第27話 2004年 ~ヘヴィメタルを降らせたのは神ではない…… -1

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 三月十五日の『メタル・ボックス』でのライブは、結果的には大成功だった。正確には、大成功だった、らしい、としかわたしには言うことはできない。なにがなんだかわからないうちにステージに立ち、またたく間に演奏を終えて、ヘッドライナーのバンドが終了するまで終始、その余韻のなかでぼんやりと佇んでいただけだったのだ。


 主役のバンド主催の打ち上げに招待された〈キング・オブ・メタル〉は、当然四人全員で参加することになった。貸切りとなったその店には、出演者だけではなくその恋人や会場スタッフも同席しており、二十人近くの人たちが入り乱れることになった。


「このライブは、日本のメタル界に新たな一ページを刻むことになりましたね」

 珍しく興奮した様子で、市川がビールをあおりながら語っている。

 隅の四人席だ。わたしと市川が隣り合い、主役のバンドのギターの男と、その恋人が正面に座っている。


「まあ……どうなんでしょうね」

 そういいながら男の方にちらと目を向けると、一瞬だけ視線を絡めたそのギタリストは、曖昧な笑みを浮かべてすぐに市川の方を見た。

「俺たちにとっては反省点ばっかりだったけど、君たちのライブはよかったんじゃないか? なあシホ?」

 男は、隣にぴたりと寄りかかっている恋人へ目を向け、笑いかける。

 シホ、と呼ばれた女が微笑んだ瞬間、なぜだかわたしの胸のなかに黒いもやが広がっていくのがわかった。

 半年ほど前、一晩を共にした男だ。隣の女とその頃から付き合っていたのかどうかは定かではない。どのみちその場限りの関係だったのでどちらでもいいことなのだけれど。

「ところで、君たちは付き合っているのかい?」

 唐突に、男が訊いてきた。

「いえ」とこれは市川が先に答え、続けていった。

「彼女の恋人は今、海外ですから」

「ああ、彼氏はいたんだ」

 ぽつりと男がいうと、隣の女がその袖を引っ張りながら、

「なに残念そうにしてるのよ。狙っていたんじゃないでしょうね?」

 と口をとがらせる。当然冗談なのだろうが、わたしは内心でほくそ笑んでしまう。

 あなたの彼氏は、もうすでにいただきましたよ――。

 この場でそうぶちまけてしまえば、なにか面白いものが見られるのではないだろうか。ふとそうした衝動が湧き上がり、思わず口から飛び出しそうになったけれど、けっきょくはやめておいた。それを明かしても、自分を含めてこの場にいる誰も得をしないことにかろうじて気づくことができた。


 曖昧に笑って彼女の言葉から逃げようとする男に、わたしはいった。

「わたしの彼氏は大学の教員なので、今、学会でヨーロッパにいるんです」

「へえ、残念だね。今日見に来てもらえたらよかったのに」

 残念ではなさそうな社交辞令の返答に続けて

「ああでも、こんな音楽はあんまり好きじゃなかったりするかな?」

「いえ」わたしは即答する。

「彼氏は完全にヘヴィメタル愛好者です。むしろ、わたし以上かもしれません。もともと、このバンドのボーカルの田中レイ君とドラムの角泰斗君を紹介してくれたのも、彼ですから」

「ほおう、それはうらやましい」と男がいうと、

「はいはい、すいませんね」とまた隣の女が顔をそむけて、あからさまにすねたフリをしている。

 それにも軽い笑いで流した男は、

「じゃあ、ヨーロッパは別の意味でも楽しんでいるのかもしれない」

「別の意味?」と市川が口を挟む。

「そう。ヘヴィメタルが生まれた土地だからね。たとえ法律で禁止されているとはいえ、そんなことに関係なく、あのあたりの国にはメタルが溢れているからね」

「行ったことがあるんですか?」とのわたしの質問に、

「いや、ないが」と即答し、

「そうあってほしい、という俺の願望かな。……まあ、実際にはイギリスでは日本よりも規制が厳しいと聞くけどな」

「ブラックサバス、アイアンメイデン、ジューダスプリーストを生んできた国ですけど、逆にそうなんですね……」


 すでにかなりの数のビールジョッキを空けた市川が、ウイスキーに口をつけながらいう。すでに呂律が怪しくなっている。

「レッドツェッペリン、ディープパープル、レインボーもね」

「――あれ、ツェッペリンもメタルに入れますか?」

 市川が反応した。予想通りだ。

「まあ、俺の中ではメタルだな」

 男がそう返すと、明らかに嬉しそうな調子で、ああでもないこうでもない、と市川がくだを巻き始める。こうなると長い。ツェッペリンのジミーペイジは自分たちの音楽をメタルと呼ばれることを非常に嫌っていた話、そして、それぞれのバンドのルーツはブルースなのかクラシックなのか――。

 所詮は後の人間達が、勝手にメタルだのロックだの定義づけを行っているだけなのだ。意識的に自分たちはメタル者だというスタンスを全面に押し出しているバンドも存在するが、それすら、ある一部の人たちが定義づけた『メタルとはこうあるべき』という姿をなぞっているに過ぎない。メタルの原義など、存在しない。


「だから俺は〈カオス〉のライブで起こったヘヴィメタル症候群を、メタル一般に当てはめるのはナンセンスだと思うんだけどね」

 男の言葉が、耳に入ってきた。

 メタル愛好者同士で話をすると、けっきょくいつも、話題はそこに収束してしまう。細部は違っていたとしても、あの法律自体がナンセンスだ、という結論はいつも同じだ。

「じゃあいったいあれは、なんだったんでしょうね?」

「わからないけど……でも今音響関係を研究している研究室で、そのあたりの謎をひそかに解き明かそうとしている人がいるというのは聞いたことがあるけど……たしか、京津大学だったかな……」

「へえ、どうやって研究してるんでしょうね? 実際にメタルを鳴らしながら……おかしくなるかどうかを測っているってことですかね?」

 わたしがそういうと、男は少し困ったように固い笑みを浮かべ、

「いやいや、異なった周波数の規則正しい音を聞いてもらって、脳波に変化があるかどうかを見ている、とかだったと思うけど」

「テンポと周波数でしょうね」市川も口を挟む。

「僕もその話は聞いたことがありますけど、けっきょくまだ解明には至っていないんでしょうね。手っ取り早いのは〈カオス〉の楽曲と、実際の東欧で起こった『金属の雨』の音を比較して共通点を見つけることですよね」

「そうだね……だけど〈カオス〉のその日のライブ音源との比較をしないと意味がないだろうな」

「ですね……ライブで原曲と同じテンポ、音色で音を出しているとはまず考えられないですし」

「それに」と、市川がいう。

「そもそも『金属の雨』の音なんて、どこかに存在しているんですかね?」

「その当時の雨音を生録音したテープはある、と訊いたことがあるけどな……まあ、ただの噂かもしれんが」


 男は相変わらず何杯目かのビールを飲んでいた。カクテルにちびちびと口をつけている彼女に合わせて、ペースをおさえているのかもしれない。

 一方わたしは、すでに視界がぐらぐらと揺れる程度には酔っていたけれど、まだ意識は鮮明だった。目の前のストレートのウイスキーを一気に飲み干すと、一瞬にして喉の奥から焼けつくような感覚が昇ってきて、眩暈とともになぜだか楽しくなってくる。心のどこかで、ただの錯覚だと冷静に分析している自分もいたけれど、反比例して愉快さはおさえきれなくなってくる。市川が、またウイスキーを注いできた。それもすぐに半分ほど飲みほしてしまったわたしに、

「ちょっと飲み過ぎじゃないか? まあ君は強いから大丈夫だと思うけど……」

 と男がいってきた。おそらく本当に心配していってくれたのだろうけれど、このときわたしは、ただただ楽しいこと、愉快なことだけを求めていた。

 わたしは意図的に、にたり、とイヤラシイ笑みを浮かべて、

「あらあら、なんでわたしが強いってこと、知ってるんですかあ?」といった。

 隣の女の顔色が変わるのがわかり、楽しくて仕方がない。

 男はまた、愛想笑いなのかごまかし笑いなのかなんなのかわからない笑みを浮かべて、軽く受け流すと時計を見た。

「シホ、そろそろ帰るか?」

「……ええ、そうね」

 席を立って去っていくうしろ姿を見送り、わたしはウイスキーの残りを飲み干す。

「僕らも、どこかに行くか?」

 ぽつりといってくる市川に、

「――二人で?」といってみた。反応をうかがう。

「……いや」と一瞬戸惑うような様子をみせてから、市川は答えた。

「〈キング・オブ・メタル〉で、バンドだけの打ち上げをしよう」

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