第4話 大スクープ!

 積み上げられた大岩はそれぞれの形が歪であり、一番下の岩は地面と接地していない部分も多い。探せば人一人分、通れる隙間があり、彼女はここを通って中と外を行き来しているらしい。


「あたし、セイナン。君は?」

「おれは、緑……、ロクでいいよ」


「じゃあ……ロクは、なんであんなところに? あたしもこうして行き来してるから人のことは言えないけど、壁の外は危険だから出ちゃいけないって言われてるのに。

 あたしは最低限、亜獣あじゅうには見つからないようにしてるよ? ロクの見た目ってなんの装備も持っていないように思えるけど……、あっ、もしかして死にたい人だった?」


 当たらずとも遠からずってところだ。

 進んで死のうとは思っていなかったが、かと言って、乗り切ろうとも思っていなかった。

 流れに身を任せたあの状況から、自殺志願者だと思われるのは不思議でもない。


「もしかして、邪魔しちゃった?」

「ううん、そんなことないよ。助かった、ありがとう」


 自殺志願者を助けて、『邪魔しちゃった?』ときたか。セイナンは、説教をするようなタイプではないらしい。

 見て見ぬ振りはできなかったから、とりあえず助けた、けれども放っておいてくれと頼まれたら見捨てることも視野に入れている。

 厄介事に巻き込まれたくはないが、罪悪感を残したくないその気持ちはなんとなく分かる。


 推測の域は、完全には出ていないけども、こうして共通点が見つかるといくらか話しやすい。


「ねえセイナン……ここって、どこ? 地名とか教えてもらえる?」


 日本語が通じているので、日本ではあるのだろう……か?


 しかし、セイナンは亜獣と言っていたが、あんな生物が棲息しているのならば、ニュースにでもなっていそうなものだが。

 …………。

 自分の腕を見下ろす。複数の傷、今も鋭い痛みがやまず、痒みがある。夢ではなさそうだ。


 おれが知る世界とは異なる世界、と言われた方が納得できる。


「ここ? 地名は……なんだろう。でも亜人街あじんがいとは呼ばれているね」


 岩の隙間に潜って進んだ先は、見晴らしの良い景色が見える崖だった。

 蟻地獄のように中心地点へ向かうように坂道になっている大きな窪みがあり、敷き詰められるように、建物が隙間なく建てられている。

 端から端まで、逆アーチのような輪郭をなぞることができた。


 火事が起これば一気に全体に広がりそうだ。

 見た感じ、木造ではなさそうだから、比べれば燃え広がり方も遅いのかもしれないが……。

 燃え広がらずとも、煙は深いところに溜まりそうだ。


「よっと」


 セイナンが軽快に崖を飛び降りた。うおっ!? と声に出す暇もなく、見下ろせばすぐ下に足場があったようで……、そこに着地している。

 彼女は手を振って、おいでとおれに促してくるが……、飛び降りるって、三階分くらいの高さはあるのだが……。


「どうしたの?」

「いや、高いな、って思って」


 たとえば月ならば、躊躇うことはなかったけど。

 ただし、月、いったことがないから想像だ。


 セイナンにできておれにできないわけがない、とは言わない。

 セイナンの運動神経は、おれを助けた時から感じているが、異常だ。

 瞬発力、俊敏性……、体の構造そのものが違うような気がしてくる。


 度胸もそうだ。それに関しては、おれでもどうこうできる範囲のことではあるが、やはり身体能力の自覚が精神に影響を与えていると考えるべきだろう。


 待っても降りてこないおれを待てなくなったのか、それでも怒った様子はないセイナンが、跳躍して、おれを迎えにきてくれる。


「やっぱり怪我がまだ痛む?」

 と、聞いてくれるがそうではない。


「……亜人街って、言ったよね?」


 セイナンは頷いた。亜人の街なのだ。

 なら、ここに住むセイナンも、そういうことになる。


「セイナンも、亜人なの?」


 きょとん、と表情を浮かべたセイナンが首を傾げて、


「……ロクも、だってそうでしょ?」


 違うよ、首を左右に振りながらそう言うと、一瞬、固まったセイナンが、ハッと意識を取り戻し、すぐさまおれの両手首を掴んで、押し倒した。

 セイナンの動悸が激しい。おれが怪我をしていることなど忘れているようだ。骨が折れているとか、体に穴が空いているとかではないから、押し倒されたくらいではどうってことないが。


「じゃあ……人間?」


 セイナンの喉が大きく動き、ごくりと唾を飲み込んだ音が聞こえる。


 本当のことを言うか迷った。だがもう、軌道修正はできそうにもない。


「おれは……人間だ」


 間近で焚かれたフラッシュに、思わず目を瞑る。ゆっくりと目を開ければ、セイナンは目を輝かせておれを離さないように、お互いの手首同士に手錠をかけ……、


「えっと、なにしてるの……?」


「絶対に逃がさない! やったやったっ! なにかネタになればいいかなと思っていたらとんだ大スクープ! 首の皮が繋がったどころじゃないよ、大躍進の出世だよありがとうロク!」


 ぎゅうっと抱き着かれて、満面の笑みを見せられたら、良かったな、としか思えない。


 なんにせよ、これで助けてくれたお礼になるのであれば、セイナンに利用されるのも悪くはなかった。


 格好悪いが、セイナンにしがみつく形で崖を降り、窪みの中心地点に近い一棟の五階建てビルの屋上まで運んでもらった。

 下の通路は狭く坂道になっており、街並みはおれの世界とさほど変わらないが、車道というものがなかった。当然、車もない。


 移動が不便なのではないかと思ったが、それはなんの力もないおれたち人間だからこそ出る発想であり、今のセイナンのように屋上から屋上へ、数メートルの距離を跳んで渡ることができる亜人からしてみれば、車を使うよりもずっと早い移動手段が徒歩になるのだろう。


 これを徒歩と言うかは怪しいが、セイナンだけではなく、街を縦横無尽に走り回るフリークライミングが、この街では普通なのだろう。

 すれ違い、行き交う人々全員が、同じように飛び回って移動している。

 中には翼を使って飛んでいる者もいた。


 あれは鳥の亜人なのだと言う。

 五階建てビルの四階部分が、セイナンの部屋らしい。風呂とトイレは他の住人と共用なので、部屋が広く、家賃は安い。

 女の子の一人暮らしにしては、らしくないと言うか、仕事部屋や作業部屋にも思えるほどごちゃごちゃとしている。

 だが、セイナンに言わせれば、整理整頓された上でこの惨状らしい。惨状と言うのもあんまりか。ただ物が多いだけで、どこになにがあるのかは分かっているらしいし。


 新聞記事、雑誌……、切り抜きやら紙束やらが棚に収まっている。

 部屋のレイアウトは、棚がほとんどを占めていた。ボイスレコーダーが複数。並べられた窓側の机には、閉じられたノートパソコン。

 セイナンが開けば、スリープ状態だったのか、画面が光を取り戻す。


 そこで、お互いの手首を繋ぐ手錠をはずしてもらう。

 その際に『逃げる』『逃げない』で押し問答があったが、セイナンから逃げ切れる身体能力がないと納得してもらえて、拘束から解き放たれる。

 尻に敷かれる言い分が通ってしまうのはどうだろう、しかし事実、おれはセイナンに力で勝てないのだ。


 彼女は狼の亜人である。


「確かに、灰色の尻尾があるね。……耳は、普通に横にあるんだ」


「亜人だからね。人でもあるんだよ。人か狼か、どっちかに偏ることもあれば、ちょうど半分だったりもするし。あたしの場合は人に近く、尻尾とか牙とか、少しだけ狼なのかな」


 腕の傷の手当てをしながら、そんな会話をした。


 立ちっぱなしのおれを気遣い、椅子を渡してくれたので、甘えて座る。そうなるとセイナンの座る椅子がなくなるが……、彼女はキッチンのシンクに、体重を預けるように寄りかかる。


 部屋を見回し……、しなくとも大体予想はついたが、セイナンは記者なのだろう。


「うん。雑誌の数ページを任されてるんだ。今月はどんな特集をしようかなって考えてて、そろそろ締め切り間近でやばいと焦っていたから、ロクがいてくれて助かったよ」


「それは、おれが人間だから?」


「うん。だってこの世界では人間は既に絶滅していて、一人もいないから」


 大スクープと言ったのはそういうことか……。おれの世界でも絶滅していた動物が発見されれば、ニュースになる。その後は保護され、絶滅しないように育てて増やすとされているが、この世界でも発見されたおれの扱いも、似たようなものになるのだろうか。


 だとしたら息苦しくなりそうな気がする。


「大丈夫、なんだよな?」


 丁寧に扱われるのは悪くはないが、雁字搦めにされるのも迷惑だ。


「大丈夫って? 根掘り葉掘り聞かれないかってこと?」


「それはセイナンに今からされるからいいけど、もっと、そうだな……解剖的なことだよ」


「ないと思うよ。貴重な人間だから、手荒な真似はされないだろうし。絶滅するも保護するも、興味はないんじゃないかな。

 あたしたちだって、亜人とひとくくりにされているけど、厳密に言えば別種だし、絶滅している種だっているもん。でも、保護しようって動きはないし、絶滅したと発覚しても、それを取り上げようとする人もいないからね。あたしたちは突然変異で生まれたりするから、また話が別になっちゃう気もするんだけど……」


 難しいね、と笑って誤魔化すセイナン。


「大丈夫! 問題が起こったら、あたしが助けてあげるから。もうあたしたち、友達でしょ?」


「……そう、だね。——うん。じゃあ、セイナンを信頼することにするよ」


 頼れるのはセイナンしかいないという追い詰められた状況は無視するにしても、本音だ。


「じゃあ、取材の方、してもいいかな」


 ホットミルクを差し出されて、それを飲みながらセイナンの質問に答えていく。


 しかし、おれ個人の生い立ちや趣味、好みなど聞かれても、それが役に立つのだろうか。実質内容などどうでもよく、人間が実在していたという記事が書きたいだけで、空白を埋めるためのおれの簡単なプロフィールを聞いているだけなのかもしれない。


 セイナンはボイスレコーダーと手帳を手に持ち、おれの発言を記録している。思ったが、おれはどこにもいかないのだから、編集作業中に逐一聞いてくれてもいいのだけど、そうもいかないのが編集作業なのかもしれない。


 一通り質問が終わった頃には、残っていたホットミルクはぬるくなっていた。

 冷たくはないので、そこまで時間が経ったわけではない。


 セイナンは体を反らして、んっ、と伸びをする。すぐに作業するわけではないらしい。休憩を挟むらしいので、おれもセイナンには聞きたいことがあった。


「絶滅したってことは人間はおれ以外にもいたんでしょ? どうして絶滅したの?」


 セイナンには言っていないことがある。

 おれはこの世界の住人ではないということ――。


 ここがおれのいた世界ではない、という証拠が見つかったわけではないけど、十中八九、そうだろう。証拠を言うなら、セイナンたち亜人と亜獣という生き物がそうだ。

 世界は広い、とは言っても、地図があるくらいなのだから、亜人街が発見されていてもおかしくはないのだ。

 知られていないということは、世界そのものが違うとしか言いようがない。


 世界も、辿る歴史も違うけど、人間の発想力は、あまり変わりなさそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る