第17話 2001年 ~モラトリアムと呼ぶなら…… -3

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 それから数週間が経ったけれど、わたしはまだ悶々としたままなんとなく日々をすごしていた。毎週二回〈キング・オブ・メタル〉の練習でメタルに興じ、そして酒を飲んでいたが、あれ以来、わたしと楢崎のことが話題に上ることはなかった。

 バンドメンバーが半分は外部の人間とあって、軽音部の部室に行く機会はあまり多くなかったけれど、それでも大学の講義が一時間ぽっかり空いてしまったときなどにはときおり顔を出すようにしていた。


 その日わたしが部室に赴いたのも、たまたま午後の一コマが空きで、時間を持て余していたからだった。わたしが入ったとき、部室では、同期の女の子――以前、楢崎とのことで相談にのってもらった子が、後輩の女の子数人と雑談をしているところだった。


「おお、噂の張本人がきた」

 最初その子がわたしに向かっていっていることに、まったく気が付かなかった。良くも悪くも誰かに噂されることなど、自分には無縁のことだという意識があったからかもしれない。

「なんの話?」

 わたしがこういって首をかしげると、最初こそ、

「また、しらばっくれて」と笑っていた友人も、本当にわからないと伝えると、

「楢崎さんと、市川のことよ」

 やや呆れたような口調で、彼女はそういった。それまで周りで騒いでいた後輩たちは、気まずそうではあるが、それでも興味はあるといったような複雑な表情でこちらをちらちらとうかがっていた。


 楢崎と市川。

 その二人がいったいどういう関係があるのか、一瞬、予想がつかなかった。軽音部の遠い先輩と後輩、大学の同じ学部の先輩と後輩。しかし、そこに女であるわたしが絡んでくると、さすがのわたしも少し別のものも見えてくる。

 楢崎に告白された、わたし。

 そして、そのことを市川にも相談した、わたし――。


「楢崎さんに、直接いったらしいよ。もうあまり彼女に付きまとわないでくれ、ってね」

「――えっ? 市川が?」

 突然、心臓をわしづかみにされたような苦しさに襲われ、そのまま心の底の方に黒いなにかどろどろしたものがどこからか湧いてくる。重く、粘着質な、何ともいえない不安感が溜まってくる。

「あんた、本当に気がついていなかったの? 市川があんたのことを好きだなんて、もう公然の事実だと思ってたけど……」

「だって……そんなこといわれたことないし」

「そりゃあ、そうでしょうよ」

 はあ、と大きく息をついて、あきれ果てたように首をふる友人、と、その隣でくすくすと含み笑いをする後輩に向かって、妙に苛立ちが募り、

「だからって……なんの権利があって楢崎さんにそんなこと――」

 いい終わったときには、なぜか目の前の友人たちが口を開けたまま、固まっていた。よく見ると、その視線はわたしではなく、背後へと向いている。

 ゆっくりと、振り返った。


 そこには、市川がいた。


 いつからいたのかはわからない。おそらく、ついさっき部室に入ってきたところなのだろう。それでも、わたしの言葉の後半ぐらいは聞こえていたかもしれない。

 なにもいえずに市川の様子をただ見守っていた。そんなわたしのほうは見ずに、そこら辺に散乱するベースの機材らしきものをいくつか手に取って鞄にしまい、すぐに部室をあとにした。出ていく前に、お邪魔しました、と小声でいったような気がしたが、それもわたしの気のせいだったかもしれない。


「あーあ。ちゃんと、ケアしとかないと……バンドは今後もやっていくんでしょ?」

 そのとおりだった。

 こんなことで、〈キング・オブ・メタル〉にひびを入れるわけにはいかない。それこそ、メタルの神に怒られるぐらいではすまない。

 しかし、なにをどうしていいのか、まったくわからなかった。わからないまま、次のバンドの練習日を迎えた。ただ、市川は、何事もなかったかのようにふるまい、そしてわたしも同様にただギターを弾き、そして練習後の打ち上げにも参加した。わたしはいつもどおり新しく仕入れたメタル情報を披露し、そして逆にその他のメンバーからの情報を吸収し、自らの血肉に変えていく。

 その場では市川とも普通に会話もしたし目が合うこともあったけれど、とくに違和感は覚えなかった。ほっと胸をなでおろしたわたしは、心配するほどのことはなかったのではないか、と楽観的に考えていた。ひょっとすると、市川が自分に好意を持っていること自体がただの噂にすぎず、本人に訊いたら笑って終わるようなことなのかもしれない、とまで思えた。


 結局わたしは、その後もなにもしなかった。

 バンドにはなんの影響もなかったし、とくに市川からなにかをいわれることもなかった。ただ、以前はときどきキャンパス内で一緒に食事をしたりしたものだったが、その頃を境に市川と二人で行動することはなくなった。変化があったとすれば、そのぐらいだった。

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