第21話 2015年 ~裸の魂で感じてください…… -1

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「ラシルに出会って、わたしの世界は根本から覆ったんです」


 ライブへ向かう電車内で、榛原胡桃がそういった。

 大阪のミナミにあるライブハウス、という情報以外、今日行く場所のことはまだなにも訊いていないが、とりあえず胡桃についていくことにしていた。


「今日の『スティール・ボックス』も、ラシルから教えてもらいましたし」

「スティール……ボックス?」

 おれの頭のなかで、過去の記憶がつながってくる。

 どう考えても、あのライブハウスをまねているとしか考えられないネーミングだ。


「あ、すいません。会場のこと、いってませんでしたね」

 顔の前で手を合わせて『ほ』を発音するように口をすぼめる胡桃をよく観察してみても、わざとなのか、本当に忘れていたのか判然としない。それよりもそもそも、昨夜布団のなかにもぐりこんできたことについてどう考えているのか、気になったが訊けていない。


「『メタル・ボックス』」


 唐突に、胡桃の口からあのスタジオの名前が出てきた。

「ハルキさんはもちろん知ってますよね? 〈キング・オブ・メタル〉も出演した、あのメタルの聖域です」

「正確には、聖域『だった』場所だけどな」

 ちらとだけ胡桃に目を向けて、おれは唇の片隅だけをつりあげる。

「『スティール・ボックス』は」と、こちらの言葉には無頓着に、胡桃は続ける。

「その『メタル・ボックス』の再興を目指して作られたライブハウスなのです」

「へえ……でも、おれは聞いたことがないな」

「そうなんです」

 と、なにがそうなのかはわからないが、隣の席に座っている胡桃がこちらを向きなおり、まっすぐにこちらの目を見つめながら、

「今日がこけら落としなんです」

 フフフ、と口元に手を当てて笑い、ねえねえどう思いますか、とでもいうかのような、なにかを求める上目使いをおれに送ってくる。


「初日に立ち会えるなんて、光栄だよ」

 なぜか、体が震えてくる。

 覚えていないほど長い間、メタルには関わらないようにしていた。

 それなのに今、周囲に流されるに任せて再度バンドを組み、そしてメタルのライブに行く――。

 しかし、メタルを演奏することだけはできない。

 それが最後の一線だ。そこに理屈など、既にない。


「今日はラシルの知り合いの〈シャガールの残像〉というバンドが、ヘッドライナーを務める小さなイベントなんですが……ハルキさん、デスメタルはお好きですか?」

「いや、そんなには好きじゃないな。やっぱり正統派だね」

「そうですか……まあ、わたしに言わせると、〈シャガールの残像〉も、根本は正統派メタルだと思うんですけれどね。そして、デス声を、いわば個性にしているという」

 わからなくはない。

 しかし、デス系というと、どうしても〈カオス〉を思い出してしまう。かつてヘヴィメタル症候群を大量発生させた、あのイエテボリのライブを行ったバンドだ。

「それにしても〈シャガールの残像〉って」と、おれは気持ちを切り替えるべく、話題を変える。


「メタルバンドっぽくない名前だね」

「そうですか? なんでも、シャガールのような幻想的な絵を思い浮かべられる音楽、というのをコンセプトにしているらしいですが」

「メタルで?」

「はい。メタルで」

 それがなにか? とでもいうように、首をかしげる胡桃。

 メタルに関して『幻想』と訊くと、ヒーローが出てくるようなファンタジーや、ドラゴンが火を噴いているような姿を思い描いてしまう。おれのなかでは、少なくともシャガールのようなアーティステックな絵柄ではない。


 話をしているうちに、最寄駅に着いたらしく、胡桃が立ち上がった。

 おれもその背中を追う。

 うら寂しい地下鉄の駅から、どんどんとさらに寂れた路地へ向かう。みるみるうちに人が少なくなってくる。ここは本当に休日の大阪なのか、と首をかしげたくなるほど、周囲に華やかさは感じられない。

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