第31話需要と供給

 最初に放たれた弾丸を辛うじて躱した燐火は、自分の心臓が激しく鼓動していることに気づいた。


 マゾ豚って……マゾ豚って呼んでもらえた! うわあああ、どうしよう。ありがとう、と土下座すればいいのか!? それともブヒッて鳴けばいいのか!? 



 頭の中は暴走状態だったが、体は冷静な行動を取り始める。それは、数多の修羅場を乗り越えた燐火だからこそできたことだった。

 相手は銃器。接近しなければ勝ち目はない。身を低くし前進する燐火に、エルナは引き金を連続で引く。


 しかし燐火は、目にも止まらぬ速さで両手を振るうと迫り来る銃弾を全て打ち落としてしまった。


「おおお!」


 ギャラリーから歓声が上がる。銃弾を剣で撃ち落とすなんて芸当、普通の戦乙女には無理だ。せいぜいが身を翻し回避する程度だろう。


「チッ……マゾ豚のくせによくやるじゃないか」


 燐火が再び目を輝かせたことに、エルナは全く気付いていなかった。


 相手のことを罵倒するのは、エルナが戦う時の癖のようなものだった。

 エルナの『特徴』である『嗜虐の獣』は、エルナの嗜虐心が昂れば昂るほどに力が強まる。これは、エルナ生来のサディスティックな気質に極めて合致していた。

 相手が『魔の者共』であろうと戦乙女であろうと、エルナが傷つけることが好きなことに変わりはない。


 ──そういう関わり方以外、エルナは知らないのだから。


 弾を撃ち終えたエルナが、右手の拳銃のマガジンを交換する。マガジンは、エルナの手の中にどこからともなく現れていた。桜ヶ丘真央の尽きない矢に似た現象だ。


 空いている左手の拳銃は、変わらず燐火に攻撃を加えていた。隙を見せない構えに、燐火は接近するタイミングを見失っていた。


「防いでばっかじゃねえか! そんなに防御が好きか!? まさか、本当にマゾなのか!?」


 まったくもってその通りだった。しかし、ギャラリーがそのことに気づいた様子はない。燐火の目はキラキラと輝いていたが、ハイレベルな激しい攻防に目を奪われた戦乙女たちは、それどころではなかった。


 金属音と発砲音が重なり合う。エルナは絶え間なく引き金を引き続けていたが、一度として燐火の体を捉えることができなかった。銃器と刀という本来戦いにもならないはずの二つの武器は、この場において拮抗状態を演出していた。


 しかし、弾丸を弾き続けていると燐火はある異変に気づいた。


 弾が、さっきより速くなっている……? 


 銃弾の速度が変わるなど、普通の銃ならあり得ない現象だった。しかし、戦乙女の武器なら十分にあり得る。

 優香の魔法の飛び出す杖のように、戦乙女の武器は現代科学でも説明できない現象を引き起こす。


 燐火の感覚に狂いはなかった。エルナの気持ちが昂れば昂るほどに、弾丸の速度は上がり続けていた。エルナが嗜虐的な笑みを深める。彼女のサディスティックな欲望が加速していく。


 やがてそれは、燐火の対応力を超えはじめた。


「クッ……」


 燐火の肩口から血が噴き出した。ギャラリーからは、悲鳴とも歓声ともつかぬ声が上がる。


 そしてエルナは、目の前の女を傷つけられたことに誰よりも興奮していた。

 ああ、あの強そうな雰囲気を纏った女が、自分の弾丸に苦痛の表情を浮かべている! なんという征服感! なんという幸福か! エルナはこの瞬間、世界に生まれたことを感謝していた。


 一方の燐火もまた、激しく興奮していた。

 ああ、目の前の女が、自分の傷つく様に激しく昂っている。野獣の如く目を輝かせ、息を荒げ、豪雨の如く弾丸をばら撒いている。

 燐火はこの瞬間、ここで死んでもいいかもしれないと思っていた。それほどに、彼女は今幸せだった。


 鉛玉が飛ぶ。燐火の小太刀がそれを弾く。重苦しい発砲音と、甲高い金属音が混ざり合う。繰り広げられる攻防があまりにも早くて、ギャラリーは目で追うことで精一杯だった。

 燐火は持てる力全てを使って刀を振るっていた。しかし、一つ、二つ、と防御を掻い潜る弾があった。それは燐火の頬を掠め、太ももを抉り、脇腹を貫通した。


「ハッハッハハハハハハ! まだまだ! 簡単に死なせてなどやらないぞ!」

「……ッ」


 燐火の吐く息が乱れる。四肢を穿った弾丸の痕から、血が噴き出る。少しずつ、彼女の体を穿つ鉛玉は増えていた。四つの傷が、八つに。十六に。弾丸の加速に、燐火の動きが追いつけなくなりつつあった。


 燐火の『心身合一』は、正しく効果を発揮していた。今の燐火は、普通に『魔の者共』と戦っている時よりも興奮している。そのため普段よりも身体能力が高くなっているはずだった。しかし、エルナの『嗜虐の獣』は、それ以上の効果を発揮していた。


 エルナにとって最も傷つけたい相手とは、自分が負けることなど想像もしていなそうな傲慢な奴だ。

 弱者をいたぶるよりも強者を上から征服することが好みの彼女にとって、燐火は理想の相手だった。


 引き金を引きながら、エルナは燐火についての情報を集めていた時のことを思い出していた。突然現れた転校生に困惑しながらも、彼女たちが教えてくれたのだ。


「天塚先輩は、皆の憧れです!」

「『血みどろ一等星ブラッディエース』? ああ、怖い人だね。……でも、戦場では一番頼りになる、かな。だって、いつも先頭に立っているからね」 


 ──なんて、妬ましい。強くて、それでいて認めらている。まるで、自分が欲しかったもの全部持ってるみたいじゃないか。

 自分は、強さを得れば得るほど人が離れていったというのに。


「はじけろおおおおお!」


 鉛玉が、ついに燐火の体の芯を捉える。腹部の衝撃に燐火がうめき、動きを止める。そこを狙い打った弾は、燐火の頭を掠めて彼女の脳を揺らした。


「かっ……」


 鮮血で顔を濡らした燐火がたたらを踏む。好機と見たエルナは、己の有利な距離を捨てた。一瞬で肉薄すると、隙だらけの燐火の前でくるりと回る。見事な金髪がふわりと舞ったかと思うと、強烈な回し蹴りを燐火の側頭部に叩き込んだ。


「あああっ!」


 ごつ、という痛々しい音。あまりに強烈な一撃に、一部のギャラリーは燐火の身を心配した。また一部の戦乙女は、「それでも、あの『血みどろ一等星ブラッディエース』なら」と彼女が再び立ち上がることを期待した。


 そして燐火本人は、ぐわんぐわんと頭が揺れる気持ちの悪い感覚に、激しい興奮を覚えていた。


 すごい……! 戦乙女の本気で蹴られたのは初めてだ……! 


 がんがんと痛みを訴えかける頭はもちろんのこと、何よりも燐火が気に入ったのは、エルナの獣のような形相だった。まるで、親の仇でも殺すかのような態度は、燐火を徹底的に痛めつけてやろうという意思を感じた。


 バランスを崩し、地面を這いつくばり、感じた痛みと蔑みの目を存分に堪能する。チカチカする視界の端に、ゆっくりと近づいてくるエルナの姿を確認した燐火は、更なる妙案を思いついた。


 ──このまま観衆の前で無様に敗北すれば、最高の屈辱を感じることができるのではないか……? 


 そんな燐火の考えが伝わったかのように、エルナは燐火の方へとゆっくりと近づいてくると、燐火の頭を踏みつけた。


「あ……」


 燐火の全身に、感じたことのないような多幸感が溢れだした。頭を踏みつけるということ自体の征服された感覚。髪が土足に踏みつけられるという屈辱感。


「どうした、もうおしまいか? 最強の看板を下ろす準備はできたのか?」


 もとより、ここで最強であることにさほどこだわりはない。むしろ燐火の考え方としては、最強の戦乙女とは今も昔も桜ヶ丘真央のことで、自分にはその称号は畏れおおいくらいだった。


 エルナは、心から失望した、という目で燐火のことを見下ろしていた。まるで自分のこれまでの人生全てを否定されているかのような冷たい目に、燐火の心臓はバクバクと激しい音を立てていた。


「なんとか言ったらどうなんだ!?」


 エルナが引き金を引く。銃弾は、燐火の腹を激しく叩いた。


「ぁ……」


 貫通せず、腹にずっしりとめり込んだ弾丸に、燐火が息を止める。頭が真っ白になる。

 酸欠は、燐火にとって最も好きな痛みだ。意識が遠のく感じ。息苦しさ。何よりも、かつての燐火が首を吊った時の多幸感を思い出すことができる。


 燐火にとって、自殺した瞬間とは絶望のどん底にあるものではない。あの瞬間は、ただ終われることへの喜びでいっぱいだった。


「は、ははは……アッハハハハハハ!」


 抵抗しない燐火を見たエルナは、タガが外れたように笑い始めた。


「そうか! お前は最強の看板が要らないか! なら、代わりに私がもらってやろう」


 連射する。乾いた銃声が鳴るたび、地面に転がる燐火が小さく身じろぎをした。血は出ていない。しかし、燐火の体は痛みに苦しむように小刻みに痙攣していた。


 ギャラリーが沈黙する。ひょっとしたらエルナは燐火を殺すのではないか。そういう懸念を持った戦乙女も少なくなったが、エルナのあまりにも恐ろしい様子に誰も動けなかった。


 ──しかし、群衆の中に混ざって戦いを見守っていた優香は居ても立っても居られなかった。息を吞む群衆を搔き分け、最前列に立った彼女は大声で叫んだ。


「何やってるんですか! 私の大好きなお姉様を見せてくださいっ!」


 虚ろな目をしていた燐火の雰囲気が、一転した。

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