第31話 2004年 ~ヘヴィメタルを降らせたのは神ではない…… -5

 ラブホテルの一室。

 ベッドに横たわって楢崎の愛撫を受けながら、頭のなかではメタルが鳴っている。

 アルコールで朦朧とする意識のなかで、デスボイス・フロムザ・ロウスカイの曲が、構築されていく。キーはEで、初っ端から走りだす曲だ。

 ふ、と隣から人の息使いがなくなったのがわかり、目を開けると、楢崎が自分の鞄からコンドームを取りだしたところだった。

「あ、ダメ!」

 思わず、わたしは叫んでいた。なぜだか、今日はそういう気分だった。

 楢崎が手を止めて首をかしげている。

「だから――それ……なしでいいよ。今日は大丈夫だから」

「……本当に?」

「うん。大丈夫」

 そう。今なら――妊娠しても、全部市川の責任に出来るから――。

「しかし――」

 まだ戸惑っている楢崎に、しびれがきれたわたしはベッドから飛び起きて楢崎に抱きつき、そして体を入れ替えて彼をベッドに押し倒した。そしてその下半身に、自分から身を落としていく。


 楢崎が入ってくる。


 と、脳内で爆発が起こったような感覚と共に、サビのメロディが降りてきた。リフが浮かんでは消える。なんとかしてそのリフを自分のもとに手繰り寄せようと、必死で体を振り乱す。


 ぐるん、と視界が反転する。

 あっという間に、逆にベッドにあおむけにされた。

 目の前に、楢崎の顔があった。赤黒く、いつになく酔いが回っているように見える。

 ただひたすら踏み鳴らされるツインペダルと、音階を昇っていくベースラインが、鮮明に見えてきた。

 次々に現れる楽曲の欠片に手を伸ばして、そして自分のなかに取り入れていく。

 その行為の果てに、ほぼ曲は完成する。


 ――『デスボイス・フロムザ・ロウスカイ』


 動きを止めた楢崎の体温を感じながらも、わたしは一刻も早く〈キング・オブ・メタル〉でこの新曲を演奏したくてたまらない衝動に襲われていた。


 

   3


 ゴールデンウィークに一度小さなライブを行い、あとは毎週何回かスタジオにこもって新曲作りにいそしんでいた。


『デスボイス・フロムザ・ロウスカイ』は、順調に出来上がっていた。わたしの思惑通りの部分もあれば、どうにもうまくいかないパートもあった。それでもメンバーたちは驚くほどこちらの意図を理解してくれた。メタル愛好者同士の共感覚というやつなのだろう。


 高校時代のバンドメンバーだとこうはならなかっただろう。ゴールデンウィークに実家に帰ったときに久しぶりに会ったメンバーのことを思い返す。みな大学に入って少し垢抜けて、そして綺麗になっていた。

 だけど、話題が合わなかった。音楽のことならば、と思ってこちらが話を振っても、ただ話を合わせてくるだけでわたしにとっては全く面白味がなかった。そして決定的だったのは、みながこちらに対してなぜだかよそよそしい態度で接していたことだった。ときおり怯えたような目をこちらに向けてきて、こちらが目を合わせると、あわてて視線を逸らす、という状況だった。


 一刻も早くその場から離れたかったわたしは、実家で急用ができたということにして、その場を辞した。


 しかし、実家は実家で、意味も分からずに両親にぐだぐだと説教を受けることになり、閉口した。どうやらまだわたしがバンドをしていることに対して不満を持っているようだ。そして、最後にはやはり予想通り、就職の話になった。けっきょく、当初の予定よりも何日か早めて、わたしは実家を後にして自分のアパートに戻った。


 そこにはギターと、メタルCDと、ジャックダニエルが待っていた。

 まず何はともかく、グラスを用意してジャックダニエルを注ぐ。ストレートでそのまま飲み下す。そして、メタルCDを漁る。念のために押入れに隠しているけれど、けっきょく毎日のように出してはしまうということになってしまう。

 オーディオのスピーカーから流れてくるのは〈マーシフル・フェイト〉だ。デンマークのバンドで、キング・ダイアモンドはわたしの敬愛するボーカリストの一人だ。


 一人掛けのソファに腰掛け、なんとなくギターを手にした。そして、ジャックダニエルを注ぐとそれも飲み干した。その二杯目のアルコールでようやくわたしの脳は活性化し、ぐるぐると思考が回る。

 小型のマーシャルアンプにエフェクターが繋ぎっぱなしになっている。そこから伸びているシールドを、ギターのジャックに差し込む。体と腕を精いっぱい伸ばしてアンプのスイッチを入れ、エフェクターのフットスイッチを踏んだ。

 甲高いハウリングが部屋に満ちた瞬間、心のどこかに穴が開いた感覚があった。今まで滞っていたわだかまりとも呼べる黒い濁りが、抜けていくのが感じられる。


 キング・ダイアモンドの嬌声に合わせてザクザクとギターのリフを刻んでいると、その当時の、見たことすらない光景が脳裏に浮かんでくる。想像も伴って、余計に美化され理想的な形で再生されているのかもしれないけれど、わたしにとってはどちらでも同じだった。ただただ、崇高で美しい光景だ。ああ、わたしもその時のライブの場にいられたら――。


 目を閉じると、アルコールの力も手伝って体が宙に浮いているように感じられた。

心に羽が生えて空に舞い上がっていく感覚――。

わたしはどこにでも飛んで行ける。


 雲から吊り下げられた 

 ヘヴィメタル崇拝者の群れ

 重力に逆らい 

 分厚く垂れこめた雷雲に降り立つ

 見上げた地面には愚昧な民が

 エイトビートの錠剤を口に含んでいる

 地響きのように雷鳴のように 

 押し寄せてくるのはブラストビート


 長髪をなびかせた男の手には 

 ギターでもなく伝説のツルギ

 ブラストビートの箱舟に乗って 

 メタルの王を目指す反逆者

 やつはエリートだ 

 メタルエリートだけが持つ巨大なツルギ

 その柄も刃も重金属ヘヴィメタル 

 神の金属ヘヴィメタル――

  

 思考は、なにかのけたたましいアラーム音によって遮られた。

 しばらくはそのまま、ぼんやりとその音を発する筐体を眺めていただけだった。いったいなんの音だろう、という胡乱な考えに支配されたわたしは、それが携帯電話であるという事実に思い至ることができない。当然、電話に出る、というその初歩的なことすら思いつかなかった。


 けたたましい音が途切れ、背後の〈マーシフル・フェイト〉の荘厳なメロディが聞こえてきて初めて気づいて、もう一度携帯電話を拾い上げて着信を見る。

 相手は楢崎だった。

 改めてかけなおすと、楢崎はすぐに電話に出た。

 要件は電話では話しにくい、ちょうど今わたしの家の近くにいるから、もし在宅なら行ってもいいか、という内容だった。わたしはただ何度か頷きを返しただけで、電話を切った。そして、ギターを弾き、グラスに口をつけていると、玄関のチャイムが鳴った。

 このときのわたしは、このチャイムに「楢崎が来た」と認識することができなかった。電話の内容がわからなかったわけではないけれど、わたしの中ではそちらはそちらだった。両者の関係が、うまくつながっていなかった。

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