二日目①


 何かが近づいてくる音で目が覚めた。


 パチッと目を開けると、黒咲が毛布を手に立っているのを確認した。僕が目を覚ますと思っていなかったのか、彼女は驚いた顔をしている。


「その毛布で何をするつもりだったんですか?」


「その、これは……」


 何か言いにくそうに口をモゴモゴとしていて、一向に話そうとしない。先に耐えきれなくなったのは僕だった。


「どうでもいいんで、さっさとアンタのスペースに帰ってくださいよ。昨日から何も食べてなくて腹が減ってるんだ。これ以上食欲を無くさないでくれる?」


 自分でも酷い言い草だと思っているが、どうせ彼女も毒舌を吐くんだ。なら僕だけが一方的に我慢する謂れはない。


 目には目を、毒舌には毒舌を。


「……すみませんでした」


 昨日のような口論の火蓋が切られると想像していたのだが、予想を裏切って彼女は大人しく引き下がっていった。その背中が少しもの寂しげに見えたのは、僕の気の所為なのだろうか?


 それより空調が効いている室内とはいえ、何も被っていない状態で寝ると意外に体が冷えた。今夜から何かで体を覆って寝よう。




 まぁ黒咲のことなんかどうでもいいとして、早く何かを食べよう。丸一日食べていないので、胃が飢餓状態にある。今なら大食いに出場できそうな気分だ。


 食欲に誘われるまま、唐揚げ弁当とクリームパスタ、そして牛丼を平らげた。用意されていた食料はとても美味で、次々に箸を動かしていた。


 ガッツリ食べたからか、少し体が重い。睡魔に誘われるが、眠りっぱなしというのは不健康すぎるので、朝のシャワーを浴びることにする。


 思えば昨日は黒咲と口喧嘩していたので、お風呂に入っていなかった。全く汗をかいていない体であるが、文化人として体を洗わない考えは無い。


 そうと決まれば早速着替えを持って風呂場へと向かい、軽く体を流す。朝のシャワーなど経験したことがなかったが、案外心地よいものだった。


「ふぅ……」


 風呂場から出ると、ベッドに腰掛け本を読んでいる黒咲が目に入った。


 彼女に触発されたわけではないが、ただ寝るだけの生活は逆に身体を壊しそうなので、これを機に全く知らない本や漫画に手を出してみるのも悪くない。


 ……だが一つ問題がある。その問題とは、書籍を取りに行くためには黒咲の領土に入らなければならないこと。


 昨日喧嘩したばかりであるし、今朝も一方的に罵ってしまった。話すどころか顔を合わせることすら気まずい。


 どのようにすれば彼女と話さずに漫画に手が届くか考えていると、こちらの視線に気がついたのか、黒咲は本から目を放して僕と目が合った。今更目線を外すのも気まずいので、本格的にどうしようか迷い始めた頃の出来事だった。


「……あの、私はこの小説が好きでして。多々良部さんも是非読んでみてください」


 そう言って読んでいた一冊の本を差し出してきた。これが完璧な善意のみで渡された物なら、素直に喜んでいただろう。


 しかし毒舌塗れで性格が悪い黒咲が、そのような優しさを見せるはずがない。なにか腹に一物を抱えていると考えるのが普通だ。勿論僕も例外でなかった。


「別にいいですよ。自分が読みたい本を読むんで」


 言い放った勢いのまま本棚に近づき、目に入った漫画と小説を二冊ずつ手に取り、そそくさと自陣へと帰った。


 ふと後ろを見ると、本を差し出したまま固まっている黒咲の姿が。五秒後には動き出したが、その顔は暗く、気の所為か目が潤んでいるように見えた。


 ……そのような光景を見させられると、流石に思うところがある。しかし頭を振り雑念を追い払って、自分が選んだ本を黙って読むことにした。




 数時間後、漫画二冊と小説一冊を読み終えた。今まで小説を読むことは殆どなかったが、なるほどどうして意外に面白いものであった。


 まだ一冊だけだが、たまたま手に取った医療系ミステリーの内容が僕の好みにマッチしていて、ページを捲る手が止まらなかった。


 記憶が正しければ、同じ作者が書いた本がまだ本棚に置かれていたはず。黒咲が風呂場に入っている間に、そっと取りに行こう。


 さて、時計を見上げると針は二時を示していた。普段であれば授業の疲れから空腹状態となっているはずなのだが、本を読むだけの時間は予想通りに腹があまり減らない。これなら夕食の時間まで何も食べなくても大丈夫だな。


 気晴らしにゲームでもしようと思い立ち、黒咲に申請してゲーム機本体とコントローラーを運ぶ。その時にも、黒咲は表情が暗かった。


 申し訳無さを頭から無くすように、ゲームにのめり込んだ。プレイするのは勿論ソロゲー。最新のオープンワールドゲームで、容量をかなり圧迫するが広がる世界は彩りに満ち、高度な物理エンジンをかけられている作品だ。


 ストーリーとしては王道の勇者系。囚われた姫を救出に向かう勇者が、城へ行く途中の先々でかけがえのない仲間と出会っていく物語だ。


 前々から気にはなっていたのだが、購入する機会に恵まれず暫く放置状態にあった。しかしこのような状況でプレイできるというのは、誘拐されたことを喜んでいいのか不安になる。


「……」


 そんなことを考えながらキャラメイクしていると、視線が向けられていることに気づく。一時中断し目線を上げると、黒咲が尋ねてきた。


「そのゲームが”そろげー”という物ですか?」


「そうだけど。今やってる最中だから話しかけないでもらえる?」


 目線を画面に戻し、キャラメイクの続きに移る。すると黒咲が「失礼します」と言って僕の陣地に入り、後ろで僕のプレイ画面を見始めた。


 これは無視できないので、再度中断し体ごと後ろに向ける。


「ねぇ、一体何がしたいの?」


「貴方がゲームをする様子を見ていたいだけです」


「はぁ?」


「いやっ、そのこれは誤解で……そ、そうです! そのゲームに興味が湧いたのでゲームを見たいんです!」


「……」


 訝しげな目を向けてみるが、黒咲は変わらず謎の笑顔を浮かべている。僕にはどうしようもなく、自分の意識から彼女を遠ざけることでなんとかその場は収めた。


 その後チュートリアルを終え、最初の中ボス戦の入り口までたどり着いた。僕は一人でゲームをし、黒咲は静かに見ているだけである。


 そして最初のボス戦が終わるまで、この謎の時間は続いた。



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