第16話 『キスはまるでマシュマロのよう』

マシュマロのような感触が、唇を支配した。


溶けるような、そんな感触。


―――――私の初キッスだった。


しかしその感覚はほんの一瞬だった。


パッと唇同士が離れ、倉岡はいつものように私を冷ややかな目で私を見下ろした。


当の私は突然の出来事に脳が爆発し、時が止まったかのように硬直していた。


倉岡はそんな私を見て吹き出した。


「おいおい、頼むよ。まさかだったなんて言わないよな??」

「???????????」


私の脳は機能を停止していた。


倉岡の煽りもロクに対応できないどころか、会話の内容が頭に全く入ってこない。


倉岡は顔を赤らめ硬直したままの私が想像以上のリアクションだったのか、目をパチクリさせて私の目の前で「おーい」と言って手を振っていた。


キーンコーンカーンコーン・・・・・・


「ハッ?!ち、チャイム?!?!ハッ、アッ?!あ、じゅ、授業に行かなきゃ!!」


私はチャイムの音でやっと自我を取り戻した。


「大丈夫かよ」


私は本気で心配している様子の倉岡を横目に、バタバタとテーブルの上に散らかってた食器や荷物もまとめる。


「授業なんていいだろ。付き合って初日なんだから遊ぼーぜ」


倉岡はそう言って私の肩に触れた。

私はその手を振り払う。


「止めて!!!!あんたが私のこともてあそんでるの分かってるの!!!反応見て楽しまないでくれる?!??!」


倉岡は目を見開いてニカッと笑った。


「おおおっ!!!綾乃ちゃ〜ん、やっと身の程をわきまえてきたみたいだねぇ〜。その通り、俺はお前のこと好きじゃねぇよ。ただ条件で付き合っただけだよ。

でもな、俺は無責任じゃない。彼氏としてちゃんと彼女はエスコートするよ、たとえデブでブスの性悪女でもね」


倉岡はまたグッと顔を近付けてくる。


私はその顔をひっ叩こうとしたが、サッと避けられた。

さすがにこの間のビンタは効いたらしい。学習している。


倉岡はだるそうに椅子に座ると、私を見据えて続けた。


「ちなみに、付き合う期間は1週間ね」

「は?!なにそれ?!?!!!」


倉岡は首を振って深いため息をついた。


「あのね、俺だって仏じゃないの。好きでもねぇ奴とそんな何ヶ月も何年も付き合えるほど暇じゃない」

「―――――っっっっっ!!!!・・・・・・コイツッ!!!」


調子に乗ってやがる!!!

私は今にも倉岡の首を絞めたくなる衝動をぐっと堪え、バッグを背負った。


「分かったわ。ただ・・・・・・1週間はダメよ」


倉岡は首を傾げる。


「1ヶ月。それならいいわ」


私だって倉岡とはそんな長く付き合って居られないだろう。

なんたって性格が犬のフンみたいな男ではないか。

もし倉岡と結婚するような女が居たら心底同情する。


倉岡は顎に手を当て、ブツブツ何かを呟いて考え込んだ。


「・・・・・・・・・まぁ、コイツはセンスがあるし・・・・・・・・・・・・意見を・・・・・・・・・・・・うん、よし、よかろう。1ヶ月な」


倉岡は顔を上げると、ビシッとこちらを指さした。


「だが、それ以上もそれ以下も無しだ。1ヶ月。これを過ぎたら泣いても笑っても別れる。いいな」


私は強く頷くと、「じゃ、授業行くから」といって、その場を離れた。


倉岡が彼氏・・・・・・・・・・・・


はぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


何だか素直に喜べない。


思っていたのと違う。


キスだって、もっとちゃんとしたかったし・・・・・・・・・・・・・・・


唇を触る。


まだ、あのマシュマロのような感触が残っている。

思い出した自分の顔が紅潮しているのがわかる。


あーーーーっ・・・・・・・・・キス、初めてだったのに・・・・・・・・・・・・


嬉しい反面、心底残念だった。


夜景が見渡せる山頂。

高級なレストラン。

オシャレなホテル―――――


初キスってそーゆー所で奪われるもんじゃないの?!?!?!?


何よ!!食堂って!!!しかもその相手が倉岡って!!!!!!


私はガックリと肩を落とした。


はぁ・・・・・・・・・・・・気を取り直すのよ、綾乃。アイツ顔は悪くないんだから、顔は。そう顔は。


そう思いながらつかつかと歩いていると、後ろから何やら声がした。


「おーーーーーーーーい」


??????私か?????


「おーーーーーい、デブーーーーー」


頭の血管が切れた。


ぜっっっっっったい倉岡だ。


私は振り返らず、教室へと急ぐ。


しかしダッシュで掛けてきた倉岡に、腕を掴まれた。


「は???触んな。なんだよ犬のフン」


息を切らせた倉岡は肩で息をしながら「はぁ??」と眉間にシワを寄せた。


「なんだよイケメン優男彼氏に向かって『犬のフン』とは」

「『イケメン優男彼氏』は彼女のことを『デブ』とは呼びません!!!」

「おいおい、連絡先交換してなかったから走って来てやったんだぞ。ちったぁ感謝しろよ」

「お前みたいなやつと連絡先なんて交換したくねぇぇぇぇよ!!!」

「いーーーから貸せって」


倉岡はそう言って私の携帯を強引に奪った。


「ちょっと止めなさいよ!!!!」


倉岡は手馴れた様子でパッパッと携帯をいじる。


「デート場所は俺が決める。それから2人の間で話した内容や出来事は門外不出な。漏らしたら営業妨害で訴える」

「は??????」


連絡先の交換が終わった携帯を、私に差し出す。


「詳しいことはまた今度。さ、行った行った」


倉岡はそう言ってくるりと踵を返すと、あくびをしながら去っていく。


「ほんと何なのよアイツ・・・・・・ウザ・・・・・・・・・しかも何が門外不出なのよ・・・・・・・・・

秘密主義なのかしら・・・・・・・・・」


携帯を開くと、倉岡であろう人物のプロフィールがそこに表示されていた。


トイプードルが花まみれになって喜んでいる写真。

その下に『ショータ』とカタカナで名前があった。


倉岡って犬派なのね。


私は携帯を閉じて、教室へと歩を進めた。


はぁ、もう完璧に遅刻よ。ったく、アイツのせいで・・・・・・



それに私、猫派だし。



そう考えていた私のポケットで、携帯のバイブが静かに鳴った。

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