第12話 2015年 ~ヘヴィメタルのためなら…… -12

 榛原家のリビングの白いテーブルには、すでに四人分の皿とグラス、そして、ウィスキーのボトルが準備されていた。テーブルの三方向に、座布団が用意されており、一方向だけは二人掛けのソファが置いてある。ソファから正面には薄型テレビが置かれているが、今は電源が入っていない。


 予想外なことに、料理が次々に運ばれてくる。から揚げやサラダ、中華風炒め物、焼きそばが出てくる。それに、枝豆とスナック菓子が盛られた皿が、テーブルに入りきらずに地面に置かれた。


「今日はこれを準備してたら、遅れちゃったんです」

 胡桃が肩をすくめる。

「いつもすまないねえ、クルミちゃん」

 いいながら、もうスナック菓子に手を伸ばして口に運ぶユグドラシルを横目に、

「じゃあ、音楽つけてくれる、胡桃――いつものやつね」

 と、瑠奈が促す。

 その言葉にはじかれたように、胡桃が立ち上がって、きょろきょろと視線を泳がせていると、すぐに要望を察したらしきユグドラシルが、傍らからリモコンを一つ手に取り、胡桃に手渡した。

 テレビの横に設置されているハードディスクタイプのデッキに向かって、胡桃がリモコンを操作する。ぶうん、という起動音が聞こえ、すぐに再生が始まる。


 その曲名は――。


「ヘリオン……エレクトリックアイ」

 おれは思わずつぶやいて、そして癖で左右を見まわし、ここが家の中であることを思い出した。


『ジューダスプリースト』という、一九六九年にイギリスで生まれたヘヴィメタルバンドだ。一九九五年の〈カオス〉のライブ後、世界的にヘヴィメタルが禁止されてから、その存在は完全に地に潜ってしまった。

 しかし、その子孫ともいわれるメタルバンドが脈々と生き続けているという話は、おれの大学当時から公然の事実として語られていた。


「この曲を知っている、ということは、先輩も『へヴィメタル』愛好者と考えていいんですね?」

 瑠奈の、いつも以上に固い声が、耳に入ってくる。

 前奏となるヘリオンが終わり、荒々しいギターリフが始まる。

 高揚する気分をなんとか抑えこんで、榛原瑠奈を振り返った。

 いつの間にか胡桃とユグドラシルも、覗きこむようにしてこちらを凝視してきていた。


 ボーカルが聞こえてきた。

 鋲の付いたレザージャケットを着込み、雄たけびを上げるロブ・ハルフォードの姿が、脳裏に蘇ってくる。サングラス姿のいかつい男がまたがるハーレーダビッドソンと、酒と、メタル。これほどの相性はない。


 おれは口を開いた。いつの間にかからからに乾いたのどからは、かすれた声しか出てこない。思えば、久しぶりの感覚だ。もちろん、今流されているこのCDは所有しているが、押しいれの段ボールの奥底に眠っている。


「へヴィメタルバンドをやりたい、と、そういいたいのか?」

「そうね」

 さらり、と、瑠奈がいった。

「やりたいというよりも、へヴィメタル以外あり得ないというほうが正しいかもしれないけど」

 ユグドラシルが、いった。

 胡桃が、なにかに気づいたように、部屋の壁に立てかけられているCDラックに歩いていき、一枚のCDを手に取り戻ってくる。

「これです」

 ジャケットを見た瞬間、今度は後頭部を殴られ、無理やり体を拘束されて闇の中へ引きずり込まれたような、そんな感覚に襲われた。


 一組のよく似た男女が同様の黒いギターを携えて背中合わせに立たずんでいる。振り返り浮かべる不敵な笑みも、肩まで伸びたシルバーに染められた髪も、二人とも全く同じ空気をまとっている。

 ジャケットの背景は黒。その中、ただ、酷似した二人だけが浮かび上がり、その隣に小さく『キング・オブ・メタル』というバンド名、そして同名のアルバムタイトルが踊っている。


「このアルバムの一曲目『シルバーメタル』という曲です。これを聞いたときの衝撃は、今でも忘れられません」

 胡桃がCDを胸に抱きながら、語る。

 どうして彼女がこのアルバムをもっているのか。

 思考回路をフル稼働してみても、なにも答えらしきものは見出されない。

 なぜ、ここに、この音源があるのか。

 インディーズですらないアマチュアバンドの、市販されてもいないCDだ。一部のメタルファンの間では話題になったものの、それっきり埋もれてしまったと思っていた。


「この前、この曲を弾いたとき、ハルキさん、反応しましたよね……というより――」

 ぶるぶると、自分の言葉を否定するように必死に首をふった胡桃が続ける。

「あのイントロのリフに合わせて、完璧にドラムのリズムを叩いていました。あれは知っていないとできません。……いえ、たとえ知っていたとしても、あそこまで完璧にはできません。たとえば……昔やったことがある、とか、そうでないと」


 目の上ぎりぎりで切りそろえられた黒髪が、蛍光灯の光を反射して艶を放っている。マスカラで整えられたまつ毛の一束ずつが見えるほど、胡桃はこちらに顔を寄せてきていた。

「知っているよ」

 おれは答える。

 このバンドで初めてスタジオに入った日に、胡桃が弾いていたフレーズはあれだったのだ。知っているはずだ。なぜなら――。


「だって、それは――おれの曲だから」


 淡々と言葉を吐き出すが、このことを話すのも、ずいぶんと久しぶりだ。

 見ると、今度は胡桃があっけにとられている。今までは平然と成り行きを見守っていたユグドラシルも、少し目を見開く仕草をしたのを、おれは見逃さなかった。

 瑠奈に目を向けると、一人だけせわしなくテーブルの準備を進めながらも、聞き耳を立てているのはわかった。

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