第4話 ゴートデビルハンターになるらしい

 僕と新美が牧場から崖の下に続く細道を歩いていくと、海面に近い岩場にぽっかり洞窟が現れた。舟が係留されている。


「ここは見つかりにくいから隠れキリシタンが使っていたんだ。人間は大変だよね、知れば知るほど今も昔も人間じゃなくて良かったと思うよ」


 そんな風に考えたことはなかったが、確かに彼らからはそう見えるだろう。

 新美は明るく未来を悲観しない。芽衣子もだ。

 学校で室内犬のようにいい子でいていい大学に入っていい企業に就職して定年まで失敗せず勤め上げる…僕はどこまでも地獄巡りのような未来像の圧迫感に押しつぶされそうになる。そんな僕は、サークルで会う芽衣子のあっけらかんと輝く魂に救われていたのだ。


(陰気な僕が山羊人間とは思えないな…)


 舟に二人は乗り込んだ。新美はオールを底から拾って漕いだ。手慣れている。


「人間と交配すると山羊人間の血が薄まって人間らしくなる。君のご先祖は九州出身?」


 僕は考えていたことを見抜かれたようでどきっとした。


「は、はい。父方の曽祖父が九州出身です」


「自覚無しに交配してきたんだね。島の役場に山羊人間の戸籍があるけどきちんとは把握していない。きっと山羊人間の遺伝子が知恵深い人間との同化を望んでいるんだよ」


 嬉しそうに微笑む新美の黒目が横線になる。どうも感情がにじむと瞳孔が変化する様だ。


「さ、もうすぐだ。波が高いから気を付けて、私は泳げないからね」


 新美は岩場に綱を投げ、揺れる舟からしぶきが飛び散る濡れた岩場にひょいと飛び乗った。


(さすがヤギ…)


 僕が感心して見ていると、


「さ、こっちへ」と何でもない様に新美が言った。


(で、出来るわけないだろっ!)


「ち、ちょっと…無理そうです」

 

 僕が恥ずかしそうに言うと、新美が笑った。


「そうだよね、失礼」


 彼は綱をぐいとひっぱり、舟を岩場の奥に誘導した。

 波が段々穏やかになる。進むにつれて例の白い十字架が見えてきた。崖の上の牧場からはわからなかったが、海面から見上げると大きい。2階建ての家くらいはある。


「うわぁ…」


「すごいだろ?長崎市が山羊人間への感謝と親愛を表して建てたんだ。私達にはこういった記念碑の発想がないからね、人間は違うよ」


 暗にモノでしか感謝を表せない人間の浅はかさを揶揄されたような気になったが、下衆の勘繰りだ。そこまで新美は考えていない。というか、山羊人間は深く考えるのに向いていなさそうだ。


「人間はこの張りぼてを与えることで大きな借りをチャラにしたかったのでしょう。なんだか考えれば考えるほど人間のほうが邪悪に見えてきます」


「まあまあ、私達は人類に寄生している。先のこともあまり考えないし、考えられない」


 そう言ってメメメと笑った新美の表情は驚くほど亡くなった曽祖父に似ていた。精力的に周りを笑わせていた彼は、いつも楽天的に笑っていたのだ。

 彼はお盆になると戦時中に豊橋の軍需工場で空襲にあった話をした。

 皆が防空壕へ逃げる中、曽祖父は死を覚悟して初恋の女性の写真を取りに宿舎に戻ったそうだ。おかげで安全な場所から人を思う存分殺すゲームを楽しむB29に撃たれず戦後を迎えられた。

 話す時の曽祖父の目には暗い影が落ちた。銃痕だらけの死体を集めて焼いて穴を掘って埋めたのを思い出していたのだと今ならわかる。小さい僕は『じいちゃんが弾に当たらなくて良かった』と単純に思っていた。


 僕は洞窟の突き当りのプールのように海面がしんとした場所で舟から降りた。そして自分の中の山羊人間の血を感じていた。




「さ、こっちだ。きっとアイギパーン様が待ってる」


 新美の後をついて真っ白な砂を踏みしめながら岩に囲まれた洞窟を奥に進む。たまに天井が開けて宝石のように青い空が見える。そこには天雨を貯める貯水枡があった。中を覗くと澄んだ水が湛えられている。


(なんて清潔で神聖な場所…ヤギ臭いけど)


 祖母が動物好きで犬猫を常に飼っていた。一度も匂いが気にならなかったが、ヤギには独特の匂いがある。


「失礼します。この若者がバフォメットの手下を見事に知力で倒した山羊人間です」


 神様に会うとは思えない気軽さで新美が突き当りの部屋に足を踏み入れた。僕は少しビビって彼の後に続いた。

 一番奥は少し高くなっており干し草が敷き詰めてある。その上にちょこんと可愛らしく乗っかっているのは、顔だけ老人で身体は真っ白いヤギだった。牧場のヤギと違って毛足が長くて全身に垂れ下がっている。


「こ、こんにちは、安達です。新美さんの牧場で夏バイトしてます」


 無関係だとアピールしてみたが、全く通じなかった。


「ふおう、君が…あの…バフォメットを倒すと…そういう…わけじゃの…偉い…のう…心意気やよし。わしの…最期の力を与えようとするかの…バフォメットが消えれば…わしも…必要なくなる…からの…」


 ここに来る意味がそんな大仰なことだとは知らずにいた僕は飛び上がった。


「いえ、ただ連れられて来ただけで、弱い僕なんかよりもっと適役が…」


 全身全霊を込めた否定を、新美はあっさり無視した。


「彼はゴートデビルハンターの見所があります。炎を操る人間の知恵、それは私達にはないですから…これで無益な対立の歴史に終止符が打てるでしょう。もう皆が安心して普通のヤギに戻れます」


「そうじゃろ、そうじゃろうて…」


 バフォメットを僕が倒すのは確定事案らしい。アイギパーンは毛で覆われた目から涙を流している。僕がどうにか逃げる方法を考えていると、アイギパーンが弱弱しく呼んだ。


「ここに…座るのだ…わしの力を君に…」


 僕はビクビクしながら側に寄った。ヤギの匂いと何かが混ざった匂いがする。死の間際の曽祖父の紙のようなカサカサの匂い。

 ぼんやりしていたら、アイギパーンは僕にがばりと覆いかぶさった。


(や、られる?)


 目をぎゅっと瞑って衝撃に耐えようと身体を低くしたが、一向に何も起こらない。恐る恐る目を開けると、干し草の上には凹みしかない。


「あれ…アイギパーン様…?」


 僕が振りむくと、新美が泣いていた。男泣きならぬヤギ男泣きだ。


「ぐおう、めぐおうっ…めぇーっ」


「ど、どうなったのですか?」


「安達君、アイギパーン様は君の肉体の一部になった。特別な力が備わったはずだから、もうバフォメットを倒せるはず…ぐおっ、ぐおうっ…」


 新美の「メメメメメメーーーーーーッ!」と泣く声が洞窟に響いた。



  





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