第2話 人間に戻れるらしい

 夜に僕は小屋を抜け出し、ログハウスの玄関ドアをピースの形のひづめでノックした。こうなったら直談判だ。


『コンコン』


「君か、どうぞぬ」


 偽の僕が家に招き入れた。心配していたが家の中は綺麗なままだ。


「ヴェェェエ」


「ボクと話がしたいぬか」


「メ゛」


 さすが元ヤギ、僕の言うことがわかるようだ。


「元に戻してあげたいが、今はそうもいかないぬ。緊急事態ぬ」


「メ?」


「新美さんは悪魔を退治する為に情報を集めてるぬ」


「…」


 頭がおっつかないのはヤギになっているからか、それとも荒唐無稽だからか。多分両方だろう。

 偽の僕はゆっくりソファーの座った。僕も負けずにテーブルに乗ってやろうと思ったが、蹄で汚すのも嫌だったので思いとどまった。身体はヤギでも心は人間なのだ。


「ボクたちは山羊人間だぬ。明治時代から役場公認で悪魔を見張っているぬ。ボクたちは人間やヤギと身体を交換できるからぬ。悪魔は人の心の闇を吸い取ってより強力になってるぬ。ボクたちが結束して対抗しないと大変なことぬ…」


 偽の僕の話の途中で急に玄関ドアが勢いよく開き、吹き込む風と共に闇と見間違うほど真っ黒のどでかい怪物が現れた。大きさが牧場のヤギの2倍はある。額に2本のねじれた太い角、黒目だけの瞳、長い黒いあごひげ、黒いどでかいひづめ

 見るからに邪悪だ。


(まさかの本物…?)


 僕は去勢されたヤギにもかかわらずアレが縮みあがった。


「め、メー」


 僕が普通のヤギの振りをして部屋の隅にのくと、黒い悪魔が偽の僕に向かって突進した。


(ぎゃー、僕が殺される!自分が殺されるとこなんて見たくないよー)


 僕は驚きのあまり貯金箱の口のような形の黒目をぷるぷる震わせて身体をくるりと反転させた。

 なぜヤギの黒目は横向きなのかというと、草食動物は野生において身を守るためにいち早く肉食動物を見つけて逃げる体に進化したからだ。黒目は正確には瞳孔というが、草食動物の瞳孔は横長になっていることで目を動かさずに見える範囲が広くなっている。つまりはこのハイパーな目では僕が殺されるところが見えてしまうのだ。


「ブメ゛ェー!」


 気が付くと僕は人間になっていて、大きな黒ヤギの角が白い小さなヤギの身体を貫いていた。ヤギの悲鳴と血だまりが部屋に広がる。


(僕…人間に戻ってる!)


 僕は懐かしい自分の手のひらで自分の顔を触った。今まで一度も自分の顔の造形に満足したことはないが、今は親に感謝しかない。

 しかしピンチな状態は変わっていない。黒い悪魔はゆっくり僕のほうを振向きながら、ビクビクと痙攣している白ヤギを嫌そうに角から振り落とした。まるで雑巾のように。


(むうっ…!)


 めったに怒ることがない僕だが、一瞬でアドレナリンが全身を駆け巡った。恐怖で固まっていた身体が怒りでわななく。


「こんにゃろーっ、許せんっ!」 


 僕は素早く台所にある殺虫剤を手に取り、黒いヤギの顔に向けて噴射した。そして、目を潰されもだえ屋外へ逃げる悪魔を追いかけながら玄関に常備してあるライターを手にした。蚊取り線香を焚くために常備してあるのだ。

 右手に殺虫剤、左手にライターを持った僕はログハウスの外に出て闇に溶けようとする悪魔に声をかけた。


「おいっ!悪魔のくせに逃げるのか!!バーカっ!」


 黒ヤギがのっそり巨体をこちらに向けたその時、僕は殺虫剤を噴射中にライターで火をつけた。ちょっとした火炎放射器だ。


「メ゛ヴェエ゛ェェー-------------!!」


 悪魔は黒い炎にまかれながら灰と共に天に昇っていった。不思議なことに血も骨も何も残っていない。

 

(本当に悪魔、なのか…)




 ログハウスの中のヤギの死体とまき散らかされた体液や内臓はまがうことなく本物で、僕は朝方近くまで掃除をすることになった。


(こいつってば自分が死ぬとわかってて僕と身体を交換した。言葉は変だったけど…ぬ、ってなんだ?まあいいや、僕が仇をとってやったから安心して土に還れ、『ぬ』よ…)


 なんだか戦場で仲間を亡くしたような気持ちになり、僕は泣きながら牧場の海が見える丘に深い穴を掘って埋葬した。結局朝までかかった埋葬はやたら周りにヤギが集まってきて大変だった。


「おまえらも悲しいか…そうだよな、僕も悲しいよ」




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