引用してきた『Fate/Grand Order』〔2015年~〕の元になっているヴィジュアルノベルゲーム『Fate/stay night』〔2004年〕からの引用です。アニメ〔2006年、2014-2015年〕の方を見ている人が多いかもしれません。

 何も知らない人にはこのシリーズは広がりすぎていて、なかなか掴み所やとっかかりがないだろうなと思います。


 願いを叶えるという聖杯を巡って、7人の「マスター」と呼ばれる人間と、そのマスターが呼び出した「サーヴァント」とが力を合わせて互いに争うバトルロワイヤル〔「聖杯戦争」と呼ばれます〕、というのが大筋です。

 サーヴァントは実在の有無に関係なく〔つまり空想上の人物も可〕、過去の英雄たちで、セイバー、アーチャー、ランサーなどにクラス分けされています。それぞれのサーヴァントには必殺技があり、この時に詠唱をします。


 基本的には読み進めて、選択していくゲームですが、"Fate"ルート、"Unlimited Blade Works"ルート、"Heaven's Feel"ルートという3つの分岐するルートがあります。ものすごく長いです。wiki情報では平均60時間だそうです。

 元々2004年に発売されたPCゲームですが〔18禁〕、その後PS2、PSVita、スマホに『Fate/stay night [Réalta Nua]』として移植されており、18禁の内容はカットされ、ボイスやシナリオが追加されています。

 今やり始めるならスマホ版でしょうね〔"Fate"ルートが無償配布〕。アニメや漫画もありますが、原典を読むのが一番いいように思います。


 口語と文語が混ざっている例をもう一例挙げておきます。


【引用8】『無職転生』〔Web版2012-2015年〕ルディ「ウォーターボール」


 汝の求める所に大いなる水の加護あらん、清涼なるせせらぎの流れを今ここに、ウォーターボール



 『無職転生』は元々ウェブ上で公開されていますが、書籍となったり、漫画やアニメにもなりました。タイトル通り、無職の男が亡くなって転生してやり直すという話です。

 「清涼なる」は文語の形容動詞のナリ活用「清涼なり」の連体形です。

 「汝の求める所」の「求める」は、口語では「求める」という動詞でマ行下一段活用です。「求〔もと〕| め/め/める/める/めれ/めよ・めろ」となり、「求める」は連体形だということがわかります。終止形も「求める」ですが、意味を考えると「求める」は「所」を修飾しゅうしょくする言葉であり、「汝の求める。所」とは考えづらいので、連体形だと判断します。

 一方、文語では「求める」ではなく、「求む」という動詞であり、マ行下二段活用です。活用は「求〔もと〕| め/め/む/むる/むれ/めよ」となります。したがって、全体を文語で統一するのであれば、「汝の求むる所」とすることもできます。


 少し話が逸れますが、これはどうだったかなぁと記憶が曖昧なのですが、それまではライトノベルの世界では異世界転生や異世界転移の物語は、いわゆる「俺TUEEE」、つまり「強くてニューゲーム」の作品が多かったと思うのですが、トレンドが変化して知恵を使って懸命に動いて自分の人生を歩んでいく、勝ち取るみたいな物語が増えてきたのかなと思います。それがトレンドになったということは、そういう物語に共感を得る読者が増えたということなのでしょう。

 この系譜に「成り上がり」や勝手に転生させた女神に復讐する物語、「外れスキル」持ちの主人公が追いやられるも実は優れたスキルだったという物語〔そして追い出した奴らを見返す〕などがあるように思います。


 細々と書いている小説があるんですが、異世界転移と異世界転生のテンプレをこんな形で大雑把に書いたことがあります。



 お前は真の仲間じゃないと裏切られつ寝取られて、奴隷身分の烙印らくいんに、死に戻ってから成り上がり、魔眼・邪眼に鑑定眼、魔王・竜王・ラスボス女王、モブ男モブ子はご都合主義で俺TUEEE、ダンジョン攻略スキルはガチャで、ギルド・グルメにハーレムに、乙女ゲームにMMO、悪役令嬢・婚約破棄に断罪・追放はい喜んで、ざまあ・もふもふ・スローライフに便利な通販、薬師・お針子・錬金術師、魔法の付与に神の加護、領地開拓・内政チート、おっさん勇者と最強幼女、万能聖女に騎士団長と仲間のケモミミ等々



 今は何がトレンドなのでしょうね。ある程度時間が経ってから振り返らないとわからないものなのでしょう。

 さて、話を元に戻します。


 すでに述べましたが「ん」以外にも、「なり」という助動詞もあります。文語の形容動詞「静かなり」とは異なり、「名詞+なり」で多く使われます。

 断定〔~である〕、所在〔~にある〕という意味を持っている「なり」という助動詞です。この「なり」は助動詞ですが、名詞にも付きます。


【引用9】『アラフォー賢者の異世界生活日記』〔2016年~〕クレストン・ヴァン・ソリステア「ドラグ・インフェルノ・ディストラクション」


 煉獄れんごくの炎よ、れる龍となりて敵を滅ぼせ。

 冥府めいふより来たりししき破壊者……全てを焼き尽くす者なり!!

 【ドラグ・インフェルノ・ディストラクション】!!



 『アラフォー賢者の異世界生活日記』は、VRRPG『ソード・アンド・ソーサリス』をプレイして、気づいたらゲームで使用していたアバターの姿になっていた、という物語で、ほぼ敵なしの魔道士が主人公です。魔法の過程の簡略化がある種の理想とされる世界ですので、詠唱文は少なめです。

 漫画版もあるのですが、なぜか2つあります。『アラフォー賢者の異世界生活日記~気ままな異世界教師ライフ~』〔デジタル版ガンガンコミックスUP!、2019年~〕と『アラフォー賢者の異世界生活日記』〔MFコミックス、2018年~〕です。

 日向夏『薬屋のひとりごと』〔2011年~〕も不思議と漫画版が2つありますね。どちらも微妙に違う視点で描かれているので、そういう楽しみ方もあるように思います。

 新聞広告クリエーティブコンテスト2013年の最優秀賞に「めでたし、めでたし?」というタイトルが付けられ、絵には「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」と子どものような字で書かれ、泣いている赤鬼が描かれたものがありました。この「やつ」という言葉はパンチの効いた言葉だと思います。

 物語というものは、常に様々な側面があり、どこに光を照らすかで全く別のものを表すものなのかもしれません。


 さて、分析です。

 一文目は何度も見てきた「〔~よ、~〔命令形〕!」型です。

 二文目の「全てを焼き尽くす者なり」の「なり」が断定の助動詞「なり」です。「Aは~だ」という時に「Aは~なり」という感じに使います。ここでは呼び出したものの紹介です。呼び出したものの紹介、説明を詠唱文にする形もよくあります。単純に「~よ、〔命令形〕!」型にするのとは少し印象が違うので、こういう形から詠唱文を組み立てていくのもアリでしょう。

 なお、「なりて」は促音便化そくおんびんかして「なって」にすることもありますが、


 「書きて」を「書いて」〔イ音便〕

 「苦しく」を「苦しう〔苦しゅう】」〔ウ音便〕

 「従いて」を「従って」〔促音便〕

 「踏みて」を「踏んで」〔撥音便はつおんびん


のように音便化させるかどうかは一概に決められるものではないと思います。

 「〔私〕は~なり」の例を挙げておきます。自己紹介型の詠唱文と名付けてもいいかもしれません。


【引用10】漫画版『最強の職業は勇者でも賢者でもなく鑑定士〔仮〕らしいですよ?』〔2018年~〕ヴェネ「消滅判決ジャッジエンド


 我が名はヴェネツィリアヌストーレ フェラルティアーノ 

 大いなる魔神様に仕えし 「審判」をつかさどる「雷」の聖獣なり! 

 汝に完全なる終わりの罰を! 

 審判魔法『消滅判決ジャッジエンド』!



 『最強の職業は勇者でも賢者でもなく鑑定士〔仮〕らしいですよ?』〔小説は2017年~〕は、突如異世界に転移してしまった主人公の話で、タイトルにもあるように鑑定士です。ただ、神の加護がありすぎというか、神が常に見守っているような状況に置かれています。主人公自体はそんなに強くありませんが、仲間や召喚獣に恵まれています。


 「~んとす」(「~むとす」。「す」はサ行変格活用の動詞)という言葉を使うものもあります。「今にもそうなろうとしている」という意味を示す言葉です。古文の助動詞でいう「んず〔むず〕」に当たります。


【引用11】『聖者無双』2巻、ルシエル「ピュリフィケイション」


 せいなる治癒ちゆ御手みてよ、

 母なる大地の息吹いぶきよ、

 願わくば我が身と我が障害とならんとす、

 不浄ふじょうなる存在を本来のあゆむ道へと戻したまえ。

 ピュリフィケイション



 漫画版ではなく、原典からの引用です。これは『聖者無双』に限らないのですが、句読点の表記が漫画版だとなされないことが多いため、なるべく原典の確認もしています。

 「願わくば~」というのが文語の感じが出てきます。

 「我が障害とならんとす、不浄なる存在を」ですが、ここは意味上「ならんとす。」で切れているとは考えづらいため、「私の障害になろうとしている、〔その〕不浄な存在を」というつながりなのでしょう。

 「す」を「する」と連体形にして、明確に「ならんとする不浄なる存在を」でもよいのですが、しなくてもわかります。

 この用法、どういうやつだったか今すぐに思い出せないのですが、『日本古典 文・和歌・文章の構造』〔2012年、139頁〕の連体形の「提示〔ソレハ、~〕」の用法、



 人々は返したまひて、惟光これみつ朝臣あそんとのぞきたまへば、ただこの西面にしも持仏据ゑたてまつりて行ふ、尼なりけり。〔『源氏物語』若紫〕


〔お付きの人々はお返しになって、〔光源氏は〕惟光の朝臣とお覗きになると、ちょうどこの西向きの部屋で持仏をご安置もうしあげてお勤めをする人がいる、それは尼であったのだった〕



が参考になるように思います。「行ふ」は連体形でしょう〔四段活用の動詞なので、終止形と連体形が同じ形です〕。

 あるいは、『枕草子』「にくきもの」の、



 「ねぶたし」と思ひて臥したるに、蚊の、細声に、わびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく、〔その〕羽風さへその身のほどにあるこそいとにくけれ。


 

のような例が【引用11】にふさわしいかもしれません〔この点についてはもう少し調べます〕。ざっと資料を確認したところ、江戸時代の作品には、「~んとす、~」という形が見られます。

 『源氏物語』と『枕草子』の例は「行ふ」、「飛びありく」はともに四段活用ですが、おそらく連体形です。【引用11】は終止形です。したがって、連体形の用法と終止形の用法とを同じ扱いにするのも問題かなと思われますが、終止形はそこで切れるというわけではなく、後に続いていくこともあるわけです。次の【引用12】の例にも見るように、現代の詠唱文の際のサ変動詞の終止形と連体形とはほとんど同じものになっています。


 「んとす」の「す」は、文語では終止形は「す」、連体形は「する」となるのですが、実際の詠唱文には「~する〔名詞〕」ではなく「~す〔名詞〕」の形にもなっています。例を挙げます。


【引用12】『BLEACH』破道はどうの三十三・蒼火墜そうかつい


 "君臨者くんりんしゃよ!"

 "血肉ちにく仮面かめん万象ばんしょう羽搏はばたき・ヒトのかんものよ!"

 "真理しんり節制せっせい"

 " つみらぬゆめかべわずかにつめてよ!!"   

 破道はどうの三十三!! 蒼火墜そうかつい!!



 『BLEACH』には名詞を並べ立てる手法が多いことは前に述べました。

 また、「君臨者よ」と最初に述べ、さらにその詳しい説明を「血肉の~冠す者よ」としていくことも詠唱文にはよくあります。最初に短くポンと述べ、その後に長い説明をするというものです。


 さて、「ヒトの名を冠す者よ」の「冠す」が問題となります。

 通常、動詞「す〔する〕」は名詞にくっついてサ行変格活用にします。終止形は口語では「冠する」、文語では「冠す」です。

 意味上は「冠す」は「者」を修飾しています。言い換えれば、「ヒトの名を冠す。/者よ!」ではないわけです。したがって「冠す」は「者」につながるように連体形にならなければいけません。

 しかし、口語も文語も連体形はどちらも「冠する」です。よって、一見するとここは「冠する〔者よ〕」に直した方がよいと思われますが、サ変動詞の活用形は現在は揺れています。

 そもそも「冠す者」とあっても違和感を抱かないことが、そのことの証左だろうと思います。

 「愛する」はサ変動詞ですが、口語でも「愛すること」とも「愛すこと」ともどちらでも言えます。口語文法にも文語文法にも則せば、「愛すること」が「正しい」はずですが、実際はそうなっていません。

 「愛する」の他にも「課する」も「~を課すこと」と「~を課すること」とも言えなくもありません。

 「冠す者よ」の例も、「冠する者よ」という表現はありますが、「冠す者よ」がおかしいということでもないわけです。

 このようにサ変動詞の場合はやや複雑な実態があります。活用表の通りに全てが運用されているわけではないのです。

 詠唱文に戻ると、おそらく「冠する者よ〔7〕」よりは「冠す者よ〔6〕」の拍の方がいいように思います。



 以上が(ⅳ)、d、詠唱の文末が終止形の場合の説明でした。今回は全般的に細かいことを見てきました。

 次は(ⅴ)e、文末が已然いぜん形〔仮定形〕の場合を見ていきます。

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