第32話

 かつて『黒の大母』という魔物がいた。


 自身の強大さもさることながら、特筆すべきはその固有能力。


 自らの魂の一部を分け与え、従来の魔物とは一線を画する怪物こどもを生み出すその能力は当時の世界を脅かした。


 また、『黒の大母』の魔核は破壊することができない。

 『黒の大母』の魂を継承した子供たちも同様である。


 よって当時の『ラルグリスの弓』の担い手が子供ごと『黒の大母』を撃破したあと、その魔核は厳重に封印されるにとどまった。



 だから、彼らは自分たちを封じ込めた人間たちを恨んでいる。



 自分たちを仕留めた『ラルグリスの弓』の担い手は特に。


 仮に復活できれば、絶対に殺してやりたいと願うほどに。


 そんな憎しみは、同じく弓の担い手カイを敵視する宿主アレスと深く同調し――復活のための依り代とするに至った。


 そうしてソレはよみがえった。

 当時の人間がつけた呼び名は『黒のサイクロプス』。


 頑強極まる肉体で何千という人間を叩き潰した、近接戦特化の怪物である。





『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』


 凄まじい叫び声をあげて漆黒の単眼巨人が暴れ回る。


「ぐぁっ!?」

「た、退避! 退避ぃいいいいいいいっ!」


 アレスを捕縛しようとしていた騎士たちが泡を食って逃げまどう。

 そんな彼らに巨大な拳や蹴りが降り注ぎ、地面ごと吹き飛ばした。


「「「うわぁああああああああああああああッ!?」」」


 精鋭のはずの王立騎士団の面々が紙くずのように蹴散らされ、あちこちに倒れ伏す。

 漆黒の単眼巨人は苛立ちを晴らすように腕や脚を振り回し続ける。


「……わ、私の屋敷がぁーっ!? せっかく集めた貴重な資料や標本が大変なことに!」

「待ってくださいカミラさん! どこに行くつもりですか!」

「決まってるだろう! 屋敷に戻って貴重な資料を持てるだけ持ち出すんだ!」

「そんなこと言ってる場合ですか!」


 屋敷の中に突撃しようとするカミラさんを慌てて止める。

 こんな状況で研究資料を優先するなんて、この人の頭はどうなっているんだ!?


「それより教えてください! あれは何ですか!?」

「言っただろう、『黒のサイクロプス』だよ。赤髪の彼は、腕輪に嵌まっていた魔核とリンクし過ぎたんだ。だから『黒のサイクロプス』が復活するための依り代になった」


 カミラさんいわく。


 魔核状態の『黒のサイクロプス』は、肉体を持たない情報体に等しい。

 よって実体化のために『器』が必要となる。


 腕輪を通して『黒のサイクロプス』の魔力を浴び続けたアレスは、その器となってしまったそうだ。


「ま、仮説だがね。だいたい合ってるだろうさ」

「……どうすればあれを止められますか?」

「倒すしかないだろうね」


 カミラさんは簡潔に言った。


「今のアレは不完全だ。過剰なダメージを与えてやれば、修復するだけの魔力は捻出できまい。張りぼての肉体もすぐに崩壊するだろうさ」


 ……あれを倒す、かぁ……。


 けれど他に方法がない以上は仕方ない。

 このままアレス――いや、『黒のサイクロプス』が暴れ続ければ王都に重大な被害が出るだろう。


「わかりました。やるだけのことはやってみます」


 僕はそう言って、『黒のサイクロプス』へと視線を向ける。


『ウォオオオオオオオオオオオオオオッ!』

「防御陣形を取れ! 後衛は【範囲耐久強化エリアプロテクト】を張れ!」


 『黒のサイクロプス』に狙われる騎士たちは素早く陣形を組み、大盾を持つ数人が前に出る。

 魔力光が発されていることを見ると、【城壁】などの防御強化スキルを使っているようだ。


 さらに後衛の魔術騎士が強化魔術を施す。


 たった数秒で防御態勢を整える騎士団の練度は並大抵じゃない。

 あの陣形は大地虎ランドタイガーでも突破できないだろう。


『――――、』

「耐えろ! この一撃を凌いで反撃するのだ!」


 そんな鉄壁の防御に対して、『黒のサイクロプス』は――笑った。


『ハァアアアアアッ……』


 嘲笑するように口を大きく裂き、騎士たちの盾に阻まれる拳を力づくで押し込む。


 それだけで、騎士たちの熟練の防御陣形は破壊された。


「「「ぐぁああああああああああああッ!」」」


 前衛の盾が砕け防御力を向上させていたはずの騎士たちが軒並み吹き飛ばされる。

 拳が着弾した場所は地面に亀裂が走り、嵐のように飛び散った瓦礫が騎士たちを打ちのめす。


 圧倒的な膂力。

 人間がどれだけ工夫しようとも抵抗すら及ばないほどの、純然たる出力パワーの差。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』


 『黒のサイクロプス』が逃げまどう騎士たちに追撃を加えようとする。


「【加速】、【増殖】×四十!」


 矢を放つ。

 少しでも『黒のサイクロプス』の気を引いて騎士たちを守るためだ。

 けれど、意味がなかった。


『……、』

「効かないか……!」


 矢の群れは『黒のサイクロプス』に命中しているけど、効果なし。

 ここに来て『ラルグリスの弓』の火力不足が響いている。


 ――と。


「【力強化ストレングス】【耐久強化プロテクト】!」


 聞きなれた声が響き、僕の体に白い燐光が宿る。


「エルフィ!?」

「遅れました! お願いします、カイさんも攻撃を!」

「ルーナは……」

「もう向かっています!」


 エルフィの言葉通り、僕と同じく強化魔術を纏ったルーナがすでに『黒のサイクロプス』目がけて突っ込んでいる。


「だぁああああああああああああっ!」

「【加速】、【増殖】×四十!」


 ルーナが両刃斧を振るうのに合わせて援護射撃を行う。

 ルーナも僕もエルフィの強化魔術付きだ。

 火力に関しては凄まじいことになっている。


 ズガンッ、ドガガガガガガガガガガッッ!! という衝撃音が連続して響いた。


『――、』


 『黒のサイクロプス』の巨体が初めて揺らぐ。

 そしてその直後、何事もなかったかのように騎士たちへの追撃を再開した。


「全然効いてないじゃない!」

「これでも駄目か……!」


 攻撃が通用しない。

 『黒のサイクロプス』の表皮には傷一つなかった。


 耐久が高すぎる。これじゃあ戦闘にもならない!


 やがて騎士たちは蹴散らされ、庭に残ったのは僕、エルフィ、ルーナ、そして離れた場所に逃げているカミラさんだけとなる。


 そこで初めて。

 『黒のサイクロプス』は、僕を見た。


『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』


 絶叫を上げて僕の方へと向かってくる。

 そこでようやく気付いた。

 この怪物は今まで邪魔者を排除していたのだ。

 標的である僕を確実に殺すために。


『ォオオオッ!』

「ぐっ……【障壁】!」


 『黒のサイクロプス』の猛攻を何とか凌ぐ。

 【障壁】とエルフィの強化魔術も込みで何とか逃げ回ることはできているけど、捕まるのも時間の問題だろう。


 何せ場所が狭すぎる。

 すでに屋敷の塀は破壊され、道路と庭の境目はなくなっている。


 けれど道路の幅も合わせても大した広さにはならない。これじゃあ逃げ回るにも不利だ。


(いっそ王都の外まで引っ張っていく……? いや、それだと進路上の建物や人が巻き込まれる!)


 攻撃は通じない。逃げ続けることもできない。

 どうする。どうする。どうする。


 このままだと本当に詰んでしまう!


「カイ!」


 ルーナが叫んだ。

 自分の手首を指さしながら僕を見ている。彼女が何を言いたいのか僕は即座に察することができた。


 一瞬迷ったけれど――今は状況が状況だ。


「わかった! ルーナ、よろしく!」

「任せて! 絶対に捕まったりしないから!」


 直後、ルーナの姿が変化する。

 幼い女の子の姿から、全長五Мの飛竜の姿へと。


「おおおおおおおーっ! 『ルドラの系譜』の竜化を見られるなんて!」

「カミラさん! お願いですから安全な場所にいてくださいってば!」


 下方から歓喜するカミラさんとそれを押しとどめるエルフィのやり取りが聞こえてくるけど気にしない。

 今はやるべきことがある。


『グルアアアッ!』


 僕が飛竜となったルーナの背に乗ると、翼をはためかせてルーナは飛び上がった。


 そのまま高速で動き回り、『黒のサイクロプス』をかく乱する。


『――ッ!? オオオオオオッ……』

『ぐるるるーっ。ぶふっ、ぐるーっ』

『………………、ウォオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』


 『黒のサイクロプス』の頭の周りを飛び回り、時折ルーナが挑発するような仕草をする。

 『黒のサイクロプス』は完全に頭に血が上り、空中にいる僕たちを捕まえることに夢中になっている。


「ルーナ、悪いけどあまり遠くまで行かないようにね」

『グルルル』


 僕の言葉に、了解、とばかりに頷くルーナ。


 『黒のサイクロプス』を大きく移動させれば、進路上の民家や人々が被害に遭う。それは避けたい。

 それだと逃げ場が少なくなるけど……さっきまでと違い、空を飛んでいる今なら十分に動き回れる。


 ルーナの竜の姿を王都の人々にさらしてしまうけど、そこは仕方ない。


 最悪『黒のサイクロプス』を倒したあとに王都の外に逃げ出すとしよう。


 余談だけど、ルーナの服は腕輪状のマジックアイテムに格納されている。


 大地虎ランドタイガーを助けたあとにクロードにもらったものを有効活用しているのだ。

 『衣移しの腕輪』に服を一時退避させれば、変身のたびに服が破れることもない。


 あとは攻撃が通ればいいんだけど……まあ、あそこかな。


「【加速】【増殖】×四十、【絶対命中】!」


 矢を放つ。

 狙いは漆黒の皮膚に覆われた胴体ではなく――黄色に輝く単眼。


『グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?』


 よし、効いた!


 途轍もない硬度を誇る『黒のサイクロプス』であっても、眼球までは守りきれないようだ。


 その後もルーナには回避に専念してもらい、隙を見ては矢を撃ち込んでいく。


 【敏捷下降】の矢も撃っているけど……効いてなさそうだ。たぶん阻害デバフ耐性があるんだろう。


 さらに下方から声が響く。


「【範囲エリアヒール】、【力強化ストレングス】、【耐久強化プロテクト】!」

「うおっ、怪我が治った……!?」

「しかも力がみなぎってくるぞ!」

「女神だ! 勝利の女神様が降臨なされた! この好機を逃してはならん! お前たち、一斉攻撃だぁあああああああああああ!」

「「「うぉおおおおおおおおおおおおおーっ!」」」


 眼下では、復活した騎士たちがときの声を上げて『黒のサイクロプス』に襲い掛かっていた。


 その全員に僕やルーナと同じく強化魔術の光が灯っている。


 僕とルーナが『黒のサイクロプス』を引き付けている間に、エルフィが騎士たちを回復させ、さらに強化魔術をかけたのだ。


 さっきまでは『黒のサイクロプス』に歯が立たなかった騎士たちも、強化された攻撃力によって少しずつではあるけどダメージを与えられるようになっている。


「攻撃陣系! 後衛、付与魔術エンチャント急げ!」

「はっ! 【雷撃付与エンチャント・ライトニング】!」


 号令に応じて魔術騎士が今度は前衛に攻撃力上昇、さらに魔術効果の付与を行う。


 騎士たちの剣に雷の魔力が付与され、攻撃力の上がったその剣を一斉に『黒のサイクロプス』のすねに叩き込んだ。


 ズガッシャアアアン、と雷が落ちたような衝撃音。


『ウグゥッ……』


 たまらず動きを止める『黒のサイクロプス』。

 これはチャンスだ。


「ルーナ、追撃だ! 【加速】【増殖】×四十!」

『グルルルォオオオオッ!』


 僕の矢とルーナの放った氷の槍が容赦なく『黒のサイクロプス』の眼球を抉る。


 竜の姿になったルーナは自分の魔力で凍えることはない。

 よって攻撃にも参加できる。


『ウギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!』


 僕の矢とルーナの氷魔術によって急所を串刺しにされた『黒のサイクロプス』は絶叫を上げる。

 だらだらと眼球から紫色の血を垂れ流し苦痛にもがいている。


「行ける、行けるぞ!」

「畳みかけろおおおおお!」


 下方では騎士たちがさらに攻撃の勢いを強めている。


 きっと、『黒のサイクロプス』が本来の能力を発揮できるならもっと苦戦していただろう。


 しかしこの『黒のサイクロプス』はカミラさんいわく不完全な状態だ。


 劣化した状態なら、歴史に刻まれた怪物だろうと打ち倒すことができる。


『ガァアアアッ……』


 『黒のサイクロプス』がよろめき、初めて地面に手をつく。


 弱っている。

 もう少しで押し切れる。

 そんな意識が僕たちの間に共有される。


 ――それが間違いだったと気付いたのは数秒後のことだった。


『アアアアアアアアアアァァァァアアア……!!』

「……何をしてるんだ……?」


 『黒のサイクロプス』が手をついた周囲の地面がドス黒く変色する。

 何かを流し込まれたかのように、『黒のサイクロプス』の表皮そっくりの色に変化していく。


 ビキビキバキッッ!! と音を立てて地面の土が硬質化し、形を変え、やがてあるものを形成する。


 それは巨大な『柄』のようだった。


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!』


 『黒のサイクロプス』が勢いよくそれを引き抜く。


 それは『黒のサイクロプス』の表皮と似た素材で作られた大剣だった。


 『黒のサイクロプス』は、地面に自身の魔力を流し込んで変質させ、頑丈極まる大剣を作り上げたのだ。


「あれを振らせるな! 総員、攻撃を続けろ!」

「「「はっ!」」」


 騎士たちが攻撃を続ける。


(……大剣?)


 嫌な予感がする。


「ルーナ、僕たちも攻撃だ!」

『グルルルルォォッ!』


 僕とルーナも『黒のサイクロプス』にさらなるダメージを与えていく。


 このままいけば倒しきれる。そのはずだ。事実、『黒のサイクロプス』は弱ってきている。

 有利なのはこっちだ。間違いなく。


『オオオオオオオッ……』


 けれど僕たちは失念していた。


 この『黒のサイクロプス』が、どんな経緯で出現したのかを。



 シュボッッ、という音が響く。



「――、」


 思い出す。

 目の前にいる漆黒の単眼巨人はただの魔物じゃない。人間を器にした怪物だ。

 

 その元になった人間は――アレスは何が得意だった?


 巨剣の切っ先に火花が散り、一瞬で刀身が炎に包まれた。

 それもただの炎ではなく各所が不規則に爆ぜている。

 【爆炎付与】の特徴だ。


「何だよ、あれ」

「炎……?」

「どうなってるんだ! 今まで魔術を使えるような素振りはなかったぞ!?」


 動揺する騎士たち。

 そんな彼らに構わず、ゆっくりと爆炎を纏った巨剣が振り上げられ――


「――ッ、こっちだ、アレス!」


 僕は咄嗟にルーナの背から飛び降りた。

 ルーナがぎょっとしたように鳴く。

 一瞬遅れて、『黒のサイクロプス』の傷だらけの単眼が僕を捕える。


 直後。


『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!』


 爆炎を纏った巨剣が僕目がけて振り下ろされた。

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