第8話過日

 夏美と顔を合わせると、昔のことを思い出して少し懐かしくなる。あの頃の彼女とは、まだ決別していなかった。


 俺たちの入学直後、一年生だった頃。今とは違う、義姉妹という小さな隊で力を合わせて戦っていた頃のことだ。





 淵上高校への入学から数日。放課後の時間を利用して、俺は桜ヶ丘真央先輩に案内されるままに運動場へと連れてこられていた。


「よし、それじゃあ、私の妹ちゃん同士、まずは挨拶しようか」


 俺の目の前に立ったのは、やたらと目つきの悪い少女だった。俺が彼女と目を合わせようとすると、ギョロ、と睨まれた。


「真央先輩の義妹、黒崎夏美です。……あの、真央先輩。本当にこの入学初日に遅刻してくるような奴と組むんですか?」

「もうー! そういうこと言わないの。はい、じゃあ次は燐火ちゃん」

「先輩の義妹の天塚燐火です。あの、不満であれば私は一人でもやっていけますが」

「はいはいはい! 燐火ちゃんもいじけないの!」


 第一印象は最悪だったと思う。黒崎夏美は、俺のことを睨みつけていた。

 そんな視線を受けて俺は


 ヤバい……めっちゃ興奮する……


 外面には出さずに悦んでいた。

 黒崎夏美は俺と同じ高校一年生だ。背丈も顔立ちもまだ成長途中といった様子。

 そのくらいの年頃の子が睨んで来ても、俺からすれば背伸びしているみたいで可愛らしいだけだった。


「真央先輩、こんな奴を義妹にする必要なんてないと思います。無表情で何考えてるか分からないし、トロそうです。優しくて優秀な先輩に相応しいとは思えません」

「聞かれてもいないのに自分の意見を垂れ流すのは自己顕示欲の高い子どもの特徴だね」

「なっ!? 真央先輩! やっぱりコイツいらないですよ! 後方支援でもさせておけばいいんです!」

「あー、二人とも悪い子だなあ。まったく、仲良くしないとお姉さんは怒りますよ?」


 ぷくっと頬を膨らませる桜ヶ丘先輩。分かりやすい演技だったが、しかし黒崎夏美はそれに対して馬鹿正直に動揺していた。


「あ、あの真央先輩。私が悪かったですから。あまり気分を損ねないでください……」

「……ツーン」


 不安そうな顔で先輩を見る黒崎と、私怒ってます、という顔を作る桜ヶ丘先輩。


「フフッ……」


 その微笑ましい様子に、俺の口から笑い声が漏れてしまった。


「や、やめろ、笑うな。クッ、初めて見た表情が嘲笑とか本当に感じ悪い奴め……」

「まあまあ! 燐火ちゃんは表情に出づらいだけで優しい子だと思うよ? さあ、訓練を始めよっか!」


 俺と黒崎だけなら喧嘩ばかりでまともに話も進まなかっただろう。しかしふんわりとした表情で場を和ませてくれる桜ヶ丘先輩がいてくれたおかげで、俺たちはなんとか一緒にやることができた。



 真央先輩は見た目によらずスパルタらしい。顔合わせ、それから簡単な能力テストを終えると、俺と黒崎夏美は早速実戦の場に向かうことになった。

 どうやら、現在はひどい人手不足なので、使える人材が一日でも早く欲しいみたいだ。


「ほ、本当に私たちが『魔の者共』と戦うことができるんですか?」


 黒崎が心配そうに桜ヶ丘先輩に問いかける。それに対して、先輩は堂々とした様子で頷いた。


「二人の力はさっき確認した。……正直、驚いたよ。まだ鍛錬を積んでいない状態でも、十分実戦で通用すると思う。であれば、どんどん経験を積んで戦える戦乙女になってほしいんだ」

「ほ、本当ですか?」


 まだ不安げな黒崎。けれど、それも当然だと思う。

 目の前にいる『魔の者共』は、話に聞くよりもずっと恐ろしいものに見えた。遠くからでも伝わってくる獣じみた殺気と、大きな図体。

 ちょっと前まで中学生だった子にあれと戦え、と言うのだから世界はずいぶんと酷な事を要求してきている。


 とはいえ。


「先輩、いけます」


 ドM的にはむしろウェルカムである。あれに衣服を切り刻まれ、柔肌を蹂躙されることを想像するだけで興奮できる。というか興奮してきた。早く戦わせてくれ。


「お前……わ、私もやれます」


 俺の様子を見て触発されたらしい。黒崎も覚悟を決めたような顔を見せ、得物を手に取った。

 黒崎の武器はサーベル。俺の小太刀よりもだいぶ刀身が長い。先ほど扱っているところを簡単に見せてもらったが、人肉くらいなら容易く切り裂けそうだった。


「ふふ、二人とも見込み通りだね。後方支援は任せて! 危なくなったらすぐに私の方に逃げてくること! 私の命に代えてでも守ってあげる!」


 そういいながら、桜ヶ丘先輩は竹製の弓を構えた。その長さは優に身長を越えている。

 和弓。現代では弓道などに用いられるそれは、一見取り回しずらいように見えたが、桜ヶ丘先輩曰く『戦乙女の膂力で引くと凄い威力が出る』とのことだった。

 加えて、腰にある矢筒も戦乙女の特別性だ。いくら使っても矢が切れないという、摩訶不思議なものらしい。矢自体も非常に頑丈で、場合によっては矢を片手に近接戦闘することもあるそうだ。


「私からあまり離れすぎないでね。後は君たちの力なら、ちゃんと戦える。よしっ、行こう!」



 駆け寄る。既に先輩戦乙女たちが、化け物たちとの交戦を始めていた。俺たちが相手するのはその打ち漏らし。残党だ。


 こちらに向かって走ってくる緑色の矮躯。俺の初めての相手は、ゴブリンだった。ボロボロの腰布しか巻いていない体はひどく醜く、年頃の乙女なら嫌悪感を抱いたことであろう。


「……いい見た目をしている」


 俺的には色々な妄想が捗るのでむしろ好みだ。

 とはいえ、こいつは人類の敵なので殺さなければ。俺は右手に持った小太刀を握りしめると、小さな体の胴を薙いだ。


「ギギャ!」


 耳障りな声と共に、ゴブリンの血が臓腑と共に飛び散った。グロテスクな光景と異臭に顔をしかめる。なるほど、生き物を殺すとかこういうことなのか、と俺は改めて実感する。

 とどめに、左手で首を撥ねる。断末魔すら上げられなくなったゴブリンの胴体が、その場に倒れ込んだ。


「燐火ちゃん! 12時の方向!」


 桜ヶ丘先輩の声にハッと顔を上げると、こちらに猛然と襲い掛かってくる猪の姿があった。ゴブリンの死体に気を取られていた俺は、少し反応が遅れる。


「ふーっ……ッ!」


 しかし、桜ヶ丘先輩の強弓から放たれた矢が一瞬で飛翔し、猪の鼻っ面に直撃すると、その体を容易く貫通した。

 ……すごい。矢の軌道をほとんど目で追えなかった。


「せ、先輩、ありがとうございます!」

「燐火ちゃん、夏美ちゃんを助けてあげて! 彼女の体が壁になって援護してあげられない!」


 桜ヶ丘先輩が焦ったような声と共に黒崎の方へと走っている。

 見れば、黒崎も俺と同じようにゴブリンと戦っているようだった。しかし、様子がおかしい。ゴブリンは右腕を切断されて瀕死なのに、黒崎はなかなかトドメを刺そうとしないのだ。


「何してるのっ!」

「あ、天塚……! でも、でもこいつ、生き、て!」


 こちらを振り返り、何事か訴えかける黒崎。瀕死のゴブリンは、そんな一瞬の隙を見逃さなかった。


「危ない!」


 ゴブリンが手に持った短剣を振り上げ、黒崎に振り下ろす。

 一瞬で判断して、最適解を選び取る。咄嗟に彼女に体当たりした俺は背中にその刃を受けた。


「ぐぁ……」


 背中に走る鋭い痛み。同時に俺は、地面に倒れ込んだ。


「あ、天塚!?」


 涙目でこちらに呼びかけてくる黒崎。背中が焼けるように痛くて、俺はまともに受け答えすることすらできなかった。


 なるほど、これが切り傷の痛みという奴か。初めての感触に、感慨深くなる。

 肉体的な痛みを感じた俺は、同時にどうしようもないほどの多幸感に包まれてしまっていた。気持ちいい。俺の体が、美少女の体が、苦しんでいる。焼けるような痛みを訴えかけてきている。歪む視界の中で、黒崎が涙目で俺に呼びかけてきている。


 ああ、最高だ。そんなことを考えていたせいで、ゴブリンの次の行動に気づくことができなかった

 ゴブリンは、俺の背中に突き刺した短剣の柄を、思いっきり踏んづけた。


「が、ああああああ!」


 体内に一層侵入してくる刃が、俺にさらなる痛みをもたらした。かつて感じたことのない痛みに、俺の脳内が快楽物質でいっぱいになり、何も考えられなくなる。

 ──最高だ。まるで天国にでも登れるような、痛みと快感。視界が涙でいっぱいになり、何も見えない。耳鳴りがする。

 次の瞬間、桜ヶ丘先輩の放った矢がゴブリンの矮躯を吹き飛ばした。


「燐火ちゃん! 燐火ちゃん! 大丈夫!?」

「う……ぁ」


 必死な様子で呼びかけてくる桜ヶ丘先輩に答えを返すことができない。涙で視界がぼやけて彼女の顔が良く見えない。最悪だ。

 きっと彼女は、この上ない曇り顔を晒してくれているはずなのに。


「あ、ああああ……私のせいで、天塚が……」


 黒崎の絶望したような声。耳鳴りで良く聞こえない。最悪だ。彼女の泣き顔と共に、記憶にしっかりと焼き付けておきたかったのに。


 意識が遠のく。背中の傷は、思ったよりも深かったようだ。不甲斐ない。この程度で気絶していては、曇り顔を堪能することができないではないか。

 遠のく意識が最後に捉えたのは、黒崎のすすり泣きだった。ああ、やっぱり、美少女に心配されながら傷つくのは最高だなあ……。



「う……」

「燐火ちゃん!? 良かった、気づいたのね!」


 次に俺が見たのは、嬉しそうに俺を見つめる桜ヶ丘先輩の顔のドアップだった。ベッドに寝る俺を覗き込むようにして、彼女の可愛らしい顔がぐいと近づいてきている。


「先輩……近いですよ……」

「本当に良かった……! 燐火ちゃんが目覚めて良かった!」


 よく見れば、桜ヶ丘先輩の顔には泣きはらした跡があった。ああ、俺のために泣いてくれたのだろうか。だとしたら、こんなにも嬉しいことはないな。


「あま……つか……」


 震える声が、俺を呼んだ。見れば、そこには今にも泣きそうな黒崎の姿があった。その目元は、桜ヶ丘先輩なんて比じゃないほど真っ赤だ。


 俺と目が合うと、彼女の目に涙がじわ、と溢れてくる。


「黒崎、泣かなくていい」

「で、でもっ! 私のせいでお前はそんな重傷を負って……!」


 むしろこちらがご馳走様、と感謝の言葉を伝えたいくらいなのだが。黒崎は俺の負傷にひどく責任を感じているようだった。その様子自体はとても嬉しいのだが、あんまり泣かせるのも酷だろう。──本当に傷つくのは、俺だけでいい。


「あなたを庇ったのは、私が好きでやったこと。あなたが責任を感じることはない」


 この上なく本心から出た言葉だった。けれど黒崎はそれを慰めの言葉と受け取ったのか、結局顔を背けてまた泣いてしまった。


「……黒崎は見かけによらず泣き虫」

「う、うるさいっ! ぐすっ……」


 今の可愛らしい一面を見れただけでも、十分だ。

 そんなやり取りを黙って眺めていた桜ヶ丘先輩が、常とは違う元気のない口調で話し始めた。


「本当に、夏美ちゃんが責任を感じる必要なんてないんだよ。私の見立てが甘かった。二人が何か危機に陥ったら、私が遠くから助けられると思っていた。あんなに危機に陥るなんて計算外だった」


 下を向いてポツリポツリと話す桜ヶ丘先輩も、黒崎と同じくらい責任を感じているようだった。いつも元気な先輩らしからぬ態度に少し驚かされる。


「ぐすっ……でも先輩は、最初に忠告してくれていました。危なくなったら、先輩が援護できるように射線を開けること。もしくはその場から逃げ出すこと。そのどっちもできずに立ち竦んでしまったのは、私のミスでした」


 どうやら黒崎は、ずっと一人反省会していたらしい。下を向き、時々鼻をすすりながら話している様子からそんなことを推測する。


「ううん。初めてだからね。そういうこともあるよ。私は、夏美ちゃんの怯えを正しく汲んであげて、もっと段階を踏むべきだった。ごめん」


 陰鬱な沈黙が病室を支配した。桜ヶ丘先輩も黒崎も、下を向いて何も言わない。

 そんな空気に耐えられなかった俺は、殊更に明るい声で二人に呼びかけた。


「まあでも、私は生きて帰ってこれたんですから、そんなに気にする必要ないですよ」


 俺はむしろ傷ついて喜んでいるのだから、本当に気にする必要はない。


 俺は美少女の曇り顔が好きだが、ずっと沈痛な面持ちでいて欲しいわけではない。俺が危機に陥り、痛みに直面したその瞬間に曇って欲しいだけなのだ。むしろ、普段は明るくいてくれた方が、ギャップで興奮できる。


 だから、二人には元気を出して欲しかった。


「じゃあ、こういうのはどうですか? 二人は今度、私にとっておきのおめかしをした姿を見せてください。それでチャラにします」

「えっと、そんなことでいいの?」


 おずおずと聞いてくる桜ヶ丘先輩。


「はい。私、可愛い女の子が好きなので。男の人よりもずっと」

「「えっ!?」」


 顔を赤くした二人の声がハモる。実際のところ元々男だった俺にとっては、恋愛対象は女だ。下卑た男にぐちゃぐちゃにされる妄想もしないこともないが、純愛ならやっぱり可愛い女の子がいい。


「そ、それって……その……本気で……恋愛的な……えっと、あー、やっぱりなんでもない!」


 顔を赤くした桜ヶ丘先輩が何事か聞こうとして、結局やめた。

 黒崎もいつの間にか泣くことをやめて、赤い顔でこっちをチラチラと見ていた。


 俺のカミングアウトのおかげで、沈痛な雰囲気の代わり別の気まずい雰囲気が病室を支配した。

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