第10話 山に躓かずして垤に躓く

 誰時たれどきうっすらと明るみを帯び、森閑しんかんの森に小鳥達が朝の訪れを告げる。先程まで仄暗ほのぐらく気が付かなかったが、近くの木の根元に猫の縫いぐるみが落ちていた。寝ている間にエマの腕から滑り落ちてしまったのだろう…… 縫いぐるみは狼に踏まれたようでもあり、泥だらけで真っ黒だ。


(元々薄汚れていたのに、今度は本格的に真っ黒だな)

 

 仕方ないと腰を上げ、縫いぐるみを拾い上げ川で洗う。最初はチャプチャプと気を遣いながら洗うが、汚れは簡単には落ちない。やがてジャブジャブとなり、ゴシゴシと力を込める。ザバッと水から引き上げると……


 猫が熊になっている。


 あぁそうかと、全体を絞り水気を抜く…… すると今度は……


 干乾びた人参に顔がある。


 面白くなり悪戯いたずらにジャブジャブとそれを繰り返す。次に水から引き上げると……


 目が二つ無くなった。


 これはいかんと水気を抜く為ブンブンと振り回しパンパンと両手で挟むとヨレヨレの老師が出来上がった。



 殺される……



 どうするか悩む。全てを無かった事にする為に証拠隠滅しょうこいんめつと云う文字が頭に浮かび上がる。


悪魔がささやく。

(埋めちまえばわかんねーよ、あいつアホだから。燃やしちまってもいいと思うぜ)


天使がさわぐ。

(それエマのご両親の形見でしょ?やばいって不味いってバレたら本当に骨も残らないよ。怒ったエマはあんたより強いよ)


「…… 」


 いやほんとにこれどうしよう。汗が吹き出し止まらない。このままでは、狼なんてもんじゃない、とんでも無い悪魔を召喚してしまう。


 不図ふと、ここに来て自分を正当化する為にエマに責任転嫁せきにんてんかしてみる。元々頼んでも居ないのに勝手に付いて来たあいつも悪いんだし、こんなのは俺のあずかり知らぬ事。


 そもそもこんながあるからいけないんだとポイと投げつける。


 べちゃっと地面に老師が万歳する。


 たまらなくなり、水に着けてはまた投げる…… 


 あははと喜びまた投げる…… 満面まんめんみで振り返ると。



 エマが見ていた……。



 泡を吹き出し失神寸前、眼球間際に苦無クナイを捉えた。ヒィと咄嗟とっさかわすが、こめかみを刈られ飛退とびのくと、足元に投爆薬手榴弾が転がった。


 ―――――⁉


 ドガンと爆風が森を揺らす。両手を十字に頭をかばい、一瞬身体を後ろに逃がすが、爆風により身体が巻き上げられ、回避出来ない空中に誘われた。


 視界がチカチカと途切れ、聴覚が麻痺している……


 まずい―――――  逃げ―――――!!


 紫電一閃しでんいっせん何時いつ放たれたのか、左右の空から朝日を滲ませ円月大輪チャクラムが弧を描き、その中心から枝を足蹴あしげに双薙刀をげて、鬼の形相エマが襲い掛かる。刀を抜く暇さえ与えてくれず、ふせがねばと身構える。しかし此処で自分の愚かさを後悔する。一瞬、朝日に目を奪われ、エマを見失ってしまっていた。


 この攻撃の全ては初めから彼女の手の内であり、無為無策むいむさくであった自分を哀れむ。エマは当然の如くあさひを背負い斬りかかる…… 一瞬で全ての状況を判断し、全ての環境を最大限利用し、戦況を支配する。



 フィダーイアサシン…… 死を支配する者。


 

 彼等の放つ一撃は戦況を変え、一瞬で歴史を変える。そう、彼女は既に幼き頃からの暗殺者だった。


 双薙刀の派手な回転に目を凝らし、防戦一方、不撓不屈ふとうふくつってしのぎ切る。空中では動きを封じられ、際限さいげんない連撃をなす事が出来ず手古摺てこずると、不意にドカッと腹を蹴り上げられ胃液が空を汚す……


「ぐはっ」


(しまった、派手に回転させてたのは、こちらへの意識を反らすため…… )


 エマは俺を蹴り上げた反動で地表へと身をひるがえすと、空中に置き土産を放って行った。


 投爆薬―――――⁉


 加之しかのみならず円月大輪チャクラムが間近に迫る。間断まだん無く、たちまち劣勢におちいる。何という炯眼けいがんか、何という犀利さいりか、天賦てんぶの才はことごとく俺の予想を遥かに凌駕りょうがする。このわずか数秒で生き残るための窮余きゅうよ一策いっさくを余儀なくされる。


 一蹶不振いっけつふしん、同じ速度で落下を始める投爆薬を更に上空へと蹴り上げ、飛来する円月大輪チャクラムに意識を向ける……


 ―――――どこだ⁉


 目の前で何かが反射する。勿論それはまばゆ旭日きょくじつの中から突如現れた。軌道を計算され放たれた光輪は、視覚を惑わせ迫り来る。思わずかわせず、左肩口を切り裂かれ真っ赤な血潮が吹き上がる。同時に新たな光輪が、背後から衝撃を伴い現れるが、幸いに背負った大太刀長巻が、ガキャンとこうね返す。


 しかしその直後、態勢を保てないままの直ぐ上を、閃光が走り耳をつんざいた。爆風が怒涛どとうの如く俺を押し退け、立木の中に叩きつける。幾重いくえにも枝が折り重なり、地表への衝撃を和らげてくれてはいたが、左肩の傷は赤黒く口を開け、脈に合わせ血を滴らせる。気息奄々きそくえんえんとまではいかないが、かなりの痛手を負ってしまった事には変わりない。


 ―――――強い!!


(このままでは分が悪い)

森の中では翻弄ほんろうされ、やがて仕留められる……。


(相手がエマで有る事を今は忘れろ!! あれはエマじゃないあれは)



 あれこそが本物のフィダーイアサシンだ。



 俺は直ぐに立ち上がり、止血をする間も惜しみ走り出す。

(一つの場所に留まるな、走り続けて考えろ、次は何を仕掛けてくる? お前ならどうする? 俺ならば罠…… )


 なっ―――――⁉


 走り出す前に警戒をするべきであった。突如、ビンッと麻縄が、足をすくたちまち前のめりに体制を崩す。手を着きり過ごそうと正面に視線を投げると、辺り一面に鉄撒菱てつまきびしが顔を出す……


 敷かれた罠に万策ばんさく尽きる。遮莫さもあらばあれと覚悟を決め自ら陥穽かんせいに身を投じる。頭をかばい、針山の上で受け身を取ると、背中に鉄撒菱てつまきびしを巻き込みながら、巡る痛みに声を漏らす。


「ぐあっ」

 

 外套がいとうを羽織っている為、深手にはならずに済んだが、数か所突き破られ血が滲む……

ままでは削られていくだけだ)


 すると頭の中で成程と、老人の策略に今更気づき納得する。

(剣のみでフィダーイアサシンと戦うと云う事を俺に教えたかったのか? )


 ――――初めからエマと戦わせるつもりで? ……


「 いや、そんな真逆まさか


(しかし、それがもし本意なのだとしたら、これは老師が俺に与えた試練なのかもしれない…… ) 


 ―――ならば、答えは一つ……


 此処でエマとの闘いを前哨戦ぜんしょうせんとし姉弟子越あねでしごえを果たし、老人との再戦に拍車はくしゃを掛ける。そう、もう既に、どちらかが倒れるまでは止められないのだから。


 殺るか殺られるか―――――

それは決意に満ちた死合いの幕開けだった。


 ずこの不利な状況を打破だはする為に、森を抜ける必要がある。狼達とケリを付けた場所でも良かったが、苦戦をしいたげられ、かなりの距離を移動して来てしまっていた。今更あの場所へ戻ることは出来ない。

 

 それと傷の止血が必要だ。背中の傷は大した事は無いが、肩の傷は深い。戦いが長期戦になればそれだけ不利におちいる。

 

 (手当の為、少しでも身を隠せる場所が欲しい…… 幸いエマは俺の姿を見失ってくれているようだ、ならば今が虎口ここうする時) 


 すると、ドゴンと空がとどろきを放ち、爆風を立ち昇らせる。エマが仕掛けた罠により、獣が巻き込まれてしまったようだ。恐怖に怯えた獣たちの雄叫びは森に響き渡り、多種多様な森の住人達は脱兎だっとの勢いで逃げまどう。更に追い打ちをかける様に、ドガンドゴンと彼方此方あちこちで広大な森が揺れる。


 怒りの矛先ほこさきを見失ったエマは、鬼神の如く動く森のもの全てを殲滅する。

(完全に我を忘れてる…… )


「おいおい森を切り開くつもりか? 」


 するとエマの只ならぬ殺気にてられたのか、必死の形相で風を食らって逃げる大熊が目にまる。咄嗟に背中に獅噛しがみ付き、毛を伝い大熊の腹側に回り込みエマから身を隠す。


(頼むから上手に逃げてくれよ…… )


 森の王者にとっては初めての経験だろう、得体の知れないものが突如現れ森は戦場と化し、木々は根刮ねこそぎ倒され、爆撃で仲間達は弾け飛ぶ…… 当然、余りの恐怖で腹に張り付く俺の事などお構いなしだ。


 しかし何という獣臭だろうか、生きている大熊はこんなにも臭いものだとは思いもよらなかった。鹿肉のスープが直ぐそこまでこみ上げる。


 かなりの距離を共に駆け抜けて来ると、焦った熊の乗り物が倒木に脚を引っ掛けゴロゴロと痛恨の転倒をしてしまい、お疲れ様でしたと俺の身体をポイと放り出す。


 勢い衰えず同じくゴロゴロと小さな谷を転げ落ち、迫る立木に頭を強く打ち付け星が散った……


 




たわむれにひそんだ代償は、己の身をって清算する。錦秋きんしゅうの空に慚愧ざんきをすれど、澎湃ほうはいは時を待たずして迫り来る。後悔は意識と共に途切れ、山をよそおうう赤色に染まって行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る