【君は美味しそうだよね】

《あずき》「梓稀って美味しそうだよね」


 そんなことを言った後に、この言葉を友達に言うのは少しおかしいのかもしれない、ということに気が付いた。最近は毎日言っているような気がするが、私は別に梓稀の周りの子より少しふくよかな体型を馬鹿にしたいわけでもないし、ふと思いついた軽い冗談で言った訳でもなかった。ただ単純に、梓稀を見ているとそう思うだけだ。


美味しそうだな、


と。それが少しおかしい感覚なのかもしれない、と思ったのは特に何かきっかけがあったわけではない。ただ、単純に、人に「美味しそうだね」って言うのは、少しおかしいのかもしれない、と思った。ただ、そう思っているのは、まるでこの世界で私だけのように感じられた。だって、そう言われている張本人は、今日も何食わぬ顔をして私の横を歩いているのだから。


「いやだなぁ、《まこと》真琴ちゃんったら。またそんなこと言ってる」


 そんな少しおかしいような私の言葉に、梓稀はいつもと同じ言葉で返す。昨日も、一昨日も、その前も、ずうっと前から、私はこんなことを言っているのに、梓稀は今日もへラリ、と眉を下げて困ったように笑うだけだった。私が本心で言っているなんて、きっと微塵も思っていないんだろう。私はまたいつもの返しをする。


「梓稀の名前は、和菓子の小豆からきてるもんね」


 これは本気じゃない、冗談だ。でもそれをわかったように梓稀は、


「違うよぉ!変な理由つけないでよねぇ」


 と言って、笑って否定するのだった。それもいつも通り。友達との間でよくある変なくだりみたいなものだった。でも私は、心の奥で、ほんの少しだけ、梓稀がいつもと違う返しをしてこなかったことに、安心した。もし梓稀に、真顔で「それ言うのやめて」と言われたら、私はどうしていいかわからなくなるからだ。冗談みたいに濁しているけれど、本心は割と本気。でもそんな事、梓稀には絶対に言えない。梓稀じゃなくても言えない。私はいよいよ、自分がおかしいんだろうか、という疑念で頭がいっぱいになった。


「ああ、それにしても明日、水泳があるね。嫌だなぁ」


 考え込む私をよそに、少し先を歩く梓稀がそんなことを言った。私は疑念を振り払って、梓稀の言葉に答える。


「体型のことなんか誰も気もしないよ。大丈夫、大丈夫!もし誰かが何か言ってきたら、私が言い返してやるからさ!」


 語尾を強くそう言うと、梓稀は少しだけ笑ってくれた。


「……真琴ちゃんがそう言ってくれるなら、安心かな」


 そう言った梓稀に、私は安心した。梓稀は自分の少しふくよかな体型を気にしているようだった。だが、私はそんな外見は気にしなくていいのにと思っていた。だって人なんて外見じゃなくて中身じゃないか。私はもう梓稀と2年は一緒に過ごしているが、梓稀は本当に優しくていい子だ。いつも誰かの為に動いていて、困っている人がいたら必ず助ける。傷ついている人がいたら、必ず寄り添う。梓稀はそんな人なのだ。その優しさに、私自身も何回も救われてきた。だから、私は梓稀に体型なんかのことを気にしてほしくはなかったのだ。


「梓稀は、人柄がいいんだから。大丈夫だよ」


「……真琴ちゃんがそう言うなら、自信持たないとね!」


 そう言って、また梓稀は笑ってくれた。


 と、そんな事を話しているうちに、あっという間に梓稀の家の前に着いた。梓稀は「じゃあ真琴ちゃん、また明日」と言って手を振り、家に帰っていった。私も「また明日」と言って手を振り、笑顔で見送った。


 梓稀と離れてから、私はしばらく梓稀の家を眺めた。さっきの疑念を思い出す。やっぱり、梓稀を美味しそうだなんて思うのは、おかしいような気がした。だって、梓稀は人間だ。食べ物でも何でもない。だけれど、私はなぜだか梓稀を美味しそうだと思ってしまうのだ。この家で梓稀は夕ご飯を食べて、食後のスイーツを食べて、お風呂上がりのアイスを食べる。そうしてまたふくよかになっていく。そうしてまた明日、私の前に姿を表す。やはり思う事は、梓稀って美味しいんだろうか、なんて馬鹿げた事だった。






 人間は案外美味いらしい。特に女の肉は。昔の海外では上等な肉として、人間を好んで食べていたらしく、市場にも売られていたらしい。ただ人間を食べる事による病気のリスクは高く、また倫理的な観点からも人間を食べるのは良くないという事で、人間は徐々に食べられなくなったらしい。……と、言う事が私がインターネットで調べてわかった事だった。何でこんな事を調べたのかといえば、それはやっぱりあの言葉のせいだった。


「梓稀って美味しそうだよね」


 そんなに深い意味はなかった。ただ思った事を言っていただけだった。だけれど、自分の発言が少し気になり始めた。それが、


そもそも、人間って、美味しいんだろうか?


と言う疑問に繋がった。そういうのを好む人を『カニバリズム』と言うらしいが、私は別にそんなのではない。ただ、気になって調べただけだ。でも、私に頭には梓稀のことが浮かんだ。正直カニバリズムとか食人とか、気持ち悪いけれど、何故か梓稀の事だけは美味しそうだと思った。甘いものばかり食べている梓稀の体は、甘い味がするんだろうか。私は梓稀のふくよかな体を思い浮かべた。


「女の子だし、甘い気がする」


 そう言った自分の言葉は、どこか変態じみていた。







 次の日、いつもの様に梓稀と登校する。梓稀は今日の小テストの事とか、部活の事とか、色々話していたが、私の頭の中は昨日調べたことが駆け巡っていた。不審に思われないように相槌を打ちつつ、私は梓稀に質問した。


「梓稀、昨日夜何食べた?」


 そう言うと、梓稀は一転して嬉しそうな顔をした。


「あ、それ聞いちゃう?あのね、昨日新作のコンビニスイーツ食べちゃったの!」


新作のコンビニスイーツ。


「しかも私の大好きなスイカのパフェなの!」


スイカのパフェ。


「それがもうめっちゃ美味しくてさぁ……、さっぱりしててだけどちゃんとスイカの味がするの!また生クリームが甘くて最高だったの!」


それが梓稀の体の中に。


「果物パフェみたいな感じで、メロンとかいちごも乗っててさ!ゼリーも入ってて、もう最っ高なの!」


そうして梓稀の血となり、肉となって。


「ちょっと、真琴ちゃん。聞いてる?」


「……え?あ、あー、うん。聞いてる聞いてる」


「もう、真琴ちゃんボーッとしてるからさ、聞いてないのかと思ったよ」


「……い、やだな、ちゃんと聞いてるよ」


 そう、ちゃんと聞いている。梓稀が何を食べて、それが梓稀の血となり肉になって、その味が指先の神経まで行き渡って。それは、きっと、そう、とても……


「美味し、そうだ、ねぇ……」


「うん!超美味しいよ!」


 私の背中には冷や汗が伝っていた。自分の思考があまりにも怖かったし、スイーツの話をして笑う梓稀の顔が、あまりにも美味しそうだったから。






 人肉は、少し苦味があって歯応えがあり美味しいらしい。また、食べる部位や調理方法によって多種多様な味わい方が出来る、と言う。


今日の4時間目は体育だった。


「あーあ、嫌だなぁ……」


 梓稀はわかりやすく肩を落として、憂鬱そうな顔をしていた。梓稀はその体型のせいか、体育が苦手だった。特に、水泳は嫌っていた。水着のせいで、そのふくよかな体型が露わになるのが嫌らしい。また、男子にその豊満な胸をからかわれたりして、それもまた嫌な原因のひとつだと言う。


 ただ今日の私は、その梓稀の体を正面から見ることが出来なかった。夏の日差しのせいで程よく焼けている肌。ふくよかな体型に見合った豊かな胸。そうして胴体から伸びるふっくらとした腕と足。特に太ももが魅惑的だった。そのむっちりとした太ももは程よい弾力を持っていて、程よく焼けている。その肉に口を添えて、歯を立てて齧り付いたら、きっとそこからは甘くて美味しい血が滴るはずだ。そんな事を思ってしまう、自分が嫌だった。でも、考えるのをやめられなかった。その豊かな胸も捨てがたい、とさえ思ってしまう。噛み付くにはもってこいじゃないか、と。私は思わず頭を抱えた。こんな事を考えていては、もう何もかもが手につかない。最近の私は、本当におかしいと思う。梓稀の体が美味しそうだなんて、絶対におかしいのに、その思考をやめられない。もう、今日は梓稀を見てはいけない。私が自分にそう言い聞かせた時だった。


「……真琴ちゃん、どうしたの。大丈夫?」


 心配したように、梓稀が私の顔を覗き込んできた。


「っ、あ、あず……」


「真琴ちゃん、顔色悪くない?どうしたの、寒い?具合悪い?」


 心配する梓稀の声が遠くに聞こえる。私の目の前には、丸々と美味しそうに肉付いたがモノが。


「あず……き……」


 そのモノの名を、私は呼ぶ。目の前のごちそうに、私は理性が飛んだ。


「うん、なあに?真琴ちゃ……っ、きゃ、!」


 そのモノを、夏の日差しでよく熱されたコンクリートの上に押し倒す。そのモノは、鈍い音を立ててコンクリートに転がった。それを獲物のように、押さえつける。その丸い腕が、じゅうじゅうとよく焼けている。ああ、よく焼けたいい匂いがする。


「やっ、どうしたの?!真琴ちゃん、やめて、痛いよ!」


 目の前がくらくらした。それは梓稀なのか、それともただの肉なのか。私は本能が言うままに、その熱いコンクリートに四肢を押し付けた。


「痛いよぉ、!痛い!真琴、ちゃ、あ!」


 遠くで絶叫にも似た声がする。私の口から絶えず唾液が溢れ出してくる。ああ、よく焼けた美味しそうなこの肉を、このごちそうを、私は食べないわけにはいかない。むしろ、食べないだなんて、冒涜かもしれない。


「……あ。……はは、あ、梓稀は、美味しそう、だね」


 私はいつもの言葉を梓稀に囁くと、そのまま梓稀の水着に手をかける。胸の所に手をかけて、そのまま思いっきり破った。梓稀の白くふくよかな体が、夏の外気に晒される。そうして同時に、私の目の前にも晒される。豊満で大きな胸、たゆんだお腹、肉付いた太もも、ハリのあるふくらはぎ。その白い皮の下にある赤身の肉を想像する。ああ、もう耐えられない。


 私はそのまま勢いよく梓稀の肩にかぶりついた。そうして強く歯を立てて、その肩の肉を食いちぎった。梓稀から「ああああああああ」と絶叫した声が出される。痛みのせいか、もがいて私の下から逃げようとしたので私はいけないと思い、暴れる四肢を抑えつけた。梓稀から助けを懇願するような言葉が聞こえてくる。私はそれを無視して、梓稀の肩から流れ出る血を見ていた。どくどく、と流れる血は赤くて綺麗な鮮血で、それだけでもう私の食欲をそそった。その肩からあふれ出た赤い肉が、鮮度の良い肉が、私の前にあらわになる。私は手始めに、とそのあふれた赤い肩の肉を口に含んだ。そうして、それを口一杯に含んで咀嚼した。


 それは、体の神経を全て駆け巡るような戦慄が走った。その感覚は、絶頂に近い。私の体を全て支配する、オーガニズム。この気持ちよさは、もうこの世の何にも例えられなかった。そうして次に来た感情は「美味しい」だった。最初はただの疑問だけだった梓稀の体が、今はもうこの世の何よりも美味しい最上級の肉だった。人間の肉は、いや、梓稀の体だから、きっとこんなに美味しい。やっぱり私の直感に間違いはなかった。梓稀は、美味しそうなんじゃない。こんなに、美味しかったんだ。私の胸には、もうそれはそれは溢れんばかりの喜びが全てを占めていた。こんなに美味しいものが、ずっと近くにあったなんて。どうしてもっと早く食べなかったんだろうか。梓稀の肉は、あまりにも美味しいのに。


 私はたまらず、もう一口食べる。咀嚼する。飲み込む。食べる。咀嚼する。飲み込む。食べる。咀嚼する。飲み込む。それを繰り返す。舌が、絶品の味を味わう。私はたまらず、その肩から溢れる血を啜った。大きな音を立てて啜った瞬間、下から「いたい、いたいよぉ、ああああああああ、助けてぇ……!いやだぁああああああ」と、泣き叫ぶような絶叫が聞こえてくる。でも、そんなのはもうどうでもよかった。


 私は笑みを浮かべて梓稀に言った。


「ねぇ、梓稀って、美味しいんだね」


 そう言った私の口元からは、梓稀の血が滴っていた。










「……っ、!」


 荒い呼吸で、目が覚めた。目の前には白い天井が広がっている。遠くで蝉の鳴き声がしていた。ぐったりとした体は、じんわりと汗をかいていた。その汗が肌にまとわりついて、気持ちが悪い。私は瞬きをしながら呼吸を整えた。


(ここは保健室……)


 白いカーテンや、独特なこの消毒液の匂いは明らかにそうだった。外は騒がしいのに、ここはやけに静かなところも。


(確か4時間目は水泳で……)


 そうだ。私は確かさっきまでプールサイドに立っていたはずだった。暑い夏の日差しを、揺らめくプールの水の動きを、水着姿の自分を、私はよく覚えている。


(そうして、確か私は、梓稀と話を……)


 そう記憶を思い返していて、急に背筋に電流が走ったように身の毛が立った。また、呼吸が浅くなる。そうだ、私は、梓稀と話していて、話していて何を考えていた?私は、梓稀に何をした?私は、梓稀の体を、硬いコンクリートに押しつけて……。


「真琴さん、起きたのね。体調はどう?」


 唐突にガラッ、と白いカーテンが開かれた。その先には、保健の先生が立って私を見ていた。その顔は、心配そうな表情を浮かべていた。


「あら、悪夢でも見たの?すごい汗」


「あ、……先生、せんせ、わた、私っ!」


 私はすぐに体を起こして、先生に詰め寄った。


「私、梓稀に、何を……私、梓稀を……」


「ああ、梓稀さん?梓稀さんは大丈夫よ。ちょっと怪我したぐらいで」


 その“ちょっとした怪我”という言葉が、嫌な予感を波の様に引き寄せる。


「ちょっとした怪我って……、そんな……、だって私」


「うん?」


 背中から溢れる冷や汗が、止まらない。


「噛み付いたり、して、」


 脳裏に思い出される光景に、気が動転しそうだ。


「肩に嚙みついて、その肉を、梓稀を……」


 体が恐怖で震える。梓稀を「美味しそう」だと言っていた本心が、いつしか、私の知らないところで行動に移り、梓稀の体を食べたんじゃないかかと言う恐怖。私の脳裏には、コンクリートに押し倒した梓稀の悲痛な叫び声が反響していた。


『やっ、真琴ちゃん!やめて、痛いよ!』


 その声を無視して掴んだ梓稀の腕の感触が、やけに生々しく残っている。この手で、この歯で、私は梓稀を……。


「やだ、なぁに変なこと言ってるの?」


「…………へっ」


額に汗が流れる。


「梓稀さんの怪我はちょっとした擦り傷よ?なぁに、肉がえぐれただなんて大袈裟ね」


「かすり、傷……」


「貴方が急に梓稀さんを押し倒したから、みんなびっくりしていたのよ?」


「ああ、……あ、はい……」


あれは、夢、だったのか。いや、厳密には夢ではない。梓稀を押し倒したのは、本当の事らしい。ただ、私は確かに梓稀を食べて……。


「しかも押し倒したと思ったら気絶して……、暑さにやられちゃったのかと思ったわ」


「気絶……」


私は梓稀に危害は加えていないようだった。それは、私の安心だった。自分の欲望が、行動に移り変わってしまったんじゃないかと、私はもう、怖くて仕方なかったのだ。ただ、夢にしてはあまりにもリアルだった。あの噛みついた肉の感触、流れる鮮血、舌に残る感じたことのないあの絶頂にも似た味。全てが記憶に痛いほど焼き付いている。でも、ただの夢だったではもう、済まされない。もうこのままにはしてはおけない。私は恐る恐る保健の先生に尋ねた。


「先生」


「はい、なぁに?」


 ごくり、と息を呑む。


「あの、質問といううか、疑問、なんですけれど……」


「あら?体調のことかしら?なぁに?」


 胸が、どくり、どくりと鼓動を鳴らしている。


「あの、その、変な意味、じゃなくて……」


 頭は自然と、ぐちゃぐちゃになった梓稀の体を思い浮かべる。


「人間が、人間を食べたくなる欲求、なんてものは、あるのでしょうか?」 


 先生は何も言わない。私の背中に汗が伝う。人に話したら、おかしいと思われるとわかっていたけれど、実際に話してみたら、それはそれで怖いものがあった。自分が“異常”だと、人から言われる恐怖は、自分の根底を揺るがすものがある。


「そうね、でもそんな欲求があるとするならば……」


 先生の口が言葉を紡ぐ。


「そんなのって、」


 私は、その続きが、怖い。






「“異常”よね」





 それを友達に言うのは、少しおかしいのかもしれない。私は別に梓稀の周りの子より少しふくよかな体型を馬鹿にしたいわけでもないし、ふと思いついた軽い冗談で言った訳でもなかった。ただ単純に、梓稀を見ているとそう思うのだけだ。


食べたい、と。
















「あ、真琴ちゃん!体調、大丈夫?」


 教室に戻ってすぐ、梓稀が私に話しかけてくる。私は深呼吸をして、梓稀の言葉に口を開いた。


「うん、大丈夫。……梓稀の方こそ、大丈夫?ごめんね、急に押し倒したりして。私、どうかしちゃってたみたいで……」


 そう言うと、梓稀はゆっくりと首を振った。また、変な感情が湧き上がってくる。


「そんな、大丈夫だよ。私は全然だから。その後の水泳もちゃんとしたしね!だから、心配しないで……真琴ちゃん?」


「あ、はは……、ほんと、良かった。梓稀に、何もなくて……」


 私は、目を覆うようにして顔を手で隠した。もう、梓稀を視界に入れていると、私の何かが、爆発しそうだった。


「真琴ちゃん、?本当に、大丈夫?」


「え、?あ、うん。大丈夫だよ」


 隠した指の隙間から、梓稀が見える。


「でも、なんか、様子が……」


「ねぇ、梓稀」


「う、うん?何?」


「梓稀は、美味しそうだよねぇ……」


「ヘぇ、またぁ?」


「梓稀を、見てると、……」


「……うん?」

 

「……ごめん、なんでもないよ」


 私の目はおかしい。私の感覚はおかしい。私の感性はおかしい。私はどうしてか、狂ってしまった。もう、自分を抑えられない。私は、もうだめなのだ。きっと、きっと、次こそ私は梓稀をこの口で……。


「梓稀、昨日何食べたんだっけ?」


「え?昨日?夜ご飯のこと?」


 そうそう、もうなんでもいいのだ。


「そうそう、そのスイカ以外に何食べたんだっけ」


「えっとね、夜ご飯はハンバーグだったよ!」


「そう……それはとっても美味しそうだね」


 今、私の目の前には、よく焼けた肉が私を食べてと誘惑していた。








「ごめんね、急に家に来てもらって」


 私はううん、と首を振る。


「どうしても真琴ちゃんに勉強の事、聞きたくてさ」


 私はそうか、と頷く。


「良かった。テスト前だったし。……ねぇ、そういえば真琴ちゃん」


「……うん?」


「私さぁ、真琴ちゃんがどうして私の事美味しそうだなんて言うんだろうって不思議でさぁ、ちょっと調べてみたの!」


「……うん」


「そうしたらね、カニバリズムって言葉が出てきたの。それ自体は人を食すことを言うんだけどね、昔のアメリカには殺人鬼ならぬ、食人鬼がいたんだって」


「……」


「勿論真琴ちゃんは冗談で言っているんだろうけれど、私さ、人間が人間食べるなんて思いもしなかったから……」


「……」


「きっと、そのカニバリズムの人から見れば、私って美味しいのかもね……なんて!」


「……うん、そりゃあきっと、美味しいよ」


「あ、真琴ちゃんもそう思う?」


「……うん、だってきっと梓稀は美味しいもの」


「やだなぁ、真琴ちゃんったら」


 そう言った梓稀に、私は無言で近づいた。


「ねぇ梓稀」


「ん?なぁに?」


 何も知らない梓稀が、無防備に振り向く。その梓稀の顔を、私は真っ直ぐに見た。白い皮の中にある赤身の肉を、あの夢で見た新鮮な肉を、想像しただけで食欲がそそった。私は、その欲求を抑えつつ、梓稀の手を優しく取った。


「ふふ、なぁに?真琴ちゃん」


「梓稀」


  その手を取って、優しく自分の口に寄せた。内心の興奮は、治まらない。甘い肉の匂いが、私の鼻を刺激する。


「もしも、私が……」


「う、うん?」


「もしも私が、梓稀のこと好きって言ったら、」




食べさせてくれる?


 


「……い、嫌だなぁ。……真琴ちゃん、なんで、……カニバリズムなの?」


 私はその白い手の指を取って、口を開けた。


「もし、そうだって言ったら、どうする?」


 そう言って、私は梓稀の指を口に含む。甘い肉の風味が口全体に広がる。夢で食べた、あの味がする。梓稀は驚いた顔をして、私を見ていた。私は梓稀の指に歯を立てた。その痛みのせいか、しばらく止まっていた梓稀が口を開いた。


「……ま、真琴ちゃん」


 私の名前を呼ぶ梓稀を無視して、その指に唾液を絡ませ、更に口の奥へと嚙み進める。爪が舌に引っかかって、上手く肉を抉れない。私は仕方なく指先以外の所をまた噛んだ。最初は歯すら立てていなかったのに、今はもう欲望を押さえられなかった。その薄い皮を破ろうと、歯を強く立てて皮を引っ張る。いよいよ、梓稀は危険を感じたのか、思い切り私の口から指を引き抜いた。私の唾液が絡んだ梓稀の指は、私の唾液で糸を引いていた。梓稀は私を軽蔑したような目で見ていた。それは、恐怖と言ってもいいのかもしれない。梓稀は今、カニバリズムの‘食べられる‘恐怖に晒されている。その事実が、なおさら私を興奮させた。私は怖がったままの梓稀にそっと、笑いかけた。


「梓稀って美味しそうだよね」


そう、本当に、君はとても美味しそう。

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