第8話 2015年 ~ヘヴィメタルのためなら…… -8

 けっきょく、連絡を取る取らないの話はそのままさらりと流してしまった。

 まあそこは適当にやるだろう。

 瑠奈は頭を切り替える。

 仕事以外の時間はただただ、ヘヴィメタルだ。


 つい先日、似非ヘヴィメタル愛好者であることが判明した男性社員からしつこく誘いのメールが来るが、全て無視して一直線に自宅へ向かう。

 部屋には胡桃が待っていてくれて、食事とそしてヘヴィメタルを用意していてくれているのだ。

 今日のメニューはゴーヤチャンプルにシーザーサラダ、そして作り置きで冷凍してあるコロッケだ。榛原家では、食事のときにはテレビを見ない。もっぱら音楽をかけることにしている。

 時々は、クラシックやジャズをかけるときもあるのだが、ほとんどはヘヴィメタルだ。ひたすらツインペダルを踏み続けるようなものよりも、哀愁のメロディに浸れるような古いヨーロッパのメタルが多い。


 ――が、今日胡桃がセットしているのは、日本のヘヴィメタル。それも一部のマニアしか知らないと思われる〈キング・オブ・メタル〉というバンドの唯一のアルバムだ。

 さすがに音質は昨今のJポップのようにクリアではないが、その独特の音色には瑠奈も胡桃も魅力を感じており、この家ではへヴィローテーションになっている。


 セーラー服姿のまま、コロッケを口いっぱいに頬張りながらサビのフレーズを口ずさむ胡桃に、行儀が悪いというささやかな注意をしながら、自分でも心の中ではそのメロディを歌っている。

 一番気に入っているのは『シルバーメタル』という曲だ。

 疾走感、哀愁、そして曲構成、どこをとっても非の打ちどころがない名曲だ。

 サビに突入すると、おもむろに右手に握った箸を高らかと掲げあげた胡桃が、

「ひるばー……めたーる」と、ぽろぽろと煎り卵のかけらを口からこぼしながら歌い上げる。こらこら、と口ではいさめながらも、内心は微笑ましい。自慢の妹だ。

 この〈キング・オブ・メタル〉のアルバムも、どこかから胡桃が手に入れてきたものだ。それもインターネット関連の知り合いだそうだ。


 一通り食事を終えたあと立ち上がった胡桃が、おもむろに自分の部屋に戻ってすぐに帰ってきた。いつも通り、白いアイバニーズのギターを携えている。リビングに置きっぱなしになっているアンプに接続し、控えめの音ではあるがエッジの効いたリフの刻みを鳴らし始める。


「シルバーメタル、もう一回かけていい?」

「ええ。好きにしなさい」

 ゴーヤチャンプルの最後の一口を食べ終えた瑠奈は、片づけを始める。

 荘厳なイントロから、はげしいギターリフが始まり、胡桃のギターがかぶさってくる。見ると、足を開いてスカートから太ももを丸出しにしながら、ただひたすらパワーコードを刻んでいる。


 どうもスカートが短くなってきているような気がするが、ひょっとするとまた背が伸びたからなのかもしれない。いずれにしても、ただ立っているだけでもスカートの裾が膝よりも少し上になってしまっているのは問題なのではないだろうか。

 当然、椅子に座ったらスカートの中が見えてしまうのだ。世間の若者たちはいったい何を考えているのだろうか、とずっと思っていたのだが、いつの間にか自分の妹もその仲間になっている。


「スカート短すぎるんじゃない?」

 一度思い切ってそう注意してみたことがあるが、

「いいの。別に」と即答された。

「いいことないでしょ」

 少しむきになってそういい返すと、ソファに寝そべりながらも少し体を起こして眠そうにこちらを見上げて、

「なによ。お姉ちゃんの足が短いから当てつけでそんなこというんでしょ?」

 歯に衣着せぬこの言い様に、腹が立つより先にショックを受けた。泣きそうになった。いつのまにそんな不良少女になってしまったのか、と絶望的な気持ちになり、それから三日間ほどは胡桃をまともに見られなかった。表面上は普通にふるまっていたつもりだったのだが、無意識に避けていたのだろう。胡桃の方から夜中部屋にやってきて、

「ゴメン、お姉ちゃん。いいすぎた。気にしてることをいっちゃって」

 しおらしく頭を下げてきたので、瑠奈の方もどこかすっとして、

「いいよ。別にそんなこと」と返し、この件は終了となる。

 あとからよくよく考えると「気にしてること」ってどういうことだ? 自分はそんなに足が短いのか? と若干割り切れない部分が浮上してきたが、それもすぐに忘れた。


 けっきょく、そんなことがあっても、胡桃のスカートの丈は変わらなかった。瑠奈の方も、もう見慣れた。そんなものか、と思うことにした。

 スカートが短くても、胡桃は胡桃だ。

 堂々と『シルバーメタル』を奏でる彼女は、神の音楽ヘヴィメタルを愛する一人の少女だ。それ以上でも以下でもない。

 そう思っていたのだが――。


「そういえば、ハルキさんって、彼女いるのかなあ?」


 唐突だった。一瞬、なにをいっているのかわからなかったが、なんとか意味を理解した瑠奈は答える。

「知らないよ。そんなこと。関係ないじゃない」

「え? だって、けっこうカッコいいじゃない、彼」

「ちょっと……なにいってるの、胡桃……だって、年齢だってだいぶ上だよ」

「関係ないじゃん」

 

 言葉に詰まる瑠奈とは対照的に、さらりとなめらかにそういい切った胡桃が、

「じゃあ、今度訊いてみよ」

「訊いてみよ……って、訊いてどうするのよ」

「えっ、そんなの決まってんじゃん」

 目を見開いて、不審げに首をかしげる胡桃に、

「だ、ダメに決まってるでしょ。仮にもお姉ちゃんの会社の人なんだから。そんな……」


 いったい、なにがどうダメなんだろう。

 いいながら、自分でもよくわからなくなっていると、ぷっと吹き出すように笑い出した胡桃が、

「冗談だよ。冗談。お姉ちゃん。わたしだってそこまで子どもじゃないから。わかってるよ。ちゃんとするから」

「え? あ、そう?」


 なにが冗談で、そして、ちゃんとする、って何を? とは思ったが、そのままにしておいた。これ以上この件で胡桃と話しているとどんどん姉としての威厳をなくしてしまう気がする。それによくよく考えてみると、水瀬春紀がこんな子どもを相手にするわけがないのだ。


 ――そう。

 なんといっても、彼はヘヴィメタル愛好者。神の音楽ヘヴィメタルはそう安売りはしない。それだけは間違いない。

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