第7話 『倉岡の秘密その1』

いつもはのろのろと牛歩のような足取りの倉岡だが、この時ばかりは何故か速足だ。


私を置いていくほどのスピードで、倉岡の背中がぐんぐんと病棟の奥へと突き進んでいく。


ズカズカズカ――


「・・・・・・」

「・・・・・・・」


ズカズカズカズカズカ――


「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」


私は立ち止まる。


「ちょっと!」


私の呼びかけに、倉岡はピッと足を止めた。


「そんなに私と仕事したくないならさっき断れば良かったでしょ?!私だってあんたなんかと一緒に仕事したくないんだから」


倉岡は一つ大きな溜め息を吐いて顔だけをこちらに向けた。


「・・・・・人には知られたくない秘密の1つや2つ、あるんだよ」

「・・・・・は??」


倉岡はそれだけ言うと、また元のように速足で病棟を奥へと進んでいく。


「何よそれ、気になるじゃないの!」


変な言い方して!

中途半端な次回予告みたいな打ち明け方やめなさいよ!

何なのよ秘密の1つや2つって!!!!!!


「ちょっと待ちなさいって!!倉岡!!ねえ聞いてんの?!?!」

「・・・・・・・」


倉岡は私の呼びかけに答えなくなってしまった。

何て横着なの!!


「倉岡!!!!いい加減―――」


すると突然倉岡はくるりと振り返り、真顔でずんっと距離を縮めてきた。


「―――――!!!!!!!!??」


あの瞬間がフラッシュバックする。


また、これは壁に押し付けられ―――!!


ドンッ・・・・


壁まで追いやられた私の顔のすぐ目の前に、倉岡の顔が迫る。


心臓が大きな音を立てて脈打つ。


何なのよ・・・・・これ・・・・・何ドキドキしてんのよ私・・・・!!


目の前の倉岡の目は、いつもと変わらない。

冷ややかに目を細め、私の目を見てくる。


倉岡が薄い唇を開き、呟くように言葉を放つ。


「ここは病棟だぞ。少しは静かにしろ」


そう言うと、倉岡は私を開放しまた歩き出す。


自由の身になった私は、倉岡の背中に向かって何も言い返せない。

だって、まだ心臓が口から出てきそうなのだ。


私はその場で地団駄を踏む。


あんなイケメンずるい!!!!!!!!!!!

なんでよりによって倉岡がイケメンなのよ!!!!!!!!

ふっっっっっっざけんじゃないわよ!!!!!!!!!!!!

もっと素敵で私に優しくて、従順で素直でもさもさしてない男じゃないのよ!!!!!!!

何で倉岡なのよ!!!!!!!!!!!!!!


私は大きく深呼吸をする。


だめよ、綾乃。あんな奴にそそのかされちゃ。

あいつはキレ方がおかしいだけ。

そもそもキレて女の子を壁ドンするなんて、常人の成す技じゃないわ。

キチガイよ、キチガイ、落ち着いて。

ドキドキするなんてどうかしてる。


私は己のほっぺをパンッと叩いた。


「うっし!!!」


私は気を取り直して倉岡の後を追う。


まぁ、さっきのは正論ね。確かにここは病棟、そして私は仕事中よ。

私が少し立場をわきまえるべきだったわ。

仕事相手が倉岡だろうと違う仕事を任されようと、全て完璧にこなせるのが私。

もうミスなんかしないわ。


そう考えながら、私は倉岡に置いて行かれないようせかせかと足を動かす。


結構奥まで行くのね。

倉岡は相変わらずスピードを緩めず、私の前を進んでいく。


脇を流れていく病室の一室に目をやった。


見えたのは呼吸器。

その呼吸器の先には、白い布団に包まった動かない患者・・・・


そう、ここはもう重症患者の病棟なのだ。


となると、倉岡は一体どこを目指して進んでいるのだろうか。

奥の部屋から作業を始めるのだろうか・・・・


すると、やっと倉岡は左へ方向転換し、ある一室へと身を翻し入って行った。


私は思わず顔をしかめた。


??????????

なんでこんな変な位置の部屋に入るのかしら。

端っこの部屋という訳でもないし、何か特別な部屋って訳でもなさそうだけど・・・・


私は疑念を抱いたまま、そろりと倉岡の入って行った病棟に足を踏み入れた。


ピッ・・・・ピッ・・・・ピッ・・・・・・


部屋に響く無機質な機械音。


そこには、先ほどの患者と同じように、呼吸器に繋がれ、白い布団の中で眠るように横になった患者が居た。

そして倉岡は、その隣のパイプ椅子に腰かけていた。


はっはーーーん。

さては、誰も来なさそうな部屋を選んで仕事を少しサボろうという算段なのだな、倉岡。

私の前でそんな舐めた真似が出来ると思わないで頂戴!!!!!


「あんた、何仕事中に休憩してんのよ。天野さんに言っちゃう―――」


あれ・・・・???


私は言葉を噤んだ。


よく見ると、白い大きな布団から、患者の手が出ている。

その手を、倉岡が大切そうに両手で包んでいるのだ。


倉岡の顔を見た。


まるで患者と2人だけの世界にいるかのように、静かな空間に酔いしれていた。


え???なに?????


私の脳の処理が追いつかない。


え??????私たちって、そんなに患者に感情移入しなきゃならないの???え???あっ



・・・・・・・見つけてしまった―――


そういうことだったのか・・・・・


私は何を馬鹿なことを考えていたのだろう。

倉岡はサボりたくてここに来た訳じゃなかった。

ちゃんと、理由があったのだ。




ベッドの柵に掛けられた名札。その名札が全てを物語っていた。






―――――『倉岡 ひより』


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