第44話一夜明けて

 既に夜をも通り過ぎて朝日がわずかに登りつつあった。普段なら、そろそろ早起きの人間が起きてくるような時間帯だろうか。

 しかし淵上高校には、既に動き回る人影があった。


 明日の夜の破滅級との戦いに備え、早くに起きて準備を整えている人員だ。特に多いのは、戦乙女ではない、大人の職員だ。

 外部との連携を取り、戦乙女の増援を呼べないか連絡を取るもの。それから、近隣に住む住民に警告を伝える手筈を整えるもの。


 それとは別に、黒崎夏美は朝早くから起きて対策を練っていた。廊下を足早に歩く彼女の表情は引き締まっている。

 そんな彼女の前で、保健室のドアが開き、天塚燐火が出てきた。


「おお、燐火もう体は大丈夫なのか? ……燐火?」


 昨晩の奇跡の復活から回復したらしい燐火を労うよう声をかけるが、彼女の様子は何かおかしかった。頬が赤くて、心ここにあらずといった様子だ。

 その後ろから、優香の姿。彼女もまた、様子がおかしい。頬を赤らめ、燐火の背中をじっと見つめている。


「……ああ夏美。おはよう」


 燐火の目がようやく夏美を捉え、挨拶をする。


「早いね。大丈夫? ちゃんと休めてる?」

「いや、むしろ私はお前の方が心配だぞ。ボーっとしていたようだが、夜に戦えるのか?」


 夏美の指摘に、燐火は少し動揺を見せた。


「い、いや、別にそんなに体調的には問題ないよ。しっかり眠れた。むしろ調子が良いくらいだ。うん」

「……どうした燐火。なんか変だぞ。たしかに調子が悪いって感じはしないが」


 挙動不審な燐火に代わって夏美に話しかけたのは、後ろに控えていた優香だった。控え目な笑みを見せながら、前に出てくる。


「私の目から見ても、燐火先輩はもう十分に戦えると思います。蘇生魔法は無事に作用していて、体に不自然な点はありませんでした」

「そうか。……ちなみに聞くが、あれは、人体蘇生の奇跡は、もう一度起こせるものなのか?」


 夏美の問いかけに、優香は少しだけ黙り込んで考え、やがて答えを出した。


「……かなり難しいですね。まず、遺体の損壊が激しかったり腐敗が進んでいると、正しく作用するのが難しいです。今回はすぐに死後すぐに治癒魔法をかけたので、条件が良かったです。蘇生魔法が難しい要因はもう一つあります。蘇生魔法の発動には私の『特徴』の発動が必須ですが、あれほどの出力を出すのはかなり難しいです」

「光井の『特徴』と言うと……『想い束ねる祈り人』だったか」


 夏美が夜に聞いた名前を出すと、優香は頷いた。


「はい。『特徴』によって私の治癒魔法はみんなの想い、祈りを受け取れば受け取るほどに効果を増します。蘇生魔法は、あくまで治癒魔法の延長線上、その頂点に存在するものです。だから、発動するのに莫大な祈り、言い換えれば魔力が必要になります。つまり、蘇生される人に向けられる正の感情が必要なんです」

「……たしかに、あの夜空に浮かぶ祈りの光は、凄まじいエネルギーだったな。燐火にも見せてやりたかったぞ」

「……私にそんな祈りが集まるの?」


 懐疑的な目をする燐火に、優香は呆れたような顔を向けた。


「燐火先輩があそこまで慕われているから、蘇生魔法は成功したんですよ?」

「でも、みんな私を怖がっていると思っていた」


 燐火の主観では、同級生も下級生も話しかけても堅い口調で返事するばかりだったので、普段の戦いぶりからドン引きされているものだと思ったのだ。


「そういう感情もありますけど……でも、それだけじゃなかったって話です」

「燐火。怖がられているとお前は言うが、畏怖という言葉もあるぞ。怖がっているということは、そのまま嫌っていることを意味するわけじゃない。畏れ多いだとか、憧憬だとか、そういう感情がお前に向けられていたんだ。淵上高校のエース様は、お前が思っていたよりもずっと人気者だったってことだ」


 冗談めかした夏美の物言いに、燐火は無表情で物思いにふけった。


 今までの燐火なら、有り得ないと一蹴していたことだろう。

 しかし優香の灼熱の如き感情の籠った瞳に貫かれ、口付けで激しい想いを告げられて、彼女も中にヘドロのように溜まっていた自己嫌悪は、わずかな変化が生じていた。

 優香のモノとしての自分ならば、少しくらい肯定してもいいかもしれない。それは相変わらず歪んだ価値観だったが、しかし元々歪んでいた彼女にとっては進歩と言って良いものだった。


 あるいは依存と言えるのかもしれない。生まれて初めて、すべてをさらけ出し、それでもなお自分を受け入れると言ってくれた優香に全身を預けるという気持ち。

 あるいは見栄か。自分を慕ってくれる優香の前だけでは、自分は自分を正さなければならないという意地。それこそが優香のお姉さまたる彼女を突き動かす新しいものなのかもしれない。

 あるいは執着。自分にとって最も大事な優香を失いたくない、離れたくないという気持ち。そして、優香のもたらすよろこびを残さず感じたいという情動こそが、彼女の新しい生きる意味となり得るものになっていた。


 総じていえば、それは愛だったのかもしれない。



 黙り込んでしまった燐火を置いて、優香と夏美は会話を再開していた。


「とにかく、燐火先輩は最強の戦乙女として名高いので、祈りが集まりやすかったです。他の人でも同じようにいくかと言われたら、かなり厳しいでしょう」

「そうか……たとえ燐火が復活しても厳しい戦いになるだろうから、蘇生魔法が使えれば心強かったんだがな」


 優香の死者蘇生の魔法は、一夜の奇跡とも言えよう。優香の破格の治癒魔法と『特徴』が嚙み合って実現したもの。仲間の命を預かる夏美としては、喉から手が出るほどに欲しい奇跡だった。


「死んだ人はもう蘇らせることはできませんが、生きた人をもう一度立ち上がらせることならできるかもしれません」

「……光井?」


 優香が微笑を浮かべる。そのまま優香は夏美にある提案を突き付けた。



 ◇ 


 時は遡り、破滅級との戦いの直前で人気のなくなった淵上高校での出来事。


 優香はエルナの閉じ込められている部屋を訪れていた。

 破滅級との戦いの直前に、優香はエルナ・フェッセルを脱走させて戦ってもらおうという算段を立てていた。


 バレれば怒られるでは済まない蛮行は、優香にとってエルナの傷害事件が全く納得いかないものだったからだ。

 エルナは無罪に違いないと信じて、優香はエルナの元を訪れた。


 その会話を、優香はよく覚えている。


「エルナさん。私は、あなたを信じています。今ならここで、あなたを解放することができます。これからの戦いでエルナさんが戦果を挙げれば、きっとあなたを責める人なんて誰もいないでしょう。それでも尚、ここに留まるといいますか?」


 優香は、黒崎夏美の判断に納得できていなかった。エルナを解放せず、信頼できる仲間たちで戦う。それは素晴らしいことだが、同時に優香はリスクを感じていた。

 破滅級がかつての燐火ですら敵わなかった強敵だというのなら、戦力は一人でも多いほうがいい。特にエルナほどの実力者ならなおさらだ。


「……ああ。私がいたところで、何になるというんだ。リンカもいるんだろ」


 エルナの焦燥は、優香の想像以上だった。自信に溢れていた目は力なく伏せられ、体から活力を感じない。


「……エルナさんの頑張りを裏切ってしまった淵上高校に不信感を覚えるのは分かります。けれど、今ここで立ち上がってみんなを助けられたら、エルナさんへの信頼も帰ってくるとは思いませんか?」

「違うんだ……私はもう頑張れない。リンカすら私を否定するのなら、もう私は……」

「エルナさん……」


 エルナの憔悴は、優香が想像していた以上だった。普段自信に溢れている彼女なら、簡単に立ち直ってしまうだろうと想像していたのだ。しかし違った。


 エルナの溢れる自信は、己の強さへの信頼からきているものだった。ドイツにおいて敵なしの戦乙女だったエルナ。実力と名声が上がるにつれて、エルナのプライドは形成されていった。もともと他人に蔑まれることが嫌でたまらなかったエルナにとって、他人を見下すのは麻薬のような快楽だった。


 その自信が、一度燐火との決闘で打ち砕かれた。

 それでもエルナは挫けなかった。燐火のようになろうと、決意したのだ。

 しかしながら、努力をしても結局あの事件で燐火に否定されるという結果になった。

 燐火の『失望した』という言葉。それはエルナに立ち直ることすら難しい状態に貶めた。

 こんな自分が頑張っても無駄だったのではないか。ここに一人で閉じ込められているうち、そんな無力感が、彼女を包み込んでしまった。



「もう時間がないので、ここで決断を迫ることはしません。きっと、今のエルナさんに私から何を言っても無駄でしょう」


 あまり遅いと怪しまれる。

 優香は、ここでエルナと徹底的に対話したい気持ちを抑えて、最小限の言葉だけを残した。


「でも、これだけは覚えていてください。──あなたの強さを、私は信じています」

「私の、強さ……?」


 エルナが何事か考えだす。優香はそれを見届けると、その場を後にした。



 ◇



 あれから一夜が明けて、優香は再びエルナのもとを訪れていた。今度の侵入は、黒崎夏美の許可済み。堂々とした足取りで、優香はエルナに近づいて行った。


「エルナさん。私の言ったこと、考えてくださいましたか?」


 問いを投げ掛けながらも、優香は既にその答えを確信していた。

 エルナの目が、元に戻っている。いっそ不遜なまでにギラギラ輝く瞳が全てを物語っていた。


「一晩、考えたんだ。ここに来るまでのこと。ここに来たあとのこと。……私の持つ、最も大事なものについて。それは結局のところ変わっていなくて、私の胸の中に変わらず存在していた」


 言葉に確かな自信が戻っている。己の原点に立ち返った彼女は、もう過去に囚われることはなかった。


「──私は、もう弱い私は嫌だ」

「それなら……!」

「ああ、ユウカの頼みなら、私はたとえこの学校のすべての戦乙女を敵に回してでもお前の敵を打ち倒してみせよう」


 エルナの目はあまりにも真剣で、優香も気圧されてしまうほどだった。

 だからこそ、優香は次の言葉を発するのを少し躊躇った。


「あ、あの……黒崎先輩の説得はもう済んでいるのでみんなを敵に回す必要はないです」

「え……あっ」


 気まずい。二人の思いが重なった瞬間だった。

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