弟子ふたり

あはの のちまき

1頁

「弟子にしてください!」


喧しい声が、扉を開いた瞬間に響いた。現在の時間は早朝。朝焼けで空が白んでいるような早朝だ。

そんな中、扉の目の前には活発そうな少年が、目をキラキラと輝かしてこちらを見つめている。

少し癖のある短髪は灰青色、意志の強い、穢れを知らないような丸い目は、深海のような青色をしていた。見た目は若干みすぼらしいと、拠れた服装で察する事が出来た。

そんな小さく貧しそうな少年は、扉を開けた主、リンネの事をずっと見つめている。

リンネはその、中性的な涼しい顔で暫く静観した後、こめかみをピキリとならし、

「帰れ」

と吐き捨てると、乱雑に扉を閉めた。

起きたばかりで機嫌の悪かった青年…ボサボサの長い黒髪を雑にかき揚げたリンネにお構いなしに、何度も扉のノックの音が響き渡る。

「ええっ!? どうしてですか!? 話を聞いてくださいよー!?」

少年の必死な呼びかけを無視して、リンネは苦虫を噛み潰したような表情で呻いた。

「……うぜえ」

これが便利屋を営む青年リンネと、罪滅ぼしの為だけに生きている少年、ウィルヘルムの出会いだった。



身なりを整え、白の仕事着を羽織ったリンネは、余りにもしつこい少年を自宅…仕事の受付も兼ねている、こじんまりとしたログハウスに招き入れた。少年はどこかほっとした表情で、

「お邪魔します」

そう礼儀正しく言った後に入り、客間の椅子に座る。

「…んで、依頼内容は?」

リンネはそう問いながら、良い香りのする紅茶の入ったカップのひとつを、少年の前にある机に置いた。もうひとつのカップを掴み、彼は優雅に紅茶を口にする。少年はその動作をぼんやりと眺めていたが、はっとしてリンネをしっかりと見つめた。

「弟子にして欲しいんです!」

「それは依頼じゃねえだろ」

「依頼ではないです、これからお世話になりたいし、お世話したいんです!」

「…いや、そんなの募集してない」

「僕がいますからね!」

「落ち着いてくれ頼むから」

話が纏まらず、リンネは少し苛立った様子で、切れ長の瞳を閉じ、大きな溜息を吐いた。

「何がしたいんだ、餓鬼」

「聞いてくれますか…! って、僕は餓鬼ではなく、ウィルヘルムという名前があります! ウィルヘルム・ウィズィオーンです!」

ムッとしたのか、少年、ウィルヘルムは静かに、あくまでも静かに机を叩いた。そんなウィルヘルムをじとっと見つめながら、リンネは続きを無言で促す。

「…ごほん、そのですね、僕はあなたのような便利屋になりたいんです。あなた…リンネ・アンヤさんの評判は、この街中でも有名なくらい、広まっていますから!」

「……で?」

「んっ? あ、えっとですね、僕は誰かの役に立つ為に働きたくて。人助けや、悩みを聞いて解決したり、そういった人になりたくて、だから見習いになりたくて……」

「帰れ」

「……えっ?」

朝焼けの時間の時と同じ科白は吐かれ、ウィルヘルムは一瞬、身を強ばらせた。その隙に、リンネは乱暴に少年の腕を掴み、ログハウスから追い出す。雑に放り投げられたので、少年は尻もちをつく。訳が判らずポカンと座り込んだウィルヘルムに、リンネは短く吐き捨てた。

「嘘を吐く奴を傍には置かねえよ」

言葉の理解をする前に、扉は閉じた。何故、と言う言葉が頭の中を巡るが、声にはならない。断られたというショックより、リンネの発言、そして突き放された感覚に衝撃を受けた事を、ウィルヘルムは受け入れられずにいた。

「……嘘吐きって、どういう……?」

暫く座り込んだまま独りごちたウィルヘルムは、首を振り気持ちを切り替える。そうだ、今日は駄目だった。それなら明日だ。前向きに思考を巡らして、彼は立ち上がる。踵を返して歩き出す少年の瞳には、諦めは存在していなかった。


ウィルヘルム・ウィズィオーンは天涯孤独の身だ。

数年前、父と母、そして姉が同時に亡くなっている。故に彼は一人暮らしで、幼いながらに仕事をしなければいけなかった。

古い本で学んだ薬学を元に、住んでいる街の離れにある森の中から薬草を集め、それを売って生活している。今日も当たり前のように森に入り、草木を良く観察し、お目当てを探した。

「……あっ、これは高く売れるんだった」

しゃがみ込みながら探索をしているウィルヘルムの視線の端に、薬学書に書いてあった薬草を見つける事が出来た。上機嫌でその薬草に手を伸ばす。慎重に採取しようと目を光らせた時にやっと、違和感に気付く。

薬草の一枚の葉に、赤い液体がこびり付いている事に。

「……え…」

恐る恐る視線を先に移す。視線の先は草木の少ない開けた場所になっていた。その中心に、赤い少女が横たわっている。酷く現実味のない風景だった。美しいと表現したくなるような光景はしかし、ただの惨状を露呈している。

血塗れの女の子が倒れているのだ。

「……だっ、大丈夫ですかっ!?」

一度停止した思考から帰り、ウィルヘルムは少女の元に駆け寄った。膝を付き、ゆっくりと少女の半身を起こす。余りの流血に、ウィルヘルムは叫びそうになるのを必死に堪える事しか出来なかった。着用しているワンピースは、元の色が判らない程、赤で染っている。止血をしようにも、何処に傷があり、何処が致命傷なのか判らない。ウィルヘルムはパニックに陥るが、ふとあの人の顔が浮かんだ。

少年を突き放した、あの青年の顔が。

ウィルヘルムは一度息を吐き、落ち着くよう言い聞かせると、少女を抱え、ふらふらと歩き出した。


必需品の買い出しを済ませたリンネは帰路につく。便利屋の本拠地であるログハウスは、街の離れにあった。歩みを進め、目的地が見えてくると、出入口用の扉には何か見慣れないものがあり、リンネは顔を顰める。が、次の瞬間、目を見開いた。

「た……助けて下さい…この子、を」

それは早朝に現れた少年だった。彼は服や肌を血で汚しながら、血塗れの人を背負っている。その光景を見るや、リンネは早足で彼等の元へ駆け寄った。


血や土埃で汚れた身体を清め、服も着替えさせた少女は、穏やかな寝息を立てて眠っている。綺麗になった長い髪は美しい白金で、ウィルヘルムは思わず見とれてしまう。陶磁器のように白い肌は、少し痩せているも柔らかそうであり、その肌に映える睫毛も、まるで人形のように長く、美しい。そんな事をぼんやり考えていると、ひとつの溜息が鳴った。ウィルヘルムが視線を移すと、少女を治療した便利屋のリンネが、半眼で少年を眺めている。

ウィルヘルムはハッとして、

「…あっ、助けてくれてありがとうございます」

「それはいいけどよ、餓鬼…名前は?」

「ウィルヘルムです」

「……ウィル、こいつはお前の家族か?」

「いえ……」

少年は事情の説明をした。ただ、つい先程の出来事以外は話せない。少女とは初めて会うし、街の住人とも思えなかった。

事情を聞いている間も、リンネは動じない。暫く考えているような素振りを見せたが、特に語る事はなかった。

依頼料はその情報と告げられ、ウィルヘルムはログハウスを後にする。弟子になる事も、あの少女の行く末も知ることも出来ないままの為、少し心残りがあるが、仕方がない、と語りかけ、少年は変わらない日常に戻る事が、出来なかった。

「おいウィル、どうにかしてくれ…!」

翌日、便利屋が背中に何かを背負い、やって来たからだった。

便利屋の背中には子供らしき人物がくっ付いており、

「こんにちはっ」

真っ赤な瞳をに穏やかに細めた美しい少女が、ひらひらと手を振った。


「あのね、リンネってすごいんだよ!」

少年の自宅でくつろぐ少女は、少年、ウィルヘルムの朝食をみるみる消失させていく。させながら、少女は便利屋リンネの素晴らしさを語った。

「わたしのこのお洋服、リンネが作ったの!」

真っ白なワンピースを着ている少女は、袖をひらひらと遊ばせながら、とても嬉しそうに笑う。彼女が着ている、シンプルだが可愛らしいワンピースは、店で販売されていてもおかしくない程の質に見えた。その少女の姿は、まるで絵本に出てくるお姫様の様な、絶世の美少女のようだ。白金の髪や肌や服の白さの中に、リコリスの花のように真っ赤な瞳がとても映えている。

少女の明るさと美しさに気圧されていたウィルヘルムだが、話を聞いている内に、彼女と打ち解けたようで、少年は濃青の瞳を光らせた。

「そうっ、リンネさんはいろんなものが作れるんですよー!」

「うんうん、今日の朝ごはん、リンネが作ったのよ。すっごく美味しかったんだからっ」

「う……羨ましい!……え、じゃあ僕の朝ごはんは何故きみの胃の中に!?」

ウイルヘルムと少女は便利屋の褒め殺し大会を始めたようだった。食事用の机を挟んで語り合う中、リンネは静かに紅茶を飲んでくつろいでいる。つかの間の休憩と言わんばかりのどこか白けた表情だ。

ウィルヘルムは心の底から楽しそうに笑う。そんな少年に少女は、ふと微笑む。ドキリとするような、見た目とは裏腹の大人らしい笑みに、思わず少年は魅入ってしまった。

「あなたが、わたしを見つけてくれたって、リンネが教えてくれたの」

落ち着いた声で、少女は言う。

「あなたが、わたしをリンネの所まで連れてこなければ……ううん、あなたがわたしを無視していたら、わたしは、今ここにいないと思うの」

だから、ありがとう。

次に少女は子供らしい笑みを浮かべ、ウイルヘルムの手を、その白く細い手で丁寧に握る。驚いた少年は、口をぱくぱくと動かすことしか出来なかった。

「お名前は?」

少女が少年の目を見つめながら問う。少年ははっとして、少女の真っ直ぐな視線から逃れるように、目を泳がせながら応えた。

「ぼっ、僕はウィルヘルムです! えっと、きみは?」

「……判らない」

「……え…?」

悲しそうに顔を伏せ、少女は弱く笑う。そのまま彼女は申し訳なさそうに呟いた。


「わたし、何も覚えてないの。記憶喪失なんだって」


でもね、と少女は前向きに微笑むと、

「だからわたし、リンネのお手伝いをするの!」

え、とウィルヘルムは呆けた。傍でリンネのため息が聞こえる。断ったが引かない、と彼は小さく呟いた。そして飲んでいた紅茶のカップを机に置く。

「そいつ、目を覚ましてからずっとそうなんだ」

「は、はあ」

「そこでだウィル、お前こいつの世話をしてくれんか」

「ほえ!?」

突然突拍子のない事を言われ、ウィルヘルムは思わず、間抜けな声がでた。

「な、なんで僕が……い、いやありがたいのですけど」

「こいつの事を唯一知っている顔見知りは、お前しかいないからな」

適任はウィルヘルムだと説明した呆れ顔のリンネに、少年はみるみると眩しい笑顔を見せた。

「ということは、僕はあなたの弟子ですね、師匠!」

「調子に乗りやがって……」

「楽しそうでいいと思うよ、ししょー!」

「お前まで」

やれやれリンネは額をおさえる。そんな中、ウィルヘルムと少女は穏やかに笑い合った。

「君……名前は思い出せない?」

「うん、判らない……」

「なら……アイーシャ、ってどうでしょう?」

「アーイシャ?」

「はい。構いませんか、師匠?」

「勝手にしてくれ」

「ありがとうございます!」

「……わたしの、名前…」

名無しだった少女は、大切な物を扱っているかのように、ゆっくりと両手は胸にあて、静かに微笑んだ。

その名を自分のものにするかのように、大切に。

ウィルヘルムは微笑した。そんな表情とは裏腹に、少年は翳りを見せる。その気持ちを心に無理矢理しまい込み、アーイシャを見つめていた。


ー続

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