第47話呪縛は解かれた

 俺の一撃は、喜悦の悪魔の体を大きく後ろに吹き飛ばした。追撃するために俺はそれを追って走り出す。


「ぐっ……人類ごときが舐めるなあああ!」


 渾身の一撃で吹き飛ばしてなお、悪魔の力は弱まっていなかった。翼をはためかせて威力を軽減。そのまま槍を投擲してきた。


「……ッ」


 小太刀を振り、飛んできた槍を上にそらす。再び加速して、俺は悪魔の懐に飛び込んだ。


 死ね悪魔。優香ちゃんのお仕置きのために! 


 二振りの小太刀が黒い体に迫る。一方は再び現れた槍に防がれ、もう一方は表層に傷をつけるに留まった。


「チッ……足りないか」


 悪魔が投擲する隙を与えない間合いを維持しながら、俺は敵が次にどう動くのか観察する。

 対する悪魔は、ひどく動揺しているようだった。


「……なぜですか。いくらあなたが強いとはいえ、ここまでではなかったはずです。大穴より選ばれた戦士たる私が傷をつけられるほどではなかった」

「なぜ、人間の強さが同じだと思っていた? 人間は成長する。そんなことも知らなかったの?」


 そう、俺はもはや今までの俺ではない。今までの価値のない俺ではなく、優香ちゃんのモノだ。

 そう思った途端、体に力が漲っているのが分かるのだ。


「ハッ! 成長! 成長と言いましたか! なんとくだらない戯言でしょうか!?」


 言葉と共に、悪魔の振るう槍が俺を襲う。切っ先は先ほどまでよりも鋭く、俺は回避に徹した。


「いいですか、思いあがった人類に一つ大事な事実を教えてあげましょう! ──この星はあなたがたを見限りました。大穴、そしてそこから生まれる『魔の者共』とはすなわち地球の自浄機構。星のガン細胞たるあなたがたを抹殺するために出来上がった天罰に他ならないのです!」


 悪魔の言うことは、大袈裟な与太話が好きな人間を中心に伝わっているこの説一致していた。

 人間のみを殺す『魔の者共』という存在。地球の都市部に突然空いた大穴。それは、この星そのものが人間を殺そうとしているのではないかと思わせた。


「でも、それだけなら人間に抵抗する力なんて与えられなかったはず。戦乙女の力についての説明ができていないその言葉は、あくまで一面を捉えているに過ぎない」


 振るわれる槍を弾きながら、俺は反論する。


 人類がただ虐殺されるだけだったのなら、たしかにこの星が俺たちを殺そうとしていると言えただろう。

 けれども、人類には希望が残されていた。戦乙女の力だけが、『魔の者共』に抵抗することができたのだ。


「ふん、たしかに戦乙女の出現は地球の別側面による救いだと言えましょう。人間の恐れを具現化した我々『魔の者共』と、あなたたち人間の希望を具現化した存在、『戦乙女』で力比べをさせることで、どちらに天秤が傾くのかを観察しているのでしょう」

「随分回りくどい方法を取るんだね」


 絶滅させたいのなら、手っ取り早く皆殺しにすればいいのに。


「ええ。私はただ、脆弱なあなたたちを蹂躙できればよかったのですがねっ!」


 言葉と共に突き出された槍を受け流しながら、小太刀を振るう。切っ先が真っ黒の体に薄い傷を作る。


「人間が間違っているだとかガンだとか、そんなのはお前に決めつけられる筋合いはない。ましてやこの星にすら、そんな裁きを下せる権利なんてない」

「ああ、本当に吐き気がするほどに傲慢ですね!」


 何度目かも分からない刺突を避けて、悪魔の体に肉薄する。


「一つ、言えることがある。お前は確かに強い。しかし、他人を傷つけることばかりに執着していて自分が傷つけられることを全く考慮していない奴は、弱い!」


 体の捻りを活かして、二連撃。悪魔の黒い体から赤い血が噴き出る。


「ッ……馬鹿な……」

「私のお仕置きのために、ここで滅びろおおおお!」


 続けて、首のあたりを狙って突きを放つ。これも命中するが、しかし致命傷を与えられたという実感はなかった。


「案外大したことないね、破滅級」


 確かに、動きは今まで見た敵の中で一番早い。攻撃の一つ一つが並の戦乙女なら一撃で倒されてしまいそうなほどだ。

 けれども、それ以上に俺の動きのキレが格段に上がっている。

 これは多分、俺の『特徴』がかつてないほどに効果を発揮しているからだろう。


『心身合一』の効果は、気分が昂れば昂るほどに身体能力が上がるもの。今までの俺は敵の攻撃を受けることで興奮を覚え、力を上昇させていた。

 けれども今は違う。今の俺は好きな人にお仕置きしてもらえるという悦びで戦っていた。

 体のうちから無限に興奮と力が湧いてくる。


 多分、敵に傷つけられる悦びと好きな人に傷つけてもらえるという悦びは、質的に全然違うものなのだろう。

 今は胸のうちからぼんやりとした熱のようなものが湧き上がってきて、体中に力を与えてくれている。


「おおおおお!」


 連撃を繰り出す。悪魔は俺の動きに全くついていけていないようだった。黒い体に次々と赤い線が走る。


「人類如きが……思いあがるなあああああ!」


 悪魔の動きが変わる。俺の攻撃を避けずに、強引に接近。至近距離から槍をまるでハンマーのように振り下ろしてきた。


「……ッ」


 頭を上から殴打されて、わずかに視界が揺らぐ。血が流れてきて、額を濡らした。


「この程度の痛み……優香ちゃんのくれるだろう喜びに比べればなんでもない!」

「が、あああああ!」


 切り返す。今度の傷は深い。

 悪魔の苦しみ方が明らかに変わった。傷口を抑えながら後ろに下がっていく。それを追うと、次々と槍を投げられた。

 俺はそれを、一つ一つ弾いていく。


「クソッ、クソッ! なぜだ、私は地球の代行者、最も強い生物だぞ……!」


 悪魔が翼をはためかせる。

 飛んで逃げられるとまずい、と直感した俺は足に力を籠めて跳躍する。浮き上がり始めた悪魔の元へと飛ぶと、翼の付け根を切り裂いた。


「あ、ああああああああ!」


 翼を失った悪魔が墜落する。ズン、という重い音と土埃。

 俺はそれと共に落ちていくと、重力の力を借りて刀を背中に突きたてた。


「ゴッ……」


 体の中心のあたりを貫く刃。生々しい肉の感覚に、自分が悪魔を追い詰めているということを実感する。


「真央先輩を殺したのは自分勝手な行動をした私だ。でも、その死にかかわったお前に当然恨みはある──ここで死ね、喜悦の悪魔。もう二度と人間を弄ぶな」

「がっ……ああああ……」


 悪魔の体から力が抜けていくのが分かる。けれども、足りない。最後の一押しが足りない。


 悪魔の弱点とはなんだ。契約か? 悪魔祓いか? 


 そう思考を巡らせていると、遠くから声がした。


「──燐火先輩!」

「優香ちゃん!」


 わずかに声が弾んでしまうのが分かる。


「無事ですか……ってもう倒してる!?」


 悪魔に馬乗りになって刀を突きたてている俺を見て、優香ちゃんは驚いた声を上げた。


「いや、それがコイツしぶとくてさ……優香ちゃん、悪魔祓いの魔法とかないかな?」

「あ、悪魔祓いですか? うーん……」


 考える優香ちゃんも可愛い、と彼女を見つめると、俺の下で悪魔が動いた。


「──死ね!」


 どこにそんな力が残っていたのか、悪魔は手元に槍を出現させると、優香ちゃんに投げようとした。

 しかし俺は、それが投擲される前に悪魔の残った片腕を斬り飛ばした。


「っ……あああああ!」


 ついに両方の腕を失った悪魔が悲鳴を上げる。

 やや遅れて、俺の中には激しい怒りが湧き上がってきた。


「──ふざけるな! 私から二度も大切な人を奪う気か!? ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!」


 何度も何度も、倒れ込んだ悪魔の背中に小太刀を突き刺す。こんな感情、他者に向けるのは初めてだ。

 女になって以来、何かあってもどこか他人事のように感じていた。だから、他者への怒りはあまり感じたことのないものだった。あるとすれば、自分への怒りだけ。


 けれども、優香ちゃんが傷つけられそうになって、俺は本気で怒っていた。


「燐火先輩……」

「っ……フーッ」


 乱れた息を整える。悪魔の背中はすでにズタズタだった。


「優香ちゃん、トドメをお願いできそう?」

「は、はい。やってみます」


 優香ちゃんが杖を前に出して、詠唱を始めた。


「『神聖なる光よ、この世の穢れを浄化せよ』」


 光が溢れ出し、悪魔の身を包んだ。光は柱になり、天へと昇っていく。


「──があああああああああ!」


 俺に斬られた時とは違う苦しみ方だった。存在そのものが揺らいでいるような声の震え。

 悪魔の体は、外側から少しずつ消えて行っているようだった。消えた部分は光と共に天へと昇っていっているようだった。


「っ……」


 巨大な光の柱を維持している優香ちゃんが少し苦しそうな声を出した。

 俺はせめて彼女の力になりたいと思い、その肩にそっと手を添えた。

 優香ちゃんは一瞬背後の俺を見ると、力強く頷いた。


「はああああああ!」


 光の奔流がさらに勢いを増す。悪魔の苦しみの声がさらに大きくなった。


「クソ……劣等種どもが……ふざけるな! ああああああ!」


 やがて、悪魔の体はほとんどすべてが空へと昇って行った。

 最後の残ったのは、顔だけだ。激しい怒りを灯した目を見つめる。


「──貴様ら傲慢な人間の未来に呪いあれ」


 最期まで、悪魔は俺たち人間のことを憎んでいるようだった。

 言葉を紡ぐ口すら消え失せ、喜悦の悪魔は完全にこの世から消え失せた。


「……真央先輩、仇を取れました。遅れてすいません」


 悪魔が消えていった空に向けて、語り掛ける。

 すぐに夜空から目を逸らすと、俺は優香ちゃんに話しかけた。


「じゃあ優香ちゃん、帰ろう」


 胸のうちにあるのは、深い充足感。

 俺は、ようやく真央先輩を死なせてしまった呪縛を解けた気がした。

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